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第2話
「……おはよう、先生…」
僕は眠い目を擦りながら、キッチンに入ると先生にそう言う。
彼は、
「ああ、おはよう」
と、笑顔で返してくれたが、次の瞬間には眉が吊り上がっていた。理由は解る。今日、僕の仕事がオフの日だからだ。
ソレがどうしたと言いたいだろうが、つまりこうだ。僕は、仕事がオフの日はゆっくりとしたいと言う理由で、何時も朝食を取るのが普段よりも遅いのだ。ソレは、予定を入れてあっても同じだから、何時ものオフの日と違うスタイルを取る僕に不審を抱いているって言うところである。
そして、僕のこのスタイルを容易に変える事が出来るのはタダ一人だけで、彼はこの人の事を快く思っていなかった。と言うよりも、敵視していた。だから、大人気ないとか、餓鬼と言う言葉で済まされないくらい彼の機嫌は物凄く悪くなるのだ。
ソレに、イチイチ、僕の予定を把握したがる彼は鬱陶しいの一言だ。保護者面の小舅と思いながら、僕は不機嫌な彼を無視して冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出した。ソレから、食器棚にあるコップを手にして、自分の席に用意されている朝食の横にソレらを並べるように置いた。
その間、終始無言だ。会話のない空間は空気が重たくって堪らないが、この場合は致し方がない。僕は聞かれない限り答えないからだ。
だが、僕が席に着いてからも彼の動きが微動だしない。この儘だと遅刻だ。彼は雇用されている身だから、遅刻は減給の対象になる。僕が原因で、そうなるのだけは避けたい。僕は、苛立ちと共に「何?」と言う顔で彼の方へ視線を向けた。直ぐに彼の視線と合致あったのは、彼も僕の事を睨んでいたからだろう。
胃がムカムカする。その彼の口から発せられる言葉はこうだ。
「今日は、オフの日でしょう?」
僕は項垂れる。ソコからかよ、と。彼の声色が低いのは怒りの顕れ。喉から絞り出される重たい気息は嫉妬そのモノだ。
僕はお握りを一つ摘まんだ。ソレを一口かじってモグモグと悠長に咀嚼するのは、もう、遅刻でも何でもしろと言う投げ遣りではない。彼の問いに答えたくないからだ。ソレに、口の中に食べ物が入っている時は喋らないが常識だ。彼もソレは解っているから、僕に向けられる針の様に突き刺さる視線が痛い。
張り詰めた空気が、更に重みを増してピンと張り詰めた。こうなれば、彼の表情を探らなくとも、彼がイライラしているのは直ぐに解る。あから様過ぎるんだよと僕は溜め息を一つ溢してこう言った。
「もう、行く時間でしょう?」
早くしないと、遅刻するよ?と。だが、彼は慌てる所か、冷静にこう問うて来る。
「今日、何処か行くの?」
と。
コレばかりは譲らないよと言う彼の態度に、僕は面倒臭いなと思いながら腹を括る。
長期戦は、彼のお得意分野だ。
「次の仕事のオファーだよ。断ったら、ソレこそ、一大事だ」
僕がそう答えれば、「そう、なら、仕方がないね」と不機嫌だった顔を直してにこりと彼は笑うが、「で、誰と?」と更に問うて来る。そんな彼の含みのある質問に、僕はハア?と眉を吊り上げた。否、僕が誰と逢うのかもう察しが付いているのにそう聞くのか?と呆れた。
だが、僕はしれっとした態度でこう答えるしか出来ない。
「神嵜類監督」
僕の解答に、先生の顔がみるみるうちに雲って行く。こうなると解っているのに、どうして彼はわざわざ僕の口から真実を聞きたがるのか解らない。
「あのね!事務所に所属していないフリーの俳優はこうでもしないと仕事が続けていけれないの。解る?」
公私混同しないでと彼の顔を見れば、彼は渋った顔で僕の顔を見る。彼のこう言う顔は、嫌いだ。「監督とは幼馴染みなんでしょう」と僕の方がイラッとしてしまうから。
いい加減にしてと前髪を掻き上げれば、先生は僕の首筋を見た。じっとりとした視線に悪寒が走る。嫌な予感しかしないが、僕には彼の出方を見るしか出来ない。
「うん、解った、じゃ、着て行く服選ばないとだね」
彼はあっさりとそう言うと、僕の返事も待たずに僕の部屋に向かった。
僕は僕で、準備されているフォークで目玉焼きの目玉を潰す。彼に反論しないのは彼が頑固だと解っているから、彼の気が済む事をやらせた方が幾分進行が早いのだ。
僕はぐちゃぐちゃと掻き混ぜる様に、添えられたソーセージやブロッコリー、ニンジンなどをフォークにぶっ刺し、豪快に口に運ぶ。潰れた目玉は半熟だったから、ドロリとした黄色い液体が白い皿の上に広がっていた。
僕が完食する頃には、彼は着替えの服を持って戻って来ていた。そう時間が掛からなかったのは、僕に何を着させるのかをもう決めていたからだろう。
僕は誰のモノでもないフリーなのに、彼の傍にいると彼のモノであると言う気がして、堪らなく嫌だった。
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