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第2話 世南
双子の妹。
愛佳と夢佳。
二人が生まれた時、まず思ったのは「嬉しい」よりも「どうしよう」だった。
「おにいちゃん、いってきます〜!」
「おにいちゃんもおべんきょうがんばってね!」
同じポニーテールの髪型をぴょんぴょんとさせながら、二人は元気に玄関で飛び跳ねて言った。
「いってらっしゃい。怪我には気をつけろよ」
世南はニコリと笑って手を振る。
「じゃぁ世南君、戸締りよろしくね。お茶碗洗いもよろしくお願いします。今日のお迎えも私が行けそうだから、放課後ゆっくりしてきて大丈夫だからね」
ベージュのスーツに身を包んだ母がヒールの靴を履きながら言った。
「うん。了解です。体育祭委員になったからこれからちょっと放課後忙しいかもしれないんだ。だからお迎え行けない日が増えるかも」
「あら、そうなんだ。大丈夫よ、世南君も色々青春しなくちゃね。当分仕事忙しくないから心配しないで」
「うん、ありがとう」
「じゃぁ、行ってきます」
母の言葉を聞き世南はニコリと笑って手を振る。
母と二人の妹は仲良さそうに玄関を出て行った。
一人残されたリビングダイニングへ戻る。
それからキッチンへいくと、シンクにつけてあるお皿を一枚ずつ洗い始めた。
今の時刻は7時10分。遅くても25分には家を出なくてはいけない。そうしないと7時40分の電車に間に合わないからだ。それを逃すと次の電車は30分後。確実に遅刻してしまう。
家から駅までは普通に歩いて20分ほどの距離だ。町の真ん中を流れる大きな川の橋を必ず渡らなくてはいけないため近道はできない。
自転車があれば余裕なのだろうが、子どもの頃教わらなかったこともあり世南は自転車がいまだに乗れないでいる。
急いでお皿を洗い終えると、洗面台で歯磨きをしリビングに置いてあった鞄を肩にかけてバタバタと戸締りをして玄関を出た。
少し早足で歩き、橋を渡ったあたりで小走りを始める。そうするとちょうど電車が着く1分ほど前に駅に到着できるのだ。
二両編成の赤い電車がホームに入ってくる。世南は息を整えながら空いている席に座った。
ちょうど車窓からは妹達の保育園が見える。時々手を振ってくれるが遊びに夢中だと気づいてくれない。
今日はどうかなと窓の外を見ると、愛佳と夢佳がぴょこりと保育園の窓から顔を覗かせながら手を振っているのが見えた。
世南はふふと微笑む。
可愛い妹達だ。自分とはあまり似ていないと思うが、半分は血が繋がっているのだ。きっとそのうちどこか似てくる部分があるだろうと信じている。
自分が本気で妹達を可愛がっていることが分かれば母も父も安心してくれるはずだ。
母とは今でも敬語で話してしまう時がある。
それは仕方がない。母とは親子になって六年。はじめは父より10個も下の女性を母とは思えなくて戸惑った。しかし今は「母さん」と呼ぶことに抵抗はなくなってきたのだから進歩したと思いたい。
ガタンゴトンと電車の振動が体に伝わる。
世南はふと膝の上に置いた鞄の中に目をやった。
透明のクリアファイルに一枚のプリントを挟んである。
昨日体育科の藤堂先生から受け取ったものだ。
自分の分は二つに折って別のファイルに入れてある。これは白瀬の分だ。
今日、会ったらすぐに渡さなきゃな・・
そう思っているが気が重い。
白瀬とは友人だった。
けれどそれはほんの一時の話だ。
『あの日』、どうすれば正解だったのかわからず、逃げてしまった。白瀬からも、自分の気持ちからも・・そのまま二人の関係は止まってしまっている。
「おはよ!」
学校に向かう途中で小森が後ろから声をかけてきた。
「おはよう。小森は朝から元気だねぇ」
「朝は元気なもんだろ!一日で一番体力がある瞬間じゃん!」
「それ、冬馬君に言ってみなよ、無言で睨んできそう」
「何言ってんだって顔でだろ!冬馬君、朝本当弱いよなぁ」
二人でケラケラと笑いながら歩く。
その時、球を打ち抜く乾いた音が響いてそちらに目をやった。学校のグラウンド横のテニスコートで白瀬ともう一人男子生徒が打ち合っている。昨日、廊下で白瀬に声をかけていた人物だ。
制服のままなので正式な練習ではないのだろう。シャツの袖とスラックスの裾を捲り上げて笑いながら球を追いかけている。
「あの人、同じクラスの人だよな?藤野と一緒に体育祭委員になった・・」
小森がそう言いながら世南を見た。
「うん、そうだねぇ」
世南は笑って答える。
「体育祭委員大変そう?」
「どうかな。でも白瀬がいれば上手くいくんじゃないかと思うよ」
「藤野、白瀬君のこと知ってんの?」
「・・クラスは違ったけど、中学一緒だったんだ。昔から白瀬は目立つタイプだったから」
「かぁ〜!一軍ってやつだ!そんじゃあ仕切るのは白瀬君に任せておこうぜ!平民は下手に前に出ちゃダメだ!」
「はは!なんだよそれ!誰が平民だよ!」
世南は笑いながら小森の肩を小突く。
しかし小森の言っていることは正解だ。こういう事は白瀬のようなタイプに任せておくのが一番なのだ。
きっと少数意見も白瀬が賛成すればあっという間に覆されるだろう。
白瀬の考えがマジョリティになる。白瀬はそんな存在なのだ。
