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第3話 世南

教室の窓からはもうすっかり葉桜になった桜の木が見える。 時間が過ぎるのはあっという間だ。もう少ししたらピンクの花びらは全て散ってしまうだろう。 「藤野、今日委員会だっけ?」 小森が相変わらずの大きなお手製おにぎりを頬張りながら聞いてきた。 一年生の時から小森のお昼ご飯はいつもこれだ。 「そう。初めての顔合わせ的なやつ」 世南のお昼は購買で買える小さなおにぎり3個入りのものだ。 流石に朝自分で作る気力はない。 「どうか、簡単な競技になりますように!なるべく足引っ張らなくて済むやつ!」 小森はパンパンと両の掌を合わせる。 「最低でも一人一種目は出なくちゃだもんな。去年玉入れ人気あったよなぁ。今年はどうだろ」 世南は去年の体育祭の写真をスマホで見ながら言った。 「俺は今年も玉入れがいい。それか綱引き。冬馬君は?去年何やってたっけ?」 小森から話を振られた冬馬は購買で買ったカツ丼に食らいつくのをやめる。 「俺は去年棒引き。世南もそうだったよな?」 「うん。なんだかんだで盛り上がってたよね」 「それは三年生が気合い入れすぎだからだろ!今年も絶対三年こえぇよ〜」 この高校の体育祭は三学年縦割りでチームが分かれる。 各学年のクラスの順位によってそのチームに得点が入る仕組みだ。高得点を狙いたかったら、同学年の中で一番にならなくてはいけない。 「それでなくても今年はこのクラスも体育祭熱そうだしなぁ・・」 小森はハァと小さくため息をついた。 「そんなに落ち込むなって小森!」 世南はポンポンと小森の肩を叩いた。 運動が得意ではない人間にとったら体育祭なんて苦行でしかない。 それも今年を合わせてあと二回の辛抱だ。 それよりも・・ 世南はチラリと後方の席に目をやった。 今は誰も座っていない。 席の主はおそらく、渡り廊下の真ん中にある大きなベンチでワイワイと大人数で騒ぎながら昼食を食べているのだろう。 一年生の時からお昼休みにそこを通ると見かけることがあった。 他クラスの友人達も交えてお昼を食べる時はそうしているようだ。 二年生になってから二週間。同じ教室にいても付き合うグループが違えば話す機会はあまりない。 こちらから話しかけるべきか、話しかけられるのを待つか・・ 朝から世南の頭はそのことでいっぱいだった。 松下先生がホームルームの終わりを告げると、生徒達の帰る準備をする音で教室は賑やかになった。 「世南、今日どこで委員会?」 冬馬が鞄を肩にかけながら世南の席まで近づいてきて言った。 「視聴覚室だって」 世南はプリントを見ながら答える。 「そうか・・」 冬馬は何かを考えるような顔を一瞬したが、すぐに世南を見つめて聞いた。 「・・大丈夫か?」 「?大丈夫だけど?」 なぜそんな風に聞くのだろう? 冬馬の意図が読めず世南は不思議そうに答える。 「なら、いい。じゃ」 冬馬はそう言うと、少し急足で教室を飛び出して行った。 その後を追うように小森が教室を出ていくのが見える。 世南もゆっくりと席を立つと教室の扉へと向かった。その途中チラリと後方の席へ目をやる。 白瀬が友人達と談笑していた。 先に行っていいよな・・? 世南は心でそう呟くと教室を後にした。 「あっぶなぁ〜!ギリギリ!」 視聴覚室の席で世南が暇を潰すようにスマホを見ていると、白瀬が大声で入ってきた。 「まだ始まってないっすよね?」 白瀬は前方に座っている藤堂先生に確認をする。 「ちょうど今から始めようかと思ってたところだ。もう少し余裕をもって来なさい」 藤堂先生が腕組みをしながら白瀬に言う。 体育教師なだけあって体も大きく恐そうな雰囲気の先生だ。 