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第3話【静寂の夜】

「さぁさぁ、そろそろ店じまいだから帰ってくんねぇか」 部屋に充満する酒の臭い。 古ぼけた天井、天井付近までありとあらゆるところに貼られた紙。オレンジ色の照明が時折、チカチカと素早く点滅する事からこの酒場が随分と前からある事を物語る。 すっかりのぼせていた頭は冷水でも浴びせられたかのように冴えている。今なら酒を出されても飲んだところで酔いはしないだろう。 木箱に押し潰れるように倒れていたカルヴァンはもぞもぞと体勢を整えて立ち上がると衣服や腕についた木片を払い落とす。 「空いていたからいいっちゃいいんだが……お客さん、どうするつもりだぁ?」 「あ?……あー……」 S級勇者カルヴァン・サルヴァンタは今日、勇者として認定されて自分の実力をひけらかすように酒場でS級勇者だと名乗って集ってくる女達を侍らせて遊んでいた。 だが、その最中にやってきたD級勇者アルフレッド・オルブライトの連れであろう、一風変わった男───否、女のなりをした男に蹴り飛ばされて木箱に叩きつけられて気を失っていたようだった。 (べつに酒飲んでたわけでもねーのにあの強さ……なんだ、あのクソババアゴリラ……) 自分が一撃で叩きのめされた現実にカルヴァンは納得した様子を見せていなかった。だが傍らで恨めしそうに見ている酒場の店主を見てカルヴァンは眉間にシワを寄せる。 「俺が壊したわけじゃねぇ!壊したのはあのババアだ、あのババアに請求しろっつーの!」 「ああ?!往生際の悪い、S級勇者ってのはその程度か!」 「やんのかオッサン!」 「上等だァ!」 バチバチと火花が飛び散るほど、白熱した喧嘩の間を割ってカランコロンと玄関の扉が動いてベルが鳴り響いた。 二人の視線は扉へと向けられ、外と中の境界線を跨いで入ってきた者に目を向けるとカルヴァンはバツの悪そうな顔をみせた。 「……此処に居たのか、カルヴァン」 色が抜け落ちたかのような真っ白な髪を銀製の髪飾りで結い、それを肩から一筋の光のように垂らした小柄な少年。 少年、にしては凛とした佇まいが年相応に感じさせず、またそこはかとなく影が薄く見受けられるその姿はまるでこの世のものとは思えないほど異質な雰囲気を感じさせる……が、一応人間なのは分かる。 カルヴァンは腰に両手を据えると項垂れて深くため息を吐く。 「ユヒィ将軍様じゃねぇか……なんだって俺に用があるんだ」 「我輩は今は将軍ではない。ゆえに金輪際、我輩の名を口ずさむ時はユヒィと呼ぶように」 「……やりづれぇ…」 ───ユヒィ・ハーヴァレット。 その幼き少年の見た目とは裏腹に齢六十以上とされる彼はその拳から放たれる真空刃は周囲の物体、空間のそのものを斬り裂くとさえ言われているほど、凄腕の武闘家だ。 カルヴァン・サルヴァンタの師であり、同時にカルヴァンの故郷に数年前、訪れた異邦者であった。 将軍と呼ばれる所以はカルヴァンの故郷で初めて軍隊制度を取り入れた人であったからだ。 化け物に対抗するべく、若い戦士達を鍛え、少数精鋭の軍へと作りあげたが……くしくも、大軍の化け物の群れに軍も村は壊滅した。 村で収穫した作物を売る為に街へと出向いていたカルヴァンを探すべく、仲間達に背を押され捜索に出たユヒィ。それによって仲間達は皆息絶え、残ったのは絶望と取り残された者だけだった。 それ以来、ユヒィとカルヴァンは共に旅し、この度カルヴァンが正式に勇者になった。 これも全て──────。 「カルヴァン、忘れてはいまいな?吾輩は失踪した王を捜してこの度、旅に出たのだ。失われたそなたの故郷の無念、果たすべく王を見つけ出す、それが我々の目的。努々忘れる事なかれ」 「……あいよ」 ユヒィが金貨を五つ、店主に差し出して黙らせれば店を共に退出する。 夜風が吹く中、行く宛てなどないというのに二人の足取りは確かに真っ直ぐ前へと、横道に逸れる事なく歩んでいく。 王を捜す───────それが何を意味するというのか。 カルヴァンは腕を組んで夜道を歩いていると不意にユヒィの問いが投げ込まれる。 「して、カルヴァンよ。酒場で何をしておった?」 「あ?あー……なんかでっけぇゴリ…あ、いやいや、女みてぇな男に喧嘩吹っ掛けたらやり返されてよー」 ついうっかりカルヴァンの減らず口を叩きそうになるが師であるユヒィの前という事もあってすぐに言葉を引っ込めるとあの場で起きた事を手短に説明する。 するとユヒィは興味深そうに足を止めて耳を傾けた。 「ふむ、そなたは我輩が育てた逸材だ、お主の右に出る者がいるとは思わなんだが……して、どのような手さばきだった?」 「手さばきもなにも蹴り飛ばされたんだ、あんなほっせぇ脚が放ちそうな脚力には見えねぇけど……」 「ふむ、痩身にして怪力……もしや……」 話しを聞いていたユヒィはある一つの答えを出す。この街の隅にある宿屋の方角を見れば目を瞑る。 「そなたが相まみえた者、もしかしたらそれが王かもしれん」 「は?王?んなわけ……」 カツ、カツと音を響かせてユヒィは宿に向かって歩く。 夜のように薄暗く、冷たい夜風を流す灰色の世界を歩く二人の声は、まるで二人にしか聞こえていないように静寂が包み込んでいく。 「この世界を統べる王とは、如何なるモノにも屈する事ない力と精神を持ち、脆弱たる我々を導く光となる者だ。なれば我輩を師と仰ぎ我輩の武術を全て会得したそなたを勝る者となれば、それ即ち王という事になる」 「……は?そういう基準なのか?」 「王はその腕を一振りすれば大地が両断され、その脚を振るわば海をも分かつほどの力をお持ちになっておられる。自らを王として自覚され、手加減されたが真の実力を振るわれればその身、今頃二つに身が分かたれていてもおかしくないという事だ」 「にわかに信じがてぇ話だがアンタが言うんだ、そうなんだろうな」 靴音を響かせ、横に並んで歩くユヒィの話はカルヴァンの言う通り、にわかに信じ難い。 そもそも、カルヴァンの記憶する限り、王という存在そのものが本来ないものである。故に全てが眉唾のように感じられるがユヒィは嘘をつくような人ではない事はカルヴァンはよく知っている。 だからこそ、その言葉を飲み込むと続けて問いかける。 「しかし、なんで王様が此処に?そもそも数年前に失踪したんじゃないのか?」 カツ、カツと静寂に響かせていた靴音がピタリと止む。 カルヴァンの問いかけに細い腕を絡め胸の前で組めばユヒィは空を見上げる。 果てしなき灰色の空を見上げて。 「カルヴァン、少し昔話を語ろう。王であったあの方が……どうして、行方知れずとなったのか。そして私がどうして此処に辿り着いたのか、を……」

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