世南と小森が教室に入ると何人かがもう机に着席していた。
世南も自分の席に着くと鞄の中のファイルを取り出す。
今のうちに白瀬の机に置いておこうか・・しかし何も言わずに置くのは感じが悪い。これから一緒に委員をやるのだから今のうちにシコリは取っておいた方がいいのだろう。
現に昨日の白瀬の態度を見ると、もう『あの日』の事はなかったことになっているのかもしれない。
それならこちらもそうするべきなのだろう。白瀬に合わせておいた方がきっとうまくいく。
そんな事をジッとファイルを見つめながら考えていると、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきた。
「おはよー!」
大きな声と同時に勢いよく教室の扉が開く。
汗ダクでブレザーを肩から掛けた白瀬と、その白瀬を数人の生徒が取り囲むようにして入ってきた。
「白瀬ヤバ!こっちくんな!濡れすぎだろ!」
白瀬の隣の生徒が笑いながら言う。すると白瀬はパタパタとシャツの首元を仰ぎながら答えた。
「いやぁ春なめてたわ〜。朝涼しかったのになぁ」
「え〜、白瀬私のジャージ貸したげよっか?」
白瀬の後ろにいた女子生徒が上目遣いで聞いた。すると周りの男子生徒が囃し立てるように手を叩く。
「ふぅ〜!白瀬ラッキー!」
しかし白瀬はそれに動じる事なく笑って言った。
「サイズ違うじゃん!気持ちだけ受け取っとく〜!ありがと〜」
いつも賑やかだな・・
世南はその様子を見ながらフゥと息を吐く。
それから白瀬が自分の席に着くのを待ってから世南は立ち上がった。
まだ数人の生徒が白瀬の周りで談笑している。
「白瀬」
世南は彼らの話を遮らないタイミングで声をかけた。
白瀬が世南の方へ目を向ける。
「おはよ、これ昨日の体育祭委員のプリント」
そう言って一枚のプリントを渡す。
「おぉ!ありがとう!昨日ごめんなぁ〜」
白瀬は軽い口調で受け取ると、プリントに目を通した。
「来週さっそく集まりあるんじゃん。あとは種目決めか。まぁこの辺はうちのクラスには鮎川いるから余裕でしょ〜。なっ!鮎川!」
白瀬が大きな声で机に突っ伏していた鮎川に声をかけた。
鮎川は不機嫌そうに顔を上げる。
「うるさいな。お前と違ってこっちはまじめに朝から練習してるんだよ。寝かせろ」
そう言うと鮎川は再び机に突っ伏して寝始める。
「鮎川君、本当ツンデレ決めてんなぁ。外回りの時はいつも一緒に走ってくれんのに。テニス部と陸上部、外回りで走るのが同じ曜日でさ。鮎川君、マジで足速いよ。体育祭絶対ヒーローになるから」
白瀬は笑いながら自慢げに世南や周りの友人達に話す。
すると一人の友人が茶化すように言った。
「白瀬、鮎川のことめっちゃ気に入ってるよな。鮎川君、顔綺麗だからって狙うなよ〜」
周りもケラケラと笑い声をあげる。その時、バンっという音が響いた。
白瀬の掌が机を叩いた音だ。
「俺、鮎川のことガチで尊敬してるからね。俺なんかが狙ったらおこがましいわ」
白瀬はニコリと笑って言った。しかし声に凄みがある。その雰囲気に周りは一瞬息を呑んだ。
「世南」
張り詰めた空気を裂くように世南の名前が呼ばれる。
振り向くと、冬馬が白瀬の後ろの席に座ろうとしていた。
「おはよ、何してんだよ?」
冬馬の姿を見て世南は少しホッとする。
「・・冬馬君、おはよ。今日も一限目間に合ったじゃん」
「今日はな、たまたま駅まで車で送ってもらえたから。それなかったらアウトだったわ」
冬馬は眠そうにあくびをしながら答えた。
世南は白瀬の机から少し後ろに移動し冬馬の机の前に立った。
「冬馬君、昨日何時まで練習してたの?」
「気がついたら10時になってた。でも先輩の車あったから11時前には家着いてた」
「いや、11時遅いでしょ。朝弱いんだから少しは早く寝る努力をしなって!」
「GWのイベント終わったらな、考えるわ」
「絶対考えないやつじゃん」
世南がため息をつきながらも笑う。
「ホームルーム始めるぞ」
松下先生の声が前から聞こえた。気がつくともう教壇に立っている。
世南は冬馬に「じゃあね」と言うと自分の席へと戻っていった。
結局、まともに白瀬と話す事はできなかった。
常に周りに誰かがいる人物だ。二人きりで話す機会はそうそうないかもしれない。
白瀬自身も大勢の友人と賑やかに話している方が好きなタイプだろう。
きっともう、『あの事』についても何も思っていない。もしかしたら覚えてすらいないかもしれない。
だったらこちらも、変に意識をするのはやめよう。
ただのクラスメイトとして接していけばいい。
そう思いながらチラリと白瀬の方に目を向ける。
大きな口であくびをしながら、気怠そうに先生の話を聞いている。
こうやって、普通に教室で過ごす姿を見ることが今までなかったので新鮮だ。
そう思って見ていると、一瞬パッと目が合ってしまい慌てて前を向く。
変に意識していることを悟られたくはない。
普通のクラスメイトになるのだから。
でも・・
でも、本当は聞きたかった。
あの時、どうしてあんな事をしたのか。どう思っていたのか。
あれは熱に浮かされただけのものだったのかを。
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