しかし白瀬は動じることなく笑って言った。 「でも間に合ったからセーフっすよね?!あざーっす!」 白瀬の軽い物言いに教室内からはクスクスと笑いがおこる。 世南がそんな様子をぽかんと見ていると、白瀬が手を振りながら近づきてきた。 「悪い悪い!大嶋達と話してたらギリギリになっちゃったわ」 そう言うとドカっと世南の隣の席へ座る。 「ちょうどよかったんじゃない?俺、早く着きすぎて結構待ってたもん。はい、これプリント」 世南は先に配られていた白瀬の分のプリントを渡した。 「お〜、ありがと!」 白瀬はお礼を言うとプリントに目をやった。 正直、白瀬がギリギリに来てくれて助かった。 何を話せば良いのかわからないからだ。 でも・・もしかしたら白瀬もそう思っているのかもしれない。だからわざとギリギリに来た可能性もある。 そう考えたら少しだけズキンと胸が痛むような感じがした。 それから委員会は一時間ほどで終わった。体育祭委員の当日準備の話と、来週までに各クラス誰がどの競技に出るのかを決めて用紙を提出するという話だった。 白瀬はグッと腕を上げて伸びをすると欠伸をしながら言った。 「結構長かったなぁ〜。眠くなちゃったよ」 世南もシャープペンシルを筆箱にしまいながら頷く。 「藤堂先生の淡々とした喋り方は眠くなるよね」 「競技決めるのは早い方がいいよな。明日のホームルームで決めさせてもらおうぜ」 白瀬は立ち上がると配られたプリントをポケットに雑に折ってしまった。 世南も続いて立ち上がると、肩に鞄を掛けながら白瀬に声をかける。 「じゃあ俺、帰りに職員室に寄って松下先生に言っておくよ。白瀬は部活あるでしょ?先行っちゃっていいよ?」 「・・・」 白瀬の表情が一瞬固まる。それからポリポリと頭を掻くと少し言いづらそうに口を開いた。 「あのさ・・・俺今日部活行かないから、一緒に帰らねぇ?」 「え・・・」 思いもよらない提案に世南の心臓がドクンと跳ねる。 「ほら、高校生になってから全然話す機会なかったしさ。近況報告的な?」 白瀬はヘラっと笑った。 近況報告・・確かに『あの日』からお互いのことを直接話す機会はなかった。 けれど白瀬は目立つ存在だから、話さなくとも噂はいくらでも入ってくる。 中学生の時の彼女は美人で有名な先輩だったはずだ。 世南は鞄の持ち手をキュッと掴むと小さく頷いて言った。 「・・うん。別にいいけど・・でも部活本当にいいのか?」 「大丈夫大丈夫!緩いからうちの部。一人いなくったって誰も気にしないって!」 白瀬はそう言うと黒色のリュックを背負った。 「よしっ!じゃ、まずはマツキヨさんとこ寄っていこうぜ」 「・・うん」 歩き始めた白瀬の後ろを世南もついていく。 視聴覚室から職員室まではすぐに着いた。 明日の要件を松下先生に伝えると挨拶をして二人で職員室を後にする。 「あれ?白瀬部活は〜?」 職員室から下駄箱までの廊下で、ジャージを着た運動部らしき女子生徒に声をかけられた。 「今日はサボり〜。三浦達には黙ってて〜」 「いいよ〜!その代わり今度遊んでね〜!」 「オケ〜!」 白瀬が軽い返事をすると女子生徒はグラウンドの方へと走って行った。 「今の子、水泳部。まだプール入れないから今はランニングばっからしいよ」 白瀬は彼女が走って行った方を見ながら説明してくる。 「ふ〜ん・・」 世南もそちらの方角に目をやりながら気の抜けた相槌を返した。 運動部だと横の繋がりがやっぱりあるのか。 それとも単純に白瀬の顔が広いだけなのか。 きっと後者だろうなと世南は思った。 白瀬は昔からずっとそうだ。誰にでも話しかけ誰とでも友達になれる。 だから俺も・・クラスが違うのに友達になったんだ。 ーー 「なぁ、荷物大変じゃね?俺手伝ってやろうか?」 