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第4話

  流れる風景に心は奪われないが、気まずいこの空気を緩和するには丁度良い。僕は運転席の先生の顔を全く見ずに、車の窓から見える景色をずっと見ていた。 だから、 「打ち合わせ、遅くなるんだったら迎えに行くけど?」 そう言う彼の顔も見なかった。そして、その申し出も、「イイ」とだけ言って断る。彼がどんな顔をし、どんな気持ちでいるのかも僕には関係ない事で、知りたいとも悪いとも思わなかったし、ココで断っても、彼はGPSで僕を捕らえるだろうから。 バレないように電源でも切っとくかとそう思うが、ソレをした方が後々厄介だと思い直し、電源を切る事を諦める。いざとなれば、叩き返せば済む話だし。 そう結論付けるが、首筋と鎖骨が気になって仕方がない。くっきりと見える彼が付けた鬱血した痕の為に。 「ほら、着いたよ」 ゆっくりと車を車道の脇に停車させ、彼はそう言って僕の肩口を軽く叩く。どう言う無神経さだと彼を睨みたいが、僕は彼の方に決して振り向かなかった。背中だけを見せ、有り難うも言わずに、車から降りる。静かにドアを閉め、その儘無言で歩道を歩き出す。 横付けの同じ進行方向だから、 「じゃ、気を付けて」 そう言って車内から僕を見送る彼を僕は酷いヤツだと思った。窓を閉め、静かに車を発信させて彼は僕を追い越す。何も言わない僕を彼がどう許しているのか解らないが、彼の車が僕の脇を通り過ぎる時に見えた彼の顔は、酷く無表情だった。その顔は彼の妹、田村ハナコーチによく似ていた。彼も彼女の様な竹を割ったおおらかな性格だったら良かったのに。僕はそう思いながら、監督と待ち合わせをしている店に向かった。 待ち合わせた店に着いた僕は苦笑いをした。名前が名前だけあってそうだとは思ったが、本当にそうだとは思わなかった。 流石、監督だと僕は戸惑いもなく、その店のドアを開いた。チリーンと鳴る軽い鈴の音はどうしようもなく、個人の店と言う空気を醸す。出て来た店員も苦笑いをするくらい、僕の存在は大きくその場の雰囲気を濁していた。あの~ととても腰の低い姿勢で、僕に声を掛ける彼が本当に気の毒だ。 だが、 「あ~あ、はやかったね~?こっ~ち」 その彼よりも先にそう言って、手をヒラヒラと振って来る監督の陽気な姿が癪に障る。あ、お迎えですか?と言う顔で、僕の顔を見る店員はどうぞと奥にある席を片手で示した。僕は有り難う御座いますと言う顔で、小さく会釈をしてから奥の席に向かった。 だらしなくソファーで転がる監督の姿はどうも残念でならない。幼顔の彼が、父親や先生と同い年であるとは思えないくらいに。 僕は彼の整った綺麗な顔に手を添え、 「もうー、どんだけ呑んだんですか?」 そう呆れ返って、言葉が出ないよと言う顔で彼の腕を掴むと、 「あっは~、た~くさん♪サクラちゃん、さそったのにこないから~♪」 彼はそう呑気に答えられ、逆に僕の腕を掴み返された。おいおいと言う暇もなく、僕は彼の腕の中に引き寄せられた。ああ、完全に酔っているなと思いながら、僕はぼやく。 「当然です。未成年の僕をバーに誘うのは監督くらいですよ?」 と。こうやって僕に迎えに来いって言うのも彼くらいだ。そんな彼はにこにこと笑って、「だって、おれ、サクラちゃんとのみたかったんだもん」と言う。ホント、呆れる。呆れるが、ソレが、どうしようもなく救われた。 がっちりと彼の腕にホールドされて身動きが取れない僕に、 「サクラちゃん、すき♪だいっすき♪」 そう言って、ぎゅっと抱き締めて来る彼の行動も酷く呆れるモノがあったが、ソレ以上に嬉しいと言う気持ちがどっと溢れて来る。だが、彼の事が堪らなく好きだと思えば思う程、やるせない気持ちで心が悲しくなった。僕もそうだよと言えないもどかしさに、腹が立つ。 彼は知っているんだろうが、言葉に出来ない苦しさは伝えれないのと同じ苦しさだった。彼に早く伝えたいと僕は思いながら、その感情をグッと呑み込んで、だが、抵抗もせず、こてんと額を彼の胸に押し付けた。トクトクとリズミカルに打たれる彼の心音が心地良いと知っているから。 安心するなと彼の脇にそっと腕を廻せば、ぎゅっとしてくれると思えば、 「だけど、コレは頂けないかな?」 彼はそう言って、僕の肩口を掴むと僕を少し引き離し、僕の首筋と鎖骨を撫でた。ソレも、ワザとらしく鬱血した痕を人指し指で。 僕はぐっと息が詰まる思いがした。ああ、やっぱりそうだよねと。 「ね?このキスマーク、何で隠さないの?」 そう真顔で言うから、尚更だ。僕はもう一杯一杯だと彼の唇に人指し指を押し当てて、 「帰ります」 そう身を引いた。すると、「ウソ、俺には誘ってるみたいで理性が利かなくなる」とそう耳許で囁いて僕にフレンチ・キスをして来た。  

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