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第3話 冬馬

『全員急用ができたから今日の練習は中止で。ごめんな、冬馬』 もうすぐ電車に乗ろうとしたところでメッセージに気がついて良かった。 練習場所は自宅とは反対方向だ。バンドの練習がないのに行ってしまったら無駄足になるところだった。 けれど・・もうすぐ本番だというのに、急に練習がなくなるなんて珍しい・・ 冬馬は首を傾げながらスマホの画面を見つめた。 みんな優しい先輩達だが、自分は後から入ったメンバーだ。どうしても入り込めないところはある。一人だけ年が離れているということもあるだろう。 それでも冬馬にとってバンドは支えでありかけがえのないものだ。楽しくやれるならそれでいい。 もっと、もっと上手くなってみんなと自信を持って演奏したい。 今日、一人でもいいからどこかで練習できないだろうか。 そこで思いついたのが学校の音楽室だった。あそこなら防音もバッチリだ。 電車に乗る前で良かった。冬馬は急足で学校へと戻っていった。 この学校で見る三度目の桜ももう散ろうとしている。あまり思い入れはないが、それでもこうやって放課後にここに戻ってこようと思うほどには、学校も居心地よくなっているのだろう。 それにはやはり世南と小森の存在が大きい。 あの二人が居場所を作ってくれているのだ。 冬馬はチラチラと落ちてくる花びらを見つめながら校舎の中へ入っていった。 「ギターの練習?それは部活とは別だろう?学校外の活動に使うことはできないよ」 職員室にちょうどいた松下先生に聞いたところ、音楽室の使用に関してはアッサリと断られてしまった。 まぁ、たしかに。冷静に考えたらそうだよな・・とも思いつつ、今誰も使ってないならいいじゃないか。とも思ってしまう。 冬馬が少しの間無言で立っていると、松下先生は冬馬の肩にかかっているギターをチラリと見て言った。 「GWまで忙しいっていうのは、それが理由なのか?」 「え・・あぁ。まあ。今度ライブやるんですよ」 「そうか。ずいぶん一生懸命やってるんだな。ずっと続けるつもりなのか?」 「まぁ・・俺はそのつもりですけど・・」 「そうか。夢中になれるものがあるっていうのは悪くないからな。けど、学生だってことも忘れるなよ。そろそろ進路調査の紙も配るからな」 「進路・・」 冬馬は肩に重荷がのっかったような気持ちでその言葉をつぶやいた。 わかっている。いつまでも学生ではいられない。 その終わりが来る頃までにはちゃんと自分の進むべき道を両親に示さなくてはいけない。 今までレールを敷いてきてもらったが、それもここまでだろう。 だからこそ、自分を保てるものを、支えてくれるものを持っていたいのだ。 バンド活動だけは続けていきたい。 「竹ノ内は、将来はあの宿を継ぐのか?」 松下先生が耳の裏あたりを掻きながら聞いてきた。 「え・・」 「いつか俺も竹ノ内のところの宿に泊まってみたんだがなぁ。なかなか手が出せんよ。定年退職のお祝いにでもとっておくかな!」 そう言って松下先生は豪快に笑った。 老舗の高級旅館がなんだ・・ 表向きは綺麗でも裏はぐちゃぐちゃに汚いのに・・ 松下先生にお辞儀をして職員室を出ると、冬馬は視聴覚室のある方向に目を向けた。 まだ扉は閉まっている。体育祭委員の会議は終わっていないようだ。 あの日の放課後から少し気にかけているが、白瀬が特別何か世南に関わりにいっている様子はない。 てっきり中学の時に何かあったのかと思ったが思い過ごしだったのだろうか。 白瀬を見ているといつも誰かと一緒にいる。騒いでいないと落ち着かないのかと思うくらい大きな声で笑っている。 周りの友人達は自然と白瀬のペースに巻き込まれているように見えるが、それを嫌がっている素振りもない。彼らの世界の中心が白瀬康成なのだろう。 世南が困っているわけじゃないのなら、白瀬がどんな人間だろうとどうでもよい。 冬馬はもともと他人へ関心をもつタイプではない。他人を深く知ろうとすればするほど、自分のことも知られそうで嫌なのだ。 そんな冬馬の空気を察してか、バンドメンバーはあまりプライベートな話を振ってこない。いつも音楽やバンドの話で盛り上がっている。 小森もそうだ。冬馬が留年していることを知っていても、言われるまで知らないふりをしていてくれたように踏み込んだ話はしてこない。 当たり障りのない会話だけで過ごせる。その距離を保ってくれる人といるのが1番楽なのだ。 けれど・・ 冬馬はポケットの中からスマホを取り出すと時間を確認した。今から走れば帰りの電車には間に合いそうだ。けれどこんなに早くあの家には帰りたくない。 それに・・ 久しぶりに世南とゆっくり話がしたい。 1人の人間とじっくり会話をすることは苦手なはずなのに、不思議と世南と話すことは苦に感じない。 世南が纏う空気感は居心地がいいのだ。 冬馬は世南が終わるのを待つために図書館へと向かうことにした。 —— トーンの高いチャイムの音が聞こえて冬馬はパッと目を開いた。 どうやら机に突っ伏した状態で眠っていたようだ。 起き上がると音楽雑誌が開かれたまま置かれている。 図書室の雰囲気はどうしても眠くなるんだよなぁ・・ 頭をポリポリと掻きながら壁にかかった時計に目をやると、どうやら四十分ほど眠ってしまっていたようだ。 やべっ!