白瀬が初めて話しかけてきたのは、中学一年のピンクの花びらが全て散り桜の木が緑一色になった頃。 オムツのパックを二つ抱えて、さらにお尻拭きとミルクの缶を一つずつ。両手いっぱいの状態で薬局の店先で降り始めた雨を見ていた時だった。 肩からテニスラケットを掛けた、同じ年頃の少年が声をかけてきた。 「え・・」 突然話しかけられ、世南は目を丸くして彼を見つめる。 しかし世南が返事をするよりも先に「康成!」と店の奥から薬局のおばさんの元気な声が聞こえた。 「ちょうどいいところに帰ってきたわ!この子、お家まで傘入れて行ってあげてよ!急に降ってきちゃったから傘持ってないって言うの」 「あ、大丈夫です。これくらいの雨だったら・・」 世南が遠慮がちに言うと、おばさんはブンブンと頭を振る。 「ダメよ!荷物いっぱい持ってるんだから!ちょうど息子が帰ってきてくれてよかったわ!遠慮しないで!ほら、康成もいいでしょ」 おばさんが言うと、少年は肩から掛けていたラケットを下ろしながら頷いた。 「元々手伝おうと思ってたし。藤野の家、橋の向こうだろ?」 「え、なんで俺の名前・・」 世南が驚いて言うと、少年は少しムッとした顔で世南を見つめた。 「同じ中学校だから。俺2組の白瀬。隣のクラスだろ」 「白瀬?」 「入学してもう一ヶ月経つのにまだ同級生の顔覚えてないのかよ?」 白瀬は店先の端の方に置かれていたビニール傘に手を伸ばしながら言った。 「だって隣のクラスなんだろ?俺まだ同じクラスのヤツも全員覚えてないよ」 「ふ〜ん、じゃとりあえず俺のこと覚えてよ。白瀬康成。ここの薬局の息子」 「わ、わかった。俺、藤野世南。よろしく・・」 「おう!」 白瀬はニカっと笑うと世南の持っていたオムツを一つパッと奪う。 「あ、いいよ。荷物は俺が・・」 「傘だけさしてるってのも気が使えねーヤツみたいじゃん!」 そう言うと「ほらっ!」と世南を促し歩き始めた。 「あ、あの、ありがとうございました!」 世南は慌てて後ろを振り返り、レジのところに立っていたおばさんに頭を下げる。それから白瀬の肩にぶつかりながら隣をついて行った。 「あの、ごめんな。家帰ってきたところだったのにまた外出させて」 世南はなるべく白瀬が濡れないように遠慮がちに傘に入る。 「別に。部活だったんだけど雨降りそうだから中止になったんだよ。それで早めに帰ってこれたし」 「部活、テニス部?」 世南は先ほど肩にかけていたテニスラケットを思い出した。 「そう。小学生の頃から習ってたからさ。藤野の家の方に運動公園あるだろ?あそこでテニススクールやってるんだよ」 「あぁ、たしかに!たまにグラウンドでテニスやってるの見るよ!白瀬あそこで習ってたんだ!」 「うん。今も週一で行ってる」 白瀬はそう言いながら傘を少し世南の方へ傾けた。 世南の肩が濡れていることに気がついたのだろう。 世南は申し訳なくなり、肩を縮こませながら歩くことにした。 しかし白瀬はそんなことには気づかず話を続ける。 「藤野の家、妹?弟?」 「妹。双子でさ。今ちょうど6ヶ月くらいかな」 「えっ?!双子なの?」 「そう。だから毎日大騒ぎだよ!舞さんはずっと赤ちゃんに付きっきりだし」 「マイさん?」 「あっ・・」 世南はしまったと思い口を手で塞ぐ。咄嗟だったのでオムツのパックの持ち手が手に食い込んで痛い。 「・・・」 誤魔化してしまおうか・・いや、けれど。隠すようなことでもないはずだ・・ 世南は決心すると明るい口調で言った。 「俺の新しいお母さん!去年父さんが再婚してさ!すごい若い人なんだよ!お母さんっていうよりお姉さんみたいだから、まだお母さんって呼びづらくてさ」 「・・へぇ」 白瀬は一瞬目を丸くしたが、すぐに元の表情に戻る。 そしてなんてことないといった顔で笑った。 