2 / 38
第1話 冬馬
一昨年の一年間はかなりまずかった。
高校入学と同時に誘われたバンド活動。元々同じ中学のOBで組まれていたバンドだったのだが、脱退するメンバーの代わりとして後輩で軽音学部だった俺に声がかけられたのだ。
皆大学生か社会人のため練習は夕方から、学校の最寄駅から電車で三十分ほどの市街地の楽器店のスタジオを借りて行っていた。
少しずつ形になっていくのが楽しくて冬馬はどんどんバンド活動にのめり込んだ。ギターを弾いている時だけは嫌なことも忘れられる。
毎日毎日、学校の授業を受けながら早くバンドの練習がしたいと考えていた。
それから次第に学校に行く事自体が煩わしく感じて、学校をサボって一人で午前中からスタジオに入り浸った。
そんなことを繰り返していたら、高校一年目にしてあっさりと留年してしまった。
旅館経営で忙しかった両親、特に母親の方は自分が気を配れなかったからだとひどく落ちこんだ。
そして落ち込む期間が終わると今度は烈火の如く怒った。
もちろん「今すぐにバンドはやめなさい!」と怒鳴られた。
でもそれだけは絶対に譲れない。
なんとか母親に説得を試みた結果、バンドを続ける条件として定期テストは必ず全教科80点以上を取ることを約束させられた。
正直な話、勉強は好きではない。
頑張っても苦手な教科で平均点以上だって取れる気がしなかった。
約束が果たせずバンドを辞めさせられる日はそう遠く無いかもしれない。
昨年の四月はそんな気の重い新学期の始まりだった。
それでなくとも留年しているため、一つ年下の同級生達からの視線が痛い。
無愛想な性格も助長して近寄りがたい雰囲気が出ているのだろう。だからといって今更愛想のよい性格にはなかなかなれない。
昨年学校にあまり来なかったせいで、二年に進学した元同級生達にも友達と呼べる奴はいない。
それでも80点以上をとるために、苦手な早起きをして重い足取りで高校へと通った。
世南と初めて話したのはそんな気の重い新学期から一週間たった頃だった。
春の初めの短縮授業も終わり、六限目まで授業が始まった日。
ただでさえ高校の最寄りの駅からの電車は本数が少ない。一本でも乗り過ごすとバンドの練習時間が減ってしまう。
帰りのホームルームが終わると冬馬は一目散に教室を飛び出した。
二階から急いで一階の下駄箱へと向かう。
タンタンと音をたてて駆け降りていると、同じようなリズムがもう一つ聞こえてきた。
ふっと上に視線を向けると、バラバラの黒髪の前髪をなびかせるようにして一人の男子生徒が冬馬と同じ速さで駆け降りてくる。
その生徒も冬馬に気がつくと「おつかれ!」と言って軽く手を上げた。
「・・おう・・」
急に話しかけられたため、冬馬はとっさに言葉が出ず小声で返事をした。
「もしかして15:47の電車に乗りたい人?」
彼はニコニコと笑いながらも階段を駆け降りる足は止めない。冬馬もつられて横に並び一緒に階段を降りながら言った。
「そう。お前も?」
「うん!六限目までだとギリギリだよね。走らないと間に合わなさそう」
二人は階段を降りきると下駄箱まで走りバタバタと靴を履き替える。
それから再び学校から駅までの道を並んで走り始めた。
「ねぇ!同じクラスの竹ノ内君だよね?」
黒髪の男子はハァハァと肩で息をしながら話しかけてくる。
「・・お前もC組?」
名前を知られているとは思わず冬馬は少し警戒心をあらわにした。
「そう!藤野世南。よろしくお願いします!」
「せな?変わった名前だな」
「母親が考えた名前なんだって!世界の世に南って書いて世南。竹ノ内君の名前は?」
「・・冬馬。冬に馬」
「おぉ〜!確かに冬馬って感じの雰囲気!」
世南は笑顔で返してくる。
「竹ノ内君はなんで急いでるの?」
「・・これからバンドの練習があるから」
「バンド〜!かっこいいね!」
「お前は?」
「俺は妹達の保育園のお迎え!高校生になったからお迎えに行ってよくなったんだ。去年まではまだ中学生だからダメだったんだけど」
「へー・・」
そんなに小さな妹がいるのかと頭の中で思ったが、口から言葉が出る前に駅に着いてしまった。
「あっ!電車きそう!」
世南がそう言って指差した方を見ると、赤色の二両編成の電車が走ってくるのが見えた。
