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第2話 冬馬
朝はいつも誰かの話し声で目が覚める。
お手伝いさんが何人かいるので、だいたいはその人達の声だ。
大あくびをしながらリビングへ行く。
祖父と祖母がのんびりとお茶を啜っていた。
「冬馬おはよう。薫子は吹奏楽部の朝練でもう学校行ったよ。あんたも早く朝ごはん食べないさい」
祖母がそう言って大きなダイニングテーブルに置かれたお皿に目を向ける。
目玉焼きとサラダが乗った白い皿だ。冬馬がその皿の置かれた席に座ると、お手伝いさんがすぐに温かいご飯と味噌汁を持ってきた。
のんびり食べてる余裕はないんだけどな・・
そう思ったが、我が家は朝食にうるさい。ちゃんと食べなければ目の前に座る祖母からお叱りの言葉が飛んでくるだろう。
今でこそゆったりとした雰囲気の祖母だが、女将として旅館で働いて頃は現場をバリバリと仕切る厳しい人だったらしい。
冬馬は急いで目の前の朝食を食べると、「ごちそうさま」と言って席を立った。
それから慌ただしく玄関を飛び出す。庭の手入れをしていたお手伝いさんから「行ってらっしゃいませ」と声をかけられた。
庭を抜けて門を出ると目の前が坂になっている。
そこを登るとこの辺りでは一番大きな老舗の温泉旅館が建っている。両親が経営する旅館だ。
国内でも有名な温泉地であるこの辺りにはたくさんの温泉旅館がある。その中でも我が家が営んでいる旅館は、由緒ある高級旅館として有名だ。
おかげで子どもの頃は「おぼっちゃま」なんて言われて揶揄われた。
しかし自分自身は温泉にも旅館にも全く興味はない。
現在中学三年生の妹が将来継いでくれればいいと思っている。両親もそちらの方が嬉しいだろう。
家の目の前の坂を旅館とは逆方向に降りて行く。
昨日はたまたま旅館の送迎バスの運転手が拾ってくれて駅まで送ってくれた。
しかし今日は会えなそうだ。一限の最初から授業を受けるのは諦めよう。
今はGWのイベントに向けてバンドの練習も大詰めだ。
演奏する曲はオリジナルの物でボーカルを担当している先輩が作詞と作曲も行っている。他にドラムとベース、そしてギターの冬馬を入れた4人組のバンドだ。
みな気のいい兄貴のような存在で冬馬はとても信頼してる。後から加入した冬馬のことを弟のように可愛がってくれるのも居心地がいい。
家にいる方がずっと息苦しいんだよな・・
冬馬は首元のネクタイを緩めると坂を駆け降りて行った。
教室の扉を開けると、ちょうど現代文の授業中だった。
一瞬、ピタリと音が止みクラスメイトの視線が自分に集まる。冬馬は下を向いて「遅れました〜」と言いながら席に座った。
「竹ノ内君、朝ダメな人?」
前の席の白瀬が振り向いて小声で聞いてきた。
「朝無理なひと」
冬馬はそう答えると、怠そうに現代文の教科書とノートを出した。
「言ってくれればモーニングコールしたげるよ〜」と白瀬は意地悪そうに笑う。
白瀬のそのノリが合わず「平気っす」とボソッと言うと、会話を切るように教科書に目を落とした。
「世南」
教室についてから10分もなしないうちに終了をしらせるチャイムが鳴った。
冬馬はすぐに世南の席へ向かう。
「悪い、ノート見せて」
「2年生の無遅刻記録はたったの二日間で終わったね!」
世南はそう言いながら笑うと、パサっとノートを渡した。
「冬馬君、俺一応電話かけたんだけど?!」
小森がプンプンしながらやってきた。
「うん。なんか鳴ってるなって思いながら寝てたわ」
「ひどい!!」
「小森は世話焼きだよなぁ。いい彼氏になるって!」
「その予定は今のところ全然ないけどな。バイト先に可愛い子がいるんだけどさぁ・・」
世南と小森の会話を聞きながら、パラパラとページを捲る。几帳面な字で先ほどの授業内容がキッチリと書いてある。
「ありがと世南。すぐ写すわ」
冬馬はノートを片手に自分の机に戻った。
それから世南のノートを見ながら同じように自分のノートに書き写す。
「遅刻はするけど真面目なのね」
またも前から白瀬が軽い口調で話しかけてきた。
「一応学生なんで」
冬馬はノートを見つめたまま答える。
「藤野の字って読みやすいんだなぁ。知らなかった」
白瀬のその言葉を聞き冬馬は顔をあげた。
「世南と知り合いなのか?」
「中学一緒。でも同じクラスになったのは今年が初めて」
そう言って白瀬はピースサインをする。
「ふーん・・」
冬馬はそれ以上聞くことはないと思い、再び下を向いて書き始めた。