「お姉さんみたいなお母さんとかいいじゃん!俺の母さんさっき見たっしょ?もうおばさんもおばさんだぜ?」 白瀬が深く聞いてこないことに世南は内心ホッと胸を撫で下ろす。 それから世南も会話をそのまま続けた。 「でも、薬局のおばさん優しいよね。俺が初めてお使いきた時オムツの種類とか分からなくてさ。色々教えてもらったよ」 「藤野、よく家の手伝いしてるよな。俺、たまに買い物帰りのお前見かけるもん。えらいよなぁ」 「・・そんなことないよ」 世南は下を向いて答えた。 そう、本当にそんなことない。 必要とされなくちゃ自分が不安だから。だからやっているだけなのだ。 しかし、そんなことを白瀬に言っても困らせるだけだ。 世南は再びを上を向くと白瀬の方を向いて言った。 「部活やってないから暇なんだよね!俺運動音痴だから入りたい部活もなくてさ」 「ふーん。テニス部そんなに大変じゃないぞ?今度見学だけでもきてみれば?」 「えっ・・」 「今年の一年少ないって先輩達も嘆いてたしさぁ。藤野入ってくれたら絶対喜ぶよ!」 「あっ、いやでも・・俺本当運動音痴でさ。自転車も乗れないくらい・・」 「自転車とテニスは関係ないっしょ!週3だぜ?他の部より一回少ないから楽だって」 「・・・」 「クラス違うんだからさ、その分部活一緒だったらいっぱい会えるじゃん!」 「・・・そう、だね・・あっ・・」 気がつくといつの間にか川にかかる橋をもう渡り終えている。 「白瀬、ここで大丈夫!俺の家もうすぐそこだから!」 「えっ、でも荷物多いだろ?」 「大丈夫!運動音痴でも力はあるって!」 世南はそう言うと、白瀬が持っていてくれたオムツのパックをサッと奪い取る。 「本当ありがとう!気をつけて帰れよ!」 「あっ、おい・・」 「じゃぁな!」 世南はこれ以上白瀬に何か言われないようにと、白瀬の方は見ないで急足で駆け出した。 シトシトと小ぶりの雨が肩を濡らす。 しかしそんなことは気にせず、急いで家を目指した。 自分の今の生活に満足している。 部活動や他のことをしている時間はない。 そう、思っていなくちゃやっていけない。 白瀬、初めて話したけど明るくて優しそうなやつだった。 最後、嫌な態度とっちゃったな・・明日、学校でもう一度お礼を言おう。 そんなことを考えていたら家の前に着いていた。 一息、フゥと小さく息を吐く。 それから「ただいま!」と明るい声で玄関のドアを開けた。 するとすぐに赤ちゃんの泣き声が耳に飛び込んでくる。一人分の声だ。愛佳か夢佳か。 靴を脱いでリビングに行くと、舞さんが夢佳を抱っこしながらあやしていた。 「あ、世南君、おかえり」 疲れた顔をした舞さんがチラリと世南を見る。 「オムツ買ってきました!あとなにか手伝うことありますか?」 世南は手に持った荷物を床に置いて言った。 「大丈夫よ。世南君宿題まだでしょ?お部屋行ってて」 「・・うん」 そう答えながらもチラリとリビングを見回す。 洗濯を片付けるのを手伝った方がいいだろうか。 でも今舞さんは疲れていそうだ。あまり話しかけない方がいいかもしれない。 世南は静かに階段を昇り二階の自分の部屋へ入っていった。 次の日の朝、世南は学校に行く道を歩きながらキョロりと周りを見回した。 同じ中学へ向かう生徒が何人か歩いている。 世南の家から中学までは川にかかる橋を渡っていかなくてはいけない。 この町は川を挟んで二つの地区に分かれていて小学校が二つある。 世南の住む地区は東小で白瀬の家がある地区は西小だ。 しかし中学校は一つしかないため、中学生になったら東小と西小二つの学校の生徒達が一緒に通うことになるのだ。 それでもこの辺りの子どもの数は少なく2クラスしかない。 世南は橋を渡ったあたりで白瀬の家のある方を見た。 