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◇◇◇
退院してから十日が経過しようとしていた。
朝陽は今実家にいる。ノートパソコンを持参し、在宅ワークに切り替えていた。
頭部にまだ疼くような痛みはあるものの、体の痛みはもう随分マシになっている。事件になっていないのを考えると、物部はやはり他人には見えていないのだろう。人外である可能性が高い。
あの日を境に、朝陽は自分で華守人や神造人、後は十種神宝を取り出す方法についても調べていた。
実家にいるついでに文献も漁ってみたものの、有力な手がかりは何も見つかりはしないが。神造人どころか華守人の情報さえあまりないのだ。得られたのは既に博嗣から聞かされていたものばかりだ。
博嗣も実際に会った実例は朝陽のみ。
だが朝陽は通常の華守人からかけ離れた存在だ。それはニギハヤヒが証言している。また口伝でしか聞かされていないのも有り、情報からは真実に辿り着けないでいた。
特に神造人に関しては、ニギハヤヒも初めて会ったと言っていたくらいだ。お手上げ状態だった。
「これを持っていけ。もしかしたら必要になるかもしれん」
朝陽が帰る時だった。
博嗣はニギハヤヒに渡された生玉を朝陽に持たせた。
共鳴するかのように鈴の音が辺りに響き渡る。生玉は意思を持っているように浮き上がると、朝陽の体内に吸い込まれていった。
「消えた?」
「きっと神宝同士が呼び合っているんじゃろう」
「でもこれ俺が持って行って良かったのか? てか、もう体の中に溶けちまって取り出し方法も分からないけど」
「お前が産んだニギハヤヒノミコト様の分身体が神社を守っておるから心配せんでも大丈夫じゃ。神社は壊れる前よりも神聖な場所になっておる」
成る程、と納得する。生まれた時しかその姿を目にしていない我が子たち。俄かに覚えているニギハヤヒとの間に生まれた子は、ニギハヤヒに似て体が大きく独特な雰囲気のある子だったのを思い出す。
「朝陽……」
博嗣がどこか浮かない顔をしているのが、妙に引っかかった。
「言うか言わずに居るべきか迷っていたのだが……」
博嗣は一度視線を下に落とす。しかし言うべきだと判断したのか直ぐに朝陽に視線を合わせた。
「実は、華守人はΩの方から番を解消する事ができるんじゃ。だがこの方法で番を解消すると、二度と同じ者と番う事は出来ん。解消する時はよく考えてから実行するがいい。番の解消方法は…………」
***
朝陽は帰路を辿っていた。
欲しい情報を持っているのは、恐らくは物部アマヤとニギハヤヒだけだった。
しかし、ニギハヤヒとはもう会っていない。物部は得体が知れなくて嫌悪感しか湧かない為、論外だ。自分からは関わりたくもない。
道中ずっと考え事をしていたからか、駅に着くまで随分と早く感じられた。
鍵を開けて扉に手を掛ける。
灯りのない冷えた室内は、何の気配もない。痛いほどの静寂が凶器となって身に突き刺さった。
脳裏を過ぎるのは、ここで共に暮らしていた己の番たちの顔で、朝陽は眉根を寄せて俯いた。
——皆んな、何しているんだろう。
自分から関係を切ったというのに会いたくて堪らない。
寂しさが胸中を占めている。
これまでずっと一緒にいて、六人から急に一人になってしまってから、妙に家が広くて心細さを誘う。
とても居心地が悪かった。
中に入ったのはいいが、玄関先で立ち尽くす。
こうなるのなら引っ越さなければ良かったと頭のどこかで思う一方、出会った事や今まで共に過ごした時間を後悔していないのが不思議だった。
クセの強い同居人たちが居るのは何だかんだと賑やかで朝陽は楽しかった。
他人の前で初めて普段の自分を曝け出せた。
だからこそ裏切られた気持ちでいっぱいで、こんなにも胸が苦しいのかもしれない。
寂しい、という感情が人よりも乏しく、恋愛経験さえ無い朝陽には今の感情は手に余った。
胸を締め付ける感情の名を朝陽は知らない。
余計な事を考え始めている思考回路を断つようにため息をついた。
チクリと下っ腹に痛みが走り手を当てる。
最近妙な痛み方をするようになっていて体も怠い。考えてみればこの数日間まともな食事をしていなかった。
そのせいで体調を崩しかけているのかも知れないと考え、コンビニに行こうとまた家を出た。
「朝陽……っ」
声のする方へ視線を向けると、そこにはオロと将門がいた。
「あの、ボク……」
無言で二人の前を通り過ぎて、コンビニへと向かう。
——あいつらもう居なくなったかな……?