二人は急いで駅に入ると急いで下り線のホームへ向かう。そしてちょうど駅に到着した電車へ飛び乗った。
車内はガランとしている。二人は入ってすぐの座席に並んで座った。
「ふぅ〜本当ギリギリだったね。ホームルーム延びたら間に合わないなぁ」
「・・そうだな」
冬馬は静かに息を整えながら相槌をうつ。
「竹ノ内君はどこまで乗るの?」
「終点まで」
「終点かー!結構乗るね!俺は二つだけ!」
そう言って世南はピースサインをした。
「なんだ、すぐじゃん」
あまり人と話すのが上手くない冬馬だが、世南は不思議と話しやすく言葉に詰まることなく会話が続いた。
何気ないお喋りをしているとあっという間に世南の降りる駅に着いた。
「じゃぁ、また明日!」
世南はそう言うとピラピラと手を軽く振って電車を降りて行った。
それからもほぼ毎日、冬馬と世南の放課後ダッシュは続いた。
走りながら学校や家のたわいの無い会話をする。
世南には12コ下の双子の妹がいること。
家事や育児を積極的に手伝っていること。
そのために部活は入る予定がないこと。
冬馬が留年していることを知らないのか、年上だからと気をつかう壁がない。それが冬馬は嬉しかった。
それから少ししてゴールデンウィーク明けには放課後ダッシュのメンバーが一人増えた。
連休中にバイトを始めたという小森だ。
小森は冬馬と世南とは逆の上り線の電車に乗るのだが、駅まではいつも一緒に走った。
冬馬や世南よりも小森はお喋りでいつも早口で自分のことを話し続ける。
てっきり人見知りをしない性格なのかと思ったがそういうわけではないらしい。
話し続けるのも気まずくならないための小森なりの気遣いのようで、クラスでは空気を読むように静かにしていた。
それは世南も同じで、クラスに自然と溶け込むように出しゃばらず、しかし引っ込み過ぎもせずずっと穏やかな顔をしている。
二人とも空気を読むのがうまい。
無愛想で無口な自分とは大違いだ。
だからなのか、冬馬にとってはこの二人といることがとても楽だった。
「冬馬君!」
ある時小森がそう呼び始めた。
「竹ノ内君って呼ぶと長いじゃん!」というのが理由だそうだ。
それから自然と世南も「冬馬君」と言うようになった。
自分が名前で呼ばれるならと、冬馬も二人を名前で呼ぶことを提案したところ世南からは了承を得られたが小森は恥ずかしがって嫌がった。
「最初に名前で呼び始めたのは小森だろ?」
「そうだけど・・俺名前で呼ばれるとなんか背中が痒くなるんだよ〜」
「あはは!何それ!」
身体をくねらせる小森を見て世南が大きな声で笑う。
そんな二人の様子を見て冬馬は目を細めた。
最初は気が重かった二回目の高校一年生。それは冬馬にとって想像以上に楽しく穏やかな時間になっていた。
「冬馬君、今日もしかして誕生日?」
そう世南が聞いたのは12月1日、いつも通り放課後ダッシュで乗り込んだ電車内でのことだった。
「・・そうだけど。なんで知ってんの?」
「やっぱりかぁ!冬馬君のギターケースのキーホルダーに日付が書いてあったから!」
「あぁ・・」
冬馬は肩からかけたギターケースのジップの部分に目をやった。
そこには『12.1』の文字と犬のイラストが描かれたキーホルダーが付けられている。
小学生の時、近くの児童館でプラバンで作ったものだ。
念願のギターを買った時、自分の物だと分かるようにとりあえず机の引き出しに入っていたこのキーホルダーを付けた。とくに思い入れがあるものではない。
「誕生日おめでとう!今日で16歳かぁ!」
世南がニコニコしながらそう言った瞬間、冬馬の心臓がドクンと鳴った。
そうか・・世南は自分が留年していることをまだ知らないのか・・
一瞬そのまま流そうかと思った。
しかしいつかはバレることだ。ここで言わないのもおかしい。
冬馬は乾いた唇を一度ペロリと舐めると小さく口を開いて話した。
「違う。今日で17歳。俺、去年留年してるから。本当は世南よりひとつ年上」
世南は黒目を見開いて冬馬を見つめる。
それから一つテンポを遅らせてから「えっっ!!」と大きな声を出した。
「そうなの⁉︎知らなかった!なんだ〜もっと早く言ってよ!」
世南は腰に手を当てて冬馬を覗き込むようにして言った。
