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最終話

  「サクくん、大丈夫?」 休み休み歩く僕にこうちゃんがそう言う。足腰が立たない僕の姿を見て、辛そうだ。彼の所為ではないのに、そんな顔をされると僕まで辛くなった。 「大丈夫。こう言うのは日にち薬だから」 そうこうちゃんに言うと、玄関ホールのドアに掴まって外に出る。土足の学校だから、下靴に変える必要がないのが、せめての救いだ。何とか無事に、玄関先に乗り付けた迎えの車まで辿り着く事が出来てほっとする。 「ホント、ぎっくり腰なんてだせいよな」 僕の鞄と携帯用のキーボードを迎えに来た巴さんがこうちゃんから受け取っている間に、えっちゃんがそう言う。僕自身でもそう思うから僕は口答えしない。と言うか、巴さんの前でえっちゃんと口論はしたくないだけ。ああ、彼は夢小説の中の彼、つまり、七瀬巴ではない。彼は嵯峨巴と言って、僕の義理の兄である。予想が付くとは思うが、僕らは再婚同士の連れ子。そして、七瀬は僕の母の苗字で、彼の方が嵯峨と言う苗字だ。 そんな彼は僕の初恋で、僕の爪先に口付けをした張本人でもある。だが、彼はこの春、田村ハルさんと結婚する事になっていた。彼女は、夢小説の中でもそうだが、田村先生の妹で、竹を割ったさっぱりとした性格をしている。他人に媚びる事なく、真っ直ぐで、僕は巴さんの次に彼女が好きだった。 「お前、ホント、巴さんの事好きだな?」 何も反論して来ない僕を見て、えっちゃんがそう呟いて来る。大きなお世話だと思うが、諦め切れないこの感情に火を点けたくなくって、 「大きなお世話だ」 と、僕は強がる。ソレに、僕には付き合っている人がいる。だから、何時までも初恋に足を引き摺っている訳にはいかない。駄目なモノは駄目だと諦めを付けないといけなかった。 揺さぶられる心を殺し、僕は「そう言うの、こうちゃんに告白してから言いな」とえっちゃんに言う。言えなかった後悔を彼にはして欲しくなかったから。僕の様に言いたいのに言えないのは辛いとしか言いようがなく、言えない分期待が募って未練ばかりが残るばかりなのだ。 僕は助手席には座らず、後部座席に座る。ハルさんへの気遣いもあるが、付き合っている類の為と言った方がしっくりと来る。巴さんもそんな僕に何も言わなかった。 「じゃ、サクくん、お大事に。また明日ね」 そうにこやかに声を掛け来るこうちゃんが羨ましいと思った。えっちゃんはえっちゃんでフンと鼻を鳴らして、僕が言った言葉を素直に受け止めている様だった。彼も彼なりに思う所があったのだろう。ゆっくりと発進する中、巴さんがバックミラー越しに、 「学校は、楽しかったかい?」 と、僕にそう聞く。僕は「うん、ソレなりに楽しかった」と答えた。彼とのこんな些細な会話ですら嬉しいと思う事が、類への罪悪感になっているとは巴さんでも解っていないだろう。彼は終始笑顔だ。そんな彼にときめいている僕も相当、馬鹿だが、彼に話し掛けられる程嬉しいのに、心がどんどん掛けて行くのが痛い。「サクラ、心が苦しくなったら、何時でも俺の所においで。慰めて上げるから」そう言ってくれる類の言葉が、今の僕の慰めだった。 「……ゴメン、兄さん。類ん家に送って貰えないかな……」 そう絞り出す様に声を出せば、「今日も彼の家にお泊まりかい?」と聞いて来た。ソレは、問い詰めるモノではない。送迎が必要かと言う巴さんの気遣いだ。彼の中にある僕は、可愛い弟としかないのだろう。「うん、多分そう」と言う声が涙声になりそうだった。グッと堪え、僕は後部座席に頭を埋めた。 「何だか疲れているみたいだね?着いたら起こすから少し寝てな?」 彼はそう言って、「うん」と頷く僕を見たら何も言わなくなった。もっと彼の声を聞いていたいと思っても、こう心が蠢いたら耳を塞ぎたくなる。早く類に逢いたい。ソレばかりを願って僕は目蓋を綴じた。 「……ラ?……クラ?……サクラ?」 そう言って、僕を揺り起こす声に導かれて僕は声がする方に腕を伸ばした。顔に触れる冷たい手や前髪を持ち上げる指先が心地イイ。何よりも差し出した腕を掻い潜って、ぎゅっと僕の事を抱き締めてくれる力強い腕が心地イイ。 「……るい、大好き……」 目蓋が開かない儘僕はそう言う。この匂いもこの心音も、類だと直ぐに解るから。甘えるように唇を突き出せば、彼は優しく親指の腹で僕の下唇を撫でた後、 「ん?俺も、サクラの事大好きだよ」 そう言って、ちゅーと啄むバード・キスをしてくれた。だが、ソレだけ。類は、「理性が利かなくなるから」と僕の不安を掻き消し、僕のぎっくり腰の事を気遣ってくれる。そんな類が大好きで堪らない。 とは言え、流石に、彼の為に部屋の模様替えをしようとしてぎっくり腰になったとは言えなかった。何か、恥ずかし過ぎる。 「……じゃ、もっとぎゅってして……」 僕はそう強張る。彼の温もりが欲しい。そう彼に素直に求める事が出来るのは、彼が僕をこの閉ざされた世界から救い出してくれる唯一の救世主だから。彼の隣は心が安定し、とても穏やかでいられる。 「安心する」そう呟いて、僕は彼の匂いをクンクンと嗅ぐ。すると、彼は僕の爪先を人差し指で撫で、 「サクラ、俺もココにキスをしてイイ?」 そう聞いて来た。ソコは、巴さんが口付けをした場所だった。類は知っている。彼と二人でスケート場に行った時に、ループ、サルコウ、トゥループを含む三種類四本の四回転を着氷した僕を見た巴さんが僕の事を叱り、だが、ソレは彼の思い過ごしで、その詫びにと彼が僕の爪先に口付けをしたのを見ていたから。だから、類はココにキスをして、巴さんと僕の縁を絶ち切りたいと願っているのかも知れない。類は優し過ぎる。僕は彼の申し出を、 「イイよ」 そう言って承諾した。ソレで、僕が類の腕に掬われるなら、僕が巴さんの世界から逃れられる事が出来るなら、この気持ちも、想いも全て絶ち切って無くして欲しいと思ったから、僕は類の胸にぎゅっとしがみ付いた。  

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