なるべく早く昨日のお礼が言いたい。なんとなく落ち着かないからだ。 しかし白瀬の姿を見つけることは出来なかった。 「おはよう藤野」 教室に入るとクラスメイトに声をかけられた。同じ小学校出身の作間だ。 「おはよ!」 世南は明るく挨拶をする。 「藤野聞いてよー!昨日がんちゃん達とゲームしてたんだけどさぁ」 作間は世南の肩に腕を回すと友人とゲーム対戦で負けた悔しさを吐き出し始めた。 世南は笑顔でその愚痴を聞く。 本当は隣のクラスに行って白瀬を探したかったが昼休みにすることにした。 給食の終わりを告げるチャイムが鳴り、世南は勢いよく席を立ち上がった。 それから教室を出て隣のクラスを覗いてみる。 2組は給食の片付けが早かったのか、すでに生徒達が談笑したり校庭へと遊びに行こうとしていた。 しかし白瀬の姿はない。 どこかに行ったのだろうかと校内を探してみることにした。 まっすぐ延びる廊下を歩いて、階段にぶつかる。降りてみようかと思ったところで、下から騒がしい声が聞こえてきた。 「白瀬やっば!モテめんじゃーん!」 「はぁ?別にそんなんじゃねーし!みんなで遊ぼうってことだろ?」 「いやいや、あれはお前狙いだろ!俺らオマケじゃん!」 白瀬という名前が聞こえたが、盛り上がっている雰囲気から咄嗟に世南は影に隠れる。 なんとなく入ってはいけないような気がしたからだ。 すると白瀬を囲むように4.5人の男子生徒達が階段を昇ってきた。 その中には同じ小学校出身だった高梨もいる。 世南は階段横に隠れるように立っていたがすぐにその高梨と目が合った。 「あれ?藤野じゃんー?」 高梨は世南を指差しながら声をかける。 「あっ・・久しぶり」 世南は遠慮がちに答えた。 高梨は小学生の時同じクラスだったが特別仲が良かったわけではない。どちらかと言うと騒がしくいつもクラスの主導権を握っているようなグループの人物だった。 「こいつ、同小の藤野」 高梨は周りの友人に向けて話し始めた。 「そういや藤野、春休みで自転車乗れるようになった?」 「え・・あっ、いや」 急に嫌な話題を振られ世南はおもわず言葉に詰まる。しかし高梨はそんな世南の様子など気にせずさらに話を続けた。 「なーんだ。藤野ってさ、自転車乗れねーんだよな!6年の時、みんなで自転車乗って遊びに行こうってなった時にさ、一人だけ走ってついてきてんの。みんなを超待たせてたの懐かしい〜!」 そう言ってケラケラと笑う。 世南は恥ずかしくなり一瞬下を見た。 しかし白瀬が居ることを思い出して顔を上げる。昨日友人になったばかりの人物にバカにされている姿は見せたくない。 「はは!そうなんだよ!俺運動音痴だからさ!あの時は走りすぎて次の日めっちゃ筋肉痛になった〜!」 そう言ってニコリと笑う。精一杯の笑顔だ。笑われたことなど気にしていない、という感じは出せているだろうか。 「じゃ、俺トイレ行く途中なんで!またな!」 世南はそう言うと、くるりと向きを変えて急足でその場を離れて行った。振り返ることはしなかった。 白瀬がどんな顔で高梨の話を聞いていたのか見るのが怖くて、白瀬の方は向けなかった。 白瀬は高梨と仲良いのか・・ 確かに人見知りもせず誰にでもすぐ話しかけられるところなんかは似ているかもしれない。 きっと白瀬もクラスで主導権を握れるタイプだろう。 自分とはタイプが違う・・ 誰かといる時に話しかけるのは気が引けるな・・ 世南はそう思い、2組を覗きに行くことはやめることにした。 意識して聞いていると、白瀬は顔が広いのか色々なところで名前が出てくる。2組でも白瀬の話をしているクラスメイトがたくさんいることに気がついた。 「さっきさ、白瀬君に廊下で会ったら髪切った?って聞いてきてさ〜!よく気づいてくれたって感じ!」 嬉しそうに女子生徒が話している。 