26 / 61
晴明編・2
***
次の日、朝陽は博嗣の付き添いで某神社に来ていた。
二人が鳥居を潜った瞬間、風もないのにザワザワと桜の木が揺れだす。
花をつけるにはまだ早い時期だと言うのに、桜の花吹雪が舞っていた。
境内に生えている桜の木は、もちろん蕾一つ付けていない。
——幻覚?
朝陽は足を止めて、周りにある桜の木々全体を見渡した。
陽の光を反射しながら、薄い桃色の花弁が吹き荒れる。
どこか幻想的で目を奪われてしまった。
しかし、隣を歩いていた筈の博嗣がいなくなっている事に気がついて、朝陽は声を上げる。
「じいさん?」
返事がない。
それどころか桜の木も視界から消えていた。
「え? 何だこれ?」
疑問を抱いた時には既に遅かった。
恐らくは妙な空間に紛れ込んでいる。
音も匂いも風の動きも生き物の気配さえしない、密封された空間に朝陽はいた。
朝陽の周りだけが切り取られたように静かだ。
——もしかしてここ、異界か?
固唾を飲み込む。
話には聞いた事があったが、自らが迷い込むのは初めてだ。
どうやって戻ろうかと朝陽が頭を抱えていると、控えめな笑い声がして瞬時に頭を上げる。
——いつからそこに居た?
朝陽は警戒しながら、声のした方向に視線を向ける。
そこには和装姿の黒髪の青年が立っていて、朝陽をジッと見ていた。
男にしては長めのショートカットで、癖一つない毛髪だった。
前髪の隙間からは碧眼が覗いている。
キュウとはまた違った味わいのある綺麗な青年だった。
落ち着き払った雰囲気と佇まいからは、朝陽よりやや歳上の印象を受ける。
「オレが案内してあげようか?」
静かで澄んだ声音で青年は言うと、有無を言わさず朝陽の手を引く。
「え? ていうか、どちら様……ですか?」
「安倍晴明」
少しだけ高い青年の目線が下りて、朝陽を捉えている。
あの安倍晴明か、と朝陽は視線を逸らして遠い目をした。
断ろうにも異界を出る案がある訳でもなく、外界からの助けも期待出来ない。
晴明の言う通りにするしか術がなく、朝陽は促されるまま晴明と歩いた。
「何処に向かっているんですか?」
初対面なのもあり、朝陽が敬語で訪ねると晴明は微かに笑むだけで、何も答えずにまた前を向く。
やたら長い石段を登っていると思っていたが、突然視界が切り替わる。
今度は大きな屋敷の中を歩いていた。
「景色が変わった……?」
「心配しなくても大丈夫だよ。ついておいで」
赤い柱の立つ木の廊下を歩む。
格式高い神社のような造りになっている。
通されたのは客間のような場所だった。
焦茶色をした長方形の座卓を晴明と向かい合わせになるように囲んでいると、黒子みたいな人型のナニカにお茶を出された。
霊ではない。
物怪でもない。
どこか気配はおかしいが悪い物ではなさそうだ。
ジッと見つめている朝陽に気がついたのか、晴明が「オレの式神だよ」と説明した。
「式神……。あの、ここって?」
「ふふ、オレの社」
「いや、そうじゃなくてですね。俺……祖父のとこに戻りたいんですけど」
「そうだね」
ニッコリと微笑まれると居心地が悪い。
話にならないのも困る。
無言の間が続いた。
——どうしよう……。
逃して貰えそうもなくて、朝陽はお茶に視線を落とした。
飲んだら異界から出れなくなるとかないよな……と思案する。
ウェブサイトにあるホラー掲示板で書かれていたのを思い出したからだ。
「大丈夫。心配しなくてもちゃんと帰れるよ」
何故心の声が漏れたんだろう、と考えてしまい冷や汗が出てくる。
「顔に出てるからね。君の感情は読み取りやすい」
とたんに恥ずかしくなった。
そんな朝陽を晴明は楽しそうに観察している。
時間経過は分からないが、随分と時間が経ってから朝陽は口を開いた。
「あの、安倍……さん」
「晴明」
「はい?」
「晴明、で良い。あと普段の言葉で構わないよ」
マイペースというか不思議な感覚にさせられる男だった。
「晴明」
朝陽が名を呼ぶと、晴明は目を細めて優しく微笑んだ。
その表情にドキリとしてしまう。
——いや、そんなに嬉しそうにされても困るんだけど……。
どうも調子が狂う。
「君がこの神社に来た瞬間、ここの桜たちが騒ぎだしたから見に来たんだ。君に興味が湧いたから思わず連れてきてしまった。後でちゃんと帰してあげるよ」
「はあ……」
抗うのは即行で諦めてため息をつく。
最近会ったαたちのせいで朝陽の感覚は麻痺している。プラス持ち前の諦めの早さが災いしていた。
ともだちにシェアしよう!