同じクラスになるのが初めてなら親しいわけではないのだろう。
実際教室で話しているのを今のところほとんど見たことがない。
そんなことを考えながらシャープペンシルを走らせていると、白瀬が再び話しかけてる。
「竹ノ内君はさぁ、藤野と仲良いの?」
「まぁ。去年も同じクラスだったからな」
なんでそんなことが気になるのかと思いながら冬馬は答えた。
「へぇ。それだけ?名前で呼んでるからかなり仲良いんだなって思ったけど」
「向こうが名前で呼ぶからこっちも呼ぶことにしただけだよ」
「・・そうなんだ」
白瀬は視線を冬馬の手元に落としながら言った。
見られていると思うとなんとなく書きづらい。
早く前を向くかどこかに行ってくれないだろうか。
しかし白瀬はさらに話を続けた。
「藤野にさ、妹がいるの知ってる?」
「・・知ってるけど。双子だろ?」
「そうそう、二人ともまだ小さくて可愛いよなぁ。お兄ちゃんって呼ばるの憧れるわぁ!」
「俺も妹だけど。別にそんなにいいもんじゃない。生意気だし」
「へぇ!竹ノ内君妹いんるんだ!いいじゃん〜!」
何がいいんだ。というかいつまで話しかけてくるんだ・・と思っていると、一人の男子生徒が近づいてきた。
「なぁ白瀬!これ見て!まじウケるから!」
そう言って白瀬にスマホを向ける。
「なになに?」
白瀬はスマホの画面を見るため、前に向き直した。
それを見て冬馬はホッとする。
やっと会話が終わった。
早く世南から借りたノートを写さなくては。
冬馬は再び忙しなくシャープペンシルを走らせ始めた。
「世南、白瀬と同じ中学だったんだな」
お昼休み、冬馬は購買で買った焼きそばを食べながら言った。
「え?」
世南はおにぎりを食べる手を止めると冬馬を見る。
「さっき白瀬から聞いた。でも別にそんな仲良いってわけではないんだろ?」
「あぁ、まぁ。同じクラスになったの初めてだし」
世南は笑って言うとおにぎりにかじりついた。
「あっち一軍じゃん。人種が違うし。なんかこえーもん」
小森はお手製の大きなおにぎりにかぶりつきながら言う。
「なにが恐いんだよ?同じ高校生だろ」
冬馬は眉間に皺を寄せる。
「いや、別に悪い意味じゃないけどさ。ノリとか違うからさ。でも向こうの勢力強うそうだし合わせなきゃ淘汰されそうというか・・」
小森はモゴモゴと言う。
「そんな面倒くさそうなこと起こんねーよ。なぁ?世南」
「大丈夫っしょ。というか冬馬君のが雰囲気だけならよっぽどとっつきにくくて恐いじゃん!」
「おい!」
冬馬は隣でケラケラと笑う世南を肘で小突いた。
「冬馬君は雰囲気が恐いだけで、人に興味ないのがわかるから恐く無いんだよ!恐いのはやたらと人に興味ありそうに絡んでくるタイプ。それで勝手に向こうで評価とかされてそうで恐い・・」
「小森、なんかあったのか?」
世南が首を傾げて聞く。
「別に。でも中学の時もいたじゃん!そういう学校のトップグループみたいなの。何言われてんだろって恐かったなぁ」
「あぁ・・まぁね。あるね確かに」
世南も思い出したように首を縦に振る。
「同じ同級生なのに、なんか逆らえない・・みたいなのあったなぁ」
「そうかぁ?」
冬馬はあまり思い当たらず不思議そうに聞いた。
周りの顔色をよく窺う小森はともかく、世南が後ろ向きな話に同意するのは珍しい。てっきりどんなことも笑顔で空気を読んで流しているのかと思っていた。
何か嫌な経験があるのだろうか。
同じ同級生なのに。上下関係のようなものがあるなんて煩わしい。
巻き込まれたくなんてない。白瀬達のグループとはあまり関わるのは気が引けるなと冬馬は思った。
帰りのホームルームが終わると冬馬は勢いよく立ち上がった。
チラリと前を見ると、小森もバタバタと準備をしている。
それから横に目を向けると、世南はまだ鞄に筆箱などをしまっているところだった。
「世南、今日は急がない?」
冬馬が自分の席から少し大きな声で話しかける。
「うん、今日もお迎えはいいって言われてるから。先帰ってていいよ」
世南はそう言うとヒラヒラと手を振る。
「わかった。じゃあな。小森!行くぞ」
「おう!藤野、バイバイ」
小森も世南に手を振ると、冬馬の後について教室を出て行った。
「世南、4月になってから本当に余裕ができたよな。去年はずっと妹達のお迎えに必死そうだったのに」
冬馬が小走りになりながら小森に話しかける。
「なになに〜?冬馬君寂しんでしょ〜?」
小森が悪戯っ子のような顔で言った。
「別に、そんなんじゃねーけど・・」