「冬馬君、水臭すぎない⁉︎何ヶ月こうやって一緒に帰ってるんだよ!」
「いや・・なんか言いずらいじゃん。留年してるって。それに年上ってわかったら気使わせるかなとか・・」
「あぁ〜、なるほど。冬馬君優しいな。えっ、でももう気使わなくていいよね⁉︎今更敬語とかできないよ⁉︎」
「いや、それはもちろん・・むしろ敬語とはやめてほしい・・」
「あはは!よかった!」
世南は元気に笑って言った。その笑顔を見て冬馬はホッと胸をなで下ろす。
どんな反応をされるのか本当は少し怖かったのだ。
「ちなみに、なんで留年したの?体調悪かった?」
「・・いや、バンドに夢中になり過ぎて授業出なかったから」
「えっ⁉︎留年するほどサボってたの⁉︎」
「まぁ・・だから今年はバンド続ける条件として定期テストで80点以上とることを親に言われてる」
「あぁ〜、なるほど!だから冬馬君テスト前は必死に勉強してるんだね!」
「世南のノートが分かりやすくて正直かなり助かってる。ありがとう・・」
冬馬は少しバツが悪そうな顔で言った。
「あっはは!どういたしまして!それなら俺も一緒に勉強頑張ろうかな!冬馬君のバンドいつか見に行きたいし!」
「・・今度のクリスマスに・・一応合同のライブイベントには出るけど」
「えっ!そうなの⁉︎行きたい!」
「・・明日チラシ渡すわ」
「ありがとう!」
世南が明るく笑ったと同時に電車が駅に着いて止まる。
「じゃあまた明日!」と手を振って世南は降りて行った。
冬馬は電車のドアにもたれかかるようにして外を眺める。
それから一人ゆっくりと歩いていく世南の後ろ姿を見つめた。
先ほどまで隣にあった光が、遠くに飛んでいってしまうようなそんな不思議な気持ちになった。
後日、冬馬は小森にも年齢が一つ上であることを告げた。すると小森は「知ってたけど?」とケロッとした顔で言った。
小森はもともと冬馬が留年している事を知っていたが、気をつかって言わないようにしていたらしい。
やはり気遣い屋で真面目なやつだ。
クリスマスのライブには世南と小森、二人で来てくれた。
二人とも楽しそうに聞いてくれて冬馬にとっても心に残るクリスマスになった。
そして一年生の定期テストもすべて80点以上を取ることができ、冬馬は無事にバンド活動を続けたまま進級することができたのだった。
ーー
一年の時と同じ担任の松下先生が教室に入ってきたので、冬馬は自分の出席番号の机に座った。
一番後ろの席だ。冬馬は心の中でガッツポーズをする。
さっそくうつ伏せになろうとした時、前の席に座った生徒がクルリと振り向いて言った。
「よろしく〜!俺白瀬康成、元A組!」
「・・竹ノ内冬馬。元C組」
寝ようとした所を遮られたので少し不満そうな顔で冬馬は気怠そうに返す。
しかし白瀬はそんな冬馬のことなど気にもせず笑って言った。
「おぉ〜!2年連続C組か〜!竹ノ内君いい髪色してるね!音楽とかやってる⁉︎」
「バンドやってるけど・・」
「やっぱり〜!かっけ〜!」
声の大きなやつだな・・と冬馬が思った瞬間「白瀬!静かにしろ!」と松下先生の怒鳴り声が響いた。
「は〜い」
白瀬は軽く返事をするとぺろっと舌を出して笑い体の向きを前に直した。
騒がしいタイプの人間はあまり得意ではない。冬馬は小さなため息をついた。
それから体育館での始業式が終わり再度教室に戻ると松下先生は生徒達にこう告げた。
「えーっと。とりあえず今日中に5月の体育祭の委員だけ決めておこうと思う」
その言葉に教室中がブーイングを起こす。
「仕方ないだろう、体育祭はすぐなんだから。早く決まれば早く帰れるぞ〜。2名、誰かやる奴いないか?」
先生のその言葉を聞くと、生徒達はチラチラと周りの様子をうかがいだした。早く誰か手を上げてくれと無言の圧力をかけあう。
しかし誰も進んで手を挙げるものはいない。この時期、部活動をやっている者は新入部員勧誘などで忙しい。体育祭委員は文化祭委員に比べれば仕事量は少ないものの、短期間の間に仕事が集中している。
さらに新クラスのクラスメイト達をまとめなくてはいけないのはプレッシャーだ。
誰も手を挙げずジッとしていると松下先生が冬馬をチラリと見ながら言った。
「竹ノ内、去年何もやってないんだから今年どうだ?部活も入ってないだろ」
「えっ・・」