朝陽は、結構長い時間を潰してから帰って来たのだが、二人はまだ居た。
「何してんだよ……お前ら。さっさと持ち場に帰れ」
ちゃんと視線を合わせては言葉を紡げなかった。
「俺の帰る場所はお前の所だけだと言った筈だ」
「ボクはっ、ボクは……また皆んなと一緒にここに住みたい」
長い沈黙が三人の間に落ちる。どうすべきか逡巡していたが、答えは出そうになかった。
朝陽は大きなため息をついて、結界の強度を緩める。
「……入ってもいいぞ」
「朝陽ぃ~っ」
オロが泣きながら朝陽に抱きついた。
「泣くな、オロ……」
この二人は始めっから今回の件にほぼ関わっていない。それが朝陽の心を緩ませた。
ダイニングテーブルに腰掛けて食につく。
朝陽が食事を終えると将門が口を開いた。
「本当はお前が病院に居た時に話そうと思っていたが、それどころではなくなったから今の今まで話しそびれている事がある」
「何の話だ?」
「この家には一階にも二階にも目的の意図が分からないカメラが十数台仕掛けられていた。以前居た部屋にあった物とは用途の異なりそうな機械だ。初めはあの赤嶺という男かと思い見張っていたが、あの男を見張っていた限りでは怪しい動きはなかった。操られているような妙な気配もない。可能性は薄いと見切りをつけて貸し出した人物を探っていた。そいつの家には霊体用の結界が幾つも張られていて、俺でも近付けない。十中八九、仕掛けたのはそいつで間違いないだろう」
霊体を拉致された時の物部とのやり取りを思い出す。
「そうか……。俺を攫った奴らと関わりがあると見ていいかもな。こっち側の情報は全て筒抜けだった。俺の中に十種神宝があるのも、俺が神を産んだ事も、お前らの事も全て知られている」
将門が赤嶺の事をやたら気にしていた理由が分かった。
「なあ。十種神宝の事で何か分かる事はないか?」
「残念ながら俺はニギハヤヒ程古い存在じゃない。もう既に文献でしか触れられない代物だった。現物も見た事がない。お前が持つ情報と大差ないだろな」
「時代的にはボクの方が神宝より古い存在だと思う。でもその神宝はアマテラスから貰ってニギハヤヒが持ってるって事しか知らない」
十種神宝の事はネットや書籍などを調べて分かった。
物部の言うように、死者を甦らせる力もあるみたいだが、朝陽も実際現物を見た事もなければ聞いた事もない。使用方法も知らない物など持っていても意味を成さない。宝の持ち腐れも良いとこだ。それに、言い伝えだけでは信憑性に欠ける。
そこまで考えた時に、新たな気配が入って来たのを感じて朝陽の肩がピクリと震えた。
「物部アマヤは名前からして儂の直系の子孫だろう。あいつには関わらん方がいい」
背後からニギハヤヒの声が上がる。
「お前らは招いてない」
振り返りながら、棘のある声音で言うなり睨みつけると、ニギハヤヒと視線が絡んだ。
「十種神宝を勝手に移した事を黙っていて悪かった。理由を話せなかったのも、お前に知らせずにこっちで対処出来ればいいと勝手に儂が思っていただけだ。お前を傷付けるつもりはなかった。その理由を話しにきた。——朝陽、お前はあと二日以内に死ぬ」
「何だよ……それ」
突拍子もなく告げられ、朝陽は眉間に皺を寄せた。
「儂はお前が死ぬのが分かっていた。だが失うのが嫌で十種神宝をお前の体内に移した。儂はそれをお前どころか、此処に居る全員に隠していた。九尾と晴明にはその事を見破られただけだ。許してやってくれ。その神宝があればお前を甦らせる事が出来るからだ。華守人に会うのも稀なのに神造人に会えるなど思ってもみなかった。それ以上に……「聞きたくないっ‼︎」」