「白瀬君って優しいよね。普段騒がしいしチャラいけど!」 話を聞いていた女子もうんうんと頷きながら答える。 同じ小学校だったり、習い事や部活が一緒だったりするのだろうか。それか、この辺りでは一番品揃えがいい薬局の息子として有名なのかもしれない。 明るく優しいとなればそれは人気もあるだろう。 廊下で見かける白瀬はいつも多くの友人に囲まれている。世南はそれを遠目に見つけると、なんとなく気づかれたくなくて避けるように別の道を通るようにした。 意識して避けていたらお礼を言えぬまま二日が経ってしまった。白瀬はいつ見ても誰かと居るのだから仕方がない。 ハァと重いため息を吐きながら玄関の扉を開ける。 「ただいま・・」 「あ、世南君、ちょうどいいところに帰ってきた〜」 舞さんが前に愛佳を抱っこし、後ろに夢佳をおんぶした状態で立っていた。 「ごめんね、帰ってきたばかりで悪いんだけど、薬局へ行って来てもらっていいかな?ベビーオイルがなくなっちゃって。今愛佳お尻が荒れちゃってて必要なの」 「あ、いいですよ!じゃぁ俺すぐ行ってきます!」 世南はそう言うと急いで自分の部屋に鞄を置きに行き、制服姿のまま財布だけ持って降りてきた。 そして舞さんからお金を受け取ると、再び玄関の扉を開けて勢いよく飛び出した。 もしかしたら白瀬に会えるかもしれない。そしたらやっとお礼が言える。 しかしふと今日が何曜日かを考えた。 木曜日はテニス部がある日だろうか。送ってもらった月曜日は部活だったはずだ。 もし、白瀬がいなかったらおばさんから伝えてもらおう・・ 「あら、いらっしゃい。この間は大丈夫だった?」 店に着くと、品出しをしていたおばさんが話しかけてきた。奥を見ると、レジの横で難しい顔でノートパソコンと睨めっこしているおじさんも見える。接客担当は主におばさんだが、病気や怪我をした時の薬の相談をするとおじさんが丁寧に答えてくれる。世南はこの薬局の雰囲気が好きだった。 「はい。この間はありがとうございました。白瀬君のおかげで濡れなかったです」 世南はペコリと頭を下げる。 「いいのよ〜、早く帰ってきたってゴロゴロしてゲームするだけなんだから!役に立ってよかったわ!」 おばさんは大きな口で笑いながら言った。 「あの・・白瀬君はもう帰ってますか?」 「康成?まだみたいね〜。今日は部活はないはずだけど、いっつも誰かと寄り道しながら帰ってくるのよ!」 「そうですか・・」 たしかにあの白瀬が一人でさっさと帰ってくるとも思えない。 「あ、じゃぁ・・この間はありがとうございましたって伝えてもらっていいですか?本当に助かったので!」 「気にしなくていいのよ〜!また重たい荷物の時は康成に手伝わせちゃいなさい!体力だけはあるんだから!」 「はは、ありがとうございます!」 世南は笑って答える。 それから本来の目的である物をベビー用品の棚から探し出した。 会計を済ませると、もう一度おばさんとおじさんにお礼を言い薬局を後にした。 会えなかったけれど、伝えてもらえるだろう。 気がかりだったことが解消され、世南は少しだけ足取り軽く家へと歩き始めた。 すると橋を渡ろうとしたところで、後ろから誰かを呼ぶような声が聞こえてきた。 それはよく聞くと「ふじの」と聞こえる。 世南が振り向くと白瀬が走りながらこちらに向かってくるのが見えた。 「白瀬・・」 その場で立ち止まって待っていると、ハァハァと息を荒げながら白瀬が目の前にやって来た。 「あぁー!良かった!追いついた!」 「一体どうしたの?白瀬」 「家帰ったら藤野がちょうど今買い物に来て帰って行ったところだって聞いたからさ!間に合うかと思って追いかけて来た!」 「え・・でも今日はベビーオイル1つだけで・・重い荷物はないよ?」 