いきなり名前を呼ばれて冬馬は眉をひそめる。
「一回は大きな仕事しておいた方が受験の時も有利だからな」
松下先生はそう言って腰に手をやった。
おそらく先生なりに一度留年している冬馬のことを思って言っているのだろう。
受験や就活で留年してしいるという事実は足枷になることは容易に想像できる。
しかし・・この春は冬馬にとって大切なイベントがあった。GW中に街のライブハウスで行われるイベントに参加するのだ。今回のイベントは今まで参加してきた中でも最も規模が大きくずっと憧れていたバンドも参加する。
自分も完璧なステージを見せたい。
練習の時間は一分だって逃したくない。体育祭の準備に取られている場合ではないのだ。
冬馬が返事に困って黙っていると、「はい」という声が聞こえた。
声の方に目をやると世南がスッと手をあげている。
「先生、竹ノ内君GWまで忙しいらしいので俺やります。俺も部活入ってないし」
「そうなのか竹ノ内?」
松下先生は冬馬の方を見る。
「・・まぁ、そうです・・」
冬馬は世南の背中をチラリと見ながら言った。
春休みから世南と小森にはライブイベントの話はしていた。それをどれほど楽しみにしているかも。
しかしこんな形で変わってもらっていいのだろうか・・世南だって妹達の世話があるはずだ。
冬馬が掌をギュッと握りしめ考えていると、再び「はい!」という声が聞こえた。
その声は目の前に座る人物から発せられたものだった。
「俺も!体育祭委員やりま〜す!これで決まりだよね?先生!」
白瀬が頭上に上げた掌をプラプラとさせながら言った。
「はぁ〜⁉︎白瀬部活どうすんだよ⁉︎」
「はい!目立ちたがりキタ〜!」
クラスメイト達が囃し立てるように笑う。
「うっせ!委員は先にやったもん勝ちだろ!お前ら譲らねぇからな!」
白瀬も笑いながら大きな声で返す。
「白瀬、お前テニス部だろ?忙しくないのか?」
松下先生は首を傾げながら聞く。
「大丈夫っすよ!なんとかなるっしょ。って事であと頼んだわ、お前ら!」
白瀬はそう言って教室を見回す。おそらく同じテニス部の生徒達に向けて言ったのだろう。
言われた生徒達は「ふざけんなよ」などと文句を言いながらもみな笑っている。
それだけでこの白瀬という人物が周りから好かれているのが分かる。
自分とはなんとも真逆の人種だなと冬馬は思った。
「それじゃぁ、体育祭委員は藤野と白瀬で決まりだな。帰る前に体育科の藤堂先生の所に行ってプリントだけ受け取ってくれ」
松下先生はそう言うとホームルームをあっという間に終わらせた。
「世南」
それぞれ下校の準備をし始めた生徒達の間をぬって冬馬は世南の方へ駆け寄った。
「・・ごめんな。お前大丈夫なのか?」
「大丈夫!大丈夫!さっき小森にも言ったんだけど母さんの部署が変わって前より仕事が楽になるんだって。だから去年より自由に動けるよ!」
世南はヒラヒラと手を振って笑顔で応える。
「そうか・・」
冬馬は申し訳なさそうに黙った。口下手な冬馬は感謝と謝罪の言葉がうまく出てこない。
そんな冬馬の気持ちを察したのか世南はポンと冬馬の腕を叩いて言った。
「冬馬君のライブ楽しみにしてるから!小森ともう予定空けてあるんだからさ!練習頑張ってよ!」
「世南・・」
『ありがとう』、そう言おうとした時だった。
「藤野!」後方から聞こえた声にお礼の言葉は遮られた。
後ろを振り返ると白瀬が黒いリュックを肩から下げて立っている。
「体育祭委員よろしく〜!藤堂さんのところ今から行くだろ?一緒に行こうぜ」
白瀬は初対面とは思えない距離感で世南に笑いかけてきた。
「あっ・・うん」
世南は一瞬言葉に詰まったような表情を見せたがすぐに小さく頷く。
「じゃぁ、練習頑張ってね!バイバイ!」
それから冬馬に手を振ると世南は白瀬と一緒に教室を出て行った。
自分は去年からずっと世南に助けられているな・・
本当のことを言うと、今日早く学校に来たのはクラス替えのことが気になったからだ。
同じクラスに世南の名前を見つけて心底ホッとした。
そして胸を撫で下ろしてから気づいてしまった。
俺は、自分が思っている以上に世南に依存してしまっているのかもしれない。
音楽以外に・・無くては困るものを見つけてしまった。
ともだちにシェアしよう!