朝陽はニギハヤヒの言葉を遮って叫んだ。
絶望しかなかった。これ以上何かを聞いてしまうと耐えられそうになかった。
「お前らは……俺が華守人で神造人だから一緒に居たんだな」
「違う! 朝陽、話は最後までちゃんと聞け!」
言葉は全て朝陽の耳を滑り落ちて行った。
「別に聞く必要ねぇだろ。それとも聞いた後でもっと絶望しろって? 冗談じゃない。もう二度と……顔も見たくない」
キッチンまで行き、果物ナイフを取り出して掌をきる。
「朝陽……、何をしている?」
将門の声が強張った。
「番契約を解消する」
「朝陽!」
将門が伸ばした手は朝陽が身の回りに張っていた結界に阻まれて弾かれた。
結界越しに視線が絡む。
普段の温和な表情や雰囲気は今の朝陽にはどこにもない。虚無感しか伝わって来ない瞳が将門を捉えていた。
「ちっ! おい、朝陽……っ」
かけられた言葉にも構わずに、朝陽は己の血液に霊力を混ぜ合わせて言霊を乗せる。契約の証を中和し、そのまま解除する為に血に濡れた手で己の頸を触ろうとした時だった。
「やめろ!」
全員に腕や肩を掴まれて阻まれる。張った結界がバチバチと嫌な音を立てて全員の腕を焼いた。
「何、して……っ? お前ら早く手を離せ! 腕が焼けて無くなっちまうぞ!」
「はっ、なら根比べだな」
将門の言葉に朝陽は息を呑んだ。
結界に阻まれている所の番達の皮膚が変色し始め、やがて崩れ始める。
輪郭さえボヤけて無くなって行くのが分かって、朝陽は耐えきれずに結界を解いた。
「何で……何で、こんな事するんだよ!」
朽ちて行こうとする番達の腕に守りの結界を張る。
「分からないか?」
「分かるわけないだろう! 大切な事は何も言ってくれないのに、分かるはずがない‼︎」
「なら、お前はあるのか? これまで生きてきて、ちゃんと己の口で自分の本当の気持ちを伝えた事はあるのか?」
「……っ!」
ぐうの音も出ない。何もなかった。
本音なんて自分から言葉にして伝えた事などない。人にばかり求めて、自ら行動した試しも一度だってない。悲観に暮れ、いつも全てを諦めてきた。どうせ理解して貰えないとそう思っていたからだ。
「俺、は……。え、あれ?」
そこで異変に気がつく。
守りの結界を入れた筈の皆の腕が元に戻る事どころか、別の箇所もどんどん変色していくのだ。
「な、んで……、止まらない?」
重ねて守りの結界で皆を包むがそれでも駄目だった。微妙に朽ちる速度を落とすだけで、治りはしない。
「嫌だ。何で止まらないんだ。嘘だ……。こんなつもりじゃなかったのに。何で……っ。何でそこまでして俺に構う⁉︎ 俺なんてもう放っておけば良かっただろうっ! こんな事しなくても、次の華守人を探せば済む話だった! このままじゃ消えちまう‼︎」
腕から始まり、全身が朽ちるまで時間の問題だった。
焦燥感に囚われ、守りの結界を張り続ける。こんな事をするつもりではなかった。それは本心だった。また、ここまでして止められると思ってもみなかった。
「朝陽と番でいられるなら私は消えてもいいよ。それより……次って何? 朝陽じゃないのに番う意味あるの?」
初めてキュウに睨まれた。
煩いくらいに鼓動を刻む心音が聞こえてきそうなくらいに大きくなった。
「華守人じゃない。お前自身を愛している。例え、己の力が弱まろうとお前を失いたくなかった。悪かった、朝陽」
真摯な眼差しで語りかけるニギハヤヒの言葉からは偽りは見えずに困惑した。
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