世南はそう言って手に下げた袋を見せた。 「いいのいいの!俺が藤野と話したいなと思って追いかけて来たんだよ!学校じゃあんまり会わないんじゃん?ちょっと話そうぜ!」 「あっ・・ありがとう・・」 世南はわざと避けていたことを思い出して少し下を向く。 わざわざ追いかけて来てくれるなんて、本当に人と仲良くするのが好きなやつなんだな・・ まだそんなに知らないのに昔からの友人のように感じてしまうのは、きっと距離感が近いからだろう。 しかし世南は手に持ったものを見てハッと気がつく。 「ごめん、白瀬!俺急いでこれ舞さんに渡さなくちゃいけなくて」 「あっ、そうなの?じゃぁ家まで送ってくから一緒に行っていい?」 「へ?」 「歩きながら話そうぜ!」 白瀬はそう言うとドンドンと歩き始めた。 「あっ、あの・・」 世南もその後を慌ててついていく。 「白瀬、この間はありがとう!傘、すごい助かった!」 そしてやっと言わなくてはと思っていたお礼の言葉を伝えた。 「あぁ!全然!俺さぁ、言ったと思うけど前から藤野がお使いしてんの見かけてて、気になってたんだよね、どんなやつなのかなぁって」 「え・・?」 「だから話しかけるキッカケができてラッキーって思ってる!」 白瀬はへへッと笑って両手を頭の上で組んだ。 「・・白瀬って、人たらし?」 「はい?!」 世南の疑問に白瀬の声が裏返った。 「だって距離感バグってるじゃん?俺には真似できない!」 「はぁー?別にそんなことないだろ?人類皆友達じゃん?」 「ははっ!リアルにそれ言うやつ初めて見た!」 思わず大きな口を開けて笑う。 ケラケラとくだらない話をしているうちに家まであっという間に着いてしまった。 「白瀬、この間は本当ありがとう!あと一緒にここまで来てくれてありがと!楽しかった!」 世南は玄関を開ける前に白瀬にもう一度お礼を言う。 「はは!何回ありがと言うんだよ?」 「お礼は何回伝えても減らないだろ!」 「まぁな・・」 それから白瀬はポリポリと頭を掻くと、世南の方をじっと見て言った。 「あのさ・・・俺、火曜と木曜は部活ないんだわ」 「え?」 「だからお使いの時の荷物持ち出来るからさ、まぁ・・あれだ。必要な物買う時はぜひ火曜か木曜に!って伝えておこうと思って」 「・・・」 「じゃぁ!そういうことで!」 白瀬はそう言うとくるりと元来た道を走って戻って行った。 世南はそんな白瀬の後ろ姿を見ながら考える。 火曜日と木曜日。 甘えて良いのだろうか・・でも、その日だったらこうやって白瀬と話せるのだ。 こんな風に二人で・・楽しく・・ 気が重い家までの道も白瀬となら・・ ーー 「藤野、普段は帰り何時の電車に乗ってんの?」 白瀬が下駄箱で靴に履き替えながら聞いてきた。 「・・6限終わってすぐにダッシュすると、15:47のに上手くいけば乗れるんだよ。一年の時はだいたいそれに乗って帰ってた」 世南も白いスニーカーに履き替えながら答える。「マジか!めっちゃ早いじゃん!俺その時間まだ教室でだべってるわ!」 「去年から妹達の保育園のお迎えに行けるようになったからさ。頑張ってなるべく早く帰ろうと思って」 「へぇ・・」 二人は並んで話しながら校門へと向かう。 「・・藤野、あれから・・上手くやってるんだな?」 「・・・うん。おかげさまで・・」 「・・そっか・・」 「・・・」 ざぁッと強い風が吹く。かろうじて残っていた校門まで続く桜の木の花びらがどんどんと散っていった。 ・・これから何を話そうか。 世南はチラリと白瀬の方を見た。 久しぶりに隣を歩く。けれどあの頃とは違う。 家までの道のりは、重く息苦しいものになりそうだ。

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