そう言いつつ、やはり少し寂しいのかもしれないとも思う。
一年間一緒に駅まで走るのが当たり前になっていたのだ。隣に物足りなさを感じる。
そんなことを無言で考えていると小森が軽い足取りで階段を駆け下りながら言った。
「・・でも藤野はさ。今まで自分からわざと必死になってたって感じじゃん?俺はちょっと心配だったね」
「心配?」
「なんて言うか、必要とされるためにやってそうって言うか。そこまで気を使う必要あるか?って感じじゃん家族なのに」
「・・・」
小森は時々鋭いことを言う。普段から人の顔色を窺っているからこそ気づくことがあるのだろう。
二人は三階から一階へ降りると下駄箱で靴を履き替えながら話し続けた。
「世南の家、再婚って言ってたもんな。気使うんじゃね?普通にしててもさ。お前だって親父に気を使って自分のお金は自分で稼いでんじゃないの?」
「俺は自分のためだから!心置きなくお金を使うなら自分で稼いだほうがいいじゃん!」
「ふ〜ん、・・ってあれ?」
冬馬は相槌を打ったところで、制服のスラックスのポケットにスマホがないことに気がついた。
「やべ、スマホ机の中に忘れてきた。はぁ・・」
「え、大丈夫?冬馬君」
「あぁ、多分ダッシュで戻れば間に合うだろ。小森行ってて。お前の方が電車先来るだろ」
「うん〜、ごめん冬馬君、ありがとう!」
小森はそう言うとそのまま外へと飛び出して行った。今日もアルバイトに忙しそうだ。
冬馬はその後ろ姿を見送るとせっかく履いた靴を脱ぎ再び上履きに履き替えた。
そのまま急いで来た道を戻る。途中で向こうから歩いてくる世南と目が合った。一瞬目を丸くした後、ニコリと笑って言った。
「あれ?どうしたの冬馬君」
「スマホ教室に忘れた。取りに行ってくる」
「あれま。付き合おっか?」
「いいよ。一人で走って行った方が早い」
冬馬はそう言うと世南に「じゃあ」と言って再び走り始めた。
おそらくすぐに戻れば下駄箱あたりでまた世南に追いつくだろう。
そんなことを考えながら階段を駆け上がって行く。
階段の踊り場で同じクラスの生徒達ともすれ違った。
いつもクラスで大声で盛り上がっているメンバーだ。
珍しくその中に白瀬の姿はない。
特に挨拶をするわけでもなく冬馬はその横をすり抜けていくと、そのまま教室まで戻っていった。
教室の前に着くと、勢いよく扉を開ける。
「ぇ・・?」
もう誰もいないだろうと思っていた教室の中で、一つの人影が驚いたように揺れた。
ベージュブラウンの髪が窓から差す陽に透けている。
「白瀬?」
窓側に近い席の前で白瀬がバツが悪そうな顔で立っていた。
しかしすぐに笑顔になると首を傾げながら冬馬を見つめる。
「竹ノ内君、急に開けたからビビったじゃん!何?忘れ物?」
「え・・あぁ。スマホ・・」
冬馬はそう言うと、自分の席まで行き机の中を覗く。
思った通り黒色のスマホが無造作に置かれていた。それを取るとすぐにスラックスのポケットに突っ込む。
「スマホ忘れるのは致命的すぎるよなぁ。すぐ気づいてよかったじゃん!」
白瀬は腰に手を当てながら冬馬の横まで来ると、ポンと肩を叩いた。
「じゃ、俺行くわ。竹ノ内君また明日な〜!」
そう言うと、白瀬は何食わぬ顔で教室を出て行った。
冬馬はポツンと残された教室を見回す。
一人で何をやっていたんだ?
そう思いながら最初に白瀬が立っていた辺りに目をやった。
あそこの席は・・
世南の席だ。
そう思って冬馬も世南の席へ近づいてみる。
特に変わったことはない。
何か落ちていたのだろうか。しかし机の上にも下にもそれらしき物は見当たらない。
「・・・」
冬馬は白瀬との会話を思い出した。
ただ出身中学が一緒なだけで、同じクラスになるのは初めてだと言っていた。
でも・・
世南の妹のことをよく知っていそうだったな・・
「・・・」
冬馬はツツっと手のひらで世南の机をなぞる。
昼間、小森の話に世南はどんな気持ちで首を縦に振っていたのだろう。
もしかしたら世南も昔、何か嫌な思いをしただろうか。
知り合いだということを話したくないくらいに、今はもう白瀬とは関わりたくないのかもしれない。
白瀬達のグループとはあまり関わらないようにしようと思っていた。
けれどもし・・世南と白瀬に何かあって、世南が傷つくようなことがあるのなら。
俺が守ろう。
世南には笑っていてほしい。
冬馬はそう思いながら教室を後にした。
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