世南もう終わってるかも・・ 冬馬は雑誌を棚に戻すと勢いよく図書室を飛び出した。 案の定、視聴覚室の扉は開いていて中には誰もいない。 何分前に終わったのだろう?まだ追いつくだろうか? 冬馬は小走りで下駄箱に向かうと急いで靴に履き替えた。 それから校門までの道を走りながら進む。遠くのテニスコートでテニス部が練習しているのが目に入った。白瀬ももう部活に戻っている頃だろう。 そんなことを考えながら校門を出ると、駅の方へ行く道を見つめる。すると少し先の方を世南が歩いているのが見えた。隣に誰かいる。 あれは・・・白瀬だ。 なんで二人で歩いているのだろう。 いや、同じ中学なら帰り道も一緒なのだろう。 けれど白瀬は部活があるはずだ。先ほどテニスコートでテニス部が練習をしていたはずだ。 今日は休むつもりなのだろうか? 冬馬は二人の背中を見つめながら後ろを歩いてついて行く。 二人はゆっくりと話しながら歩いているようだ。このまま行けばすぐに追いつけるだろう。 しかし・・声をかけてもいいのだろうか。 もし何か、二人にしかわからない地元の話などをしているのならそこに入る気はない。 冬馬がそんなことを考えながら二人を見ていると、世南の横顔が強張ったような気がした。 しかし話し相手の白瀬はそんな世南とは真逆でニコニコと楽しそうな顔をしている。 「・・・?」 何かが変だ。 冬馬はジッと世南の顔を見つめた。 白瀬は何かを言っているようだが、世南の口は動いていない。ただ一方的に白瀬が話しているだけだ。そして世南の表情を見る限り、それは世南にとって楽しい話ではないのだろう。 それから少しして世南は視線を白瀬から逸らして下の方を向いた。 何かを言おうとしている。 口元は震え、横顔はどこか青ざめて見えた。 やっぱり・・あいつは世南と何かあるのか? そう思った時にはもう声が出ていた。 「世南!」 冬馬の声で二人がぱっとこちらを向いた。 世南は心から驚いたように目を丸くしている。 それから一瞬だが安心したかのように口元が綻んだのがわかった。 世南を、助けられたのだろうか・・ 白瀬は結局その後、部活仲間に呼ばれているとかで学校へと戻って行った。 冬馬は世南と並んで駅までの道を歩いて行く。 先ほど白瀬といた時の表情とは違い世南は明るくニコニコと笑っている。 「冬馬君、本当バンドの練習頑張ってるよね。楽しみだなぁGW!」 「・・楽しみって言われすぎるとちょっとプレッシャー・・」 「えぇ〜、だって去年のクリスマスに行ったライブ楽しかったからさ。ライブハウスとか少し怖かったけど、冬馬君のバンド見たら一気に小森とテンション上がったなぁ」 世南は遠くを見るようにしながら笑顔で言った。 「・・さっきの・・」 冬馬はそこまで言って、一瞬言葉を飲む。 「え?」 世南がキョトンとした顔で冬馬を見つめた。 「あ・・いや。その・・白瀬に、なんか言われたのか?」 「・・・っ」 世南が息を飲むのがわかった。瞳の奥が揺れいている。 「話してる内容・・聞こえてた?」 「え・・いや、聞こえなかったけどさ。世南、なんか暗い顔してたから」 「・・そっか。別にたいした話してないよ。俺暗い顔してたかなぁ」 世南はそう言って顎に手を当てながら笑った。 「中学の時クラス違ったからさ、何話して良いか分かんなくてちょっとキョドッてたのかも!」 「・・それなら、別にいいんだけど・・」 冬馬は世南から視線を逸らして言った。 本当だろうか・・ 世南はいつだって笑っている。明るく元気に。 その笑顔を見ていると安心するが、時々不安にもなる。本心では何を考えているのかわからないからだ。 世南にとってはまだ、悩みを打ち明けられるほど信頼されていないのかもしれない。 でも、俺は・・多分世南になら・・本心を打ち明けられる。話したことはないけれど、家のことも、全部・・・ そうふと思ったら、胸の辺りがチクリと痛んだような気がした。 それから駅までは白瀬とは関係のない何気ない会話をして歩いた。駅に着くと世南に別れを告げ反対方向のホームへと渡る。 普段、バンドの練習に行く際は同じホームだが、家へ帰る際は反対方向になるのだ。 先に冬馬の乗る列車がホームへ入ってきた。 向かい側のホームから世南が手を振っている。 冬馬は無表情でヒラヒラと手を振り返した。 列車に乗り込んだのと同じタイミングでスラックスのポケットに入っていたスマホが振動した。 バンドのリーダーからメッセージが入っている。 『GWのライブが終わったら、大切な話がある。』 いつもならもっと軽い口調の文章が送られてくるのに。この文からは、距離を置かれたような冷たさを感じる。明日だって練習で会うはずなのに。ライブが終わるまでは触れてはいけない話ということなのだろうか。 冬馬は心臓の鼓動が少し速くなるのを感じながら『了解です』と返事を打った。 ライブは来週の週末だ。 一体なんの話なのだろう。 来週までこのモヤモヤとした気持ちのままでいなくてはいけないのだろうか。 ガタンと電車が動き出し、冬馬はソッと窓の外に目を向けた。 世南がスマホを見ながらホームに立っている。 明日、世南に話を聞いてもらおう。そしたらきっと世南が笑顔で「大丈夫だよ」と言ってくれる。 そうすれば、この不安な気持ちも少し解消されるはずだ。

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