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第4話 世南
「聞いて!!俺彼女ができた!」
朝、教室に入って机に座るなり小森が嬉しそうにやってきて言った。
「おはよ、小森。今日は途中で会わなかったね」
「朝早く起きっちゃってさー、いつもより早い電車乗ったんだよね・・・じゃなくって!おれ!彼女!できた!」
小森はズイズイと近づいてきて自分の胸に手を当てる。
「ははっ!聞いてた聞いてたって。マジかぁ、おめでとう」
世南は鞄の中身を出しながら笑った。
「バイトの子?」
「そう!昨日さ、その子と上がりの時間も帰り道も一緒でさぁ〜。なんか話してたら付き合ってみませんか?って聞かれちゃって!」
「前に小森が言ってた、可愛いっていう子?」
「あー、その子とは別かなぁ。あの子やっぱり彼氏いたしさぁ。昨日言ってくれた子は愛嬌100%って感じ!」
「いいじゃん、小森に合いそう。よかったね」
「何がよかったって?」
世南がニコリと言ったタイミングであくびをしながら冬馬が現れて言った。
「おはよ〜冬馬君!聞いてくれる?俺、彼女ができました〜」
小森はピースサインを冬馬に向けて言う。
「へー。それはそれは。小森にねぇ」
冬馬はまじまじと小森を見つめる。
「まぁ、お前いい奴だもんな。彼女できても不思議じゃないし。よかったじゃん」
「っ!冬馬君〜!めっちゃ嬉しいこと言ってくれんじゃん〜!」
そう言って飛びつこうとする小森を、冬馬は左手一本で押し止めた。
「あはは!小森テンション高いなぁ〜!」
そんな二人の様子を見て世南はケラケラ笑う。
「なんか盛り上がってんじゃん〜?」
軽い声が聞こえそちらに目をやると、白瀬がシャツの首元を仰ぎながら立っていた。
「なに?誰かに彼女できたの?」
「あ・・えぇと俺に・・」
小森はおずおずと自分を指差す。
「へぇ〜!いいじゃん〜!おめでとー」
「え、あ、いや・・どうも」
突然話に入ってこられて、小森は明らかに狼狽した顔で答える。
無理もない。多分小森はまだ一度も白瀬とは話したことがないはずだ。
「これでGW予定バッチリじゃん〜!羨ましい〜!」
「あ、あは、でも俺GWはバイトばっかでさ。白瀬君こそ忙しいんじゃないの?」
小森は慣れないながらも会話を続けようとする。
「俺?俺はそんなに〜。一年の時のクラスでバーベキューするくらいかなぁ〜」
「あーそうなんだ。バーベキューいいじゃん、楽しそう」
「おっ!そう思う?じゃあ夏休みにこのクラスでもバーベキューやろうぜ〜」
「へ?あ、お、おう」
話がよくわからない方へいき小森は頭にはてなマークでも浮かんだような顔で返事をした。
「そろそろマツキヨさんくるかな。じゃーね」
白瀬はそう言うと、自分の机の方へ戻っていく。
「び、ビックリした・・なんか急に陽キャに話しかけられた・・」
小森は小声で胸を抑えながら言う。
「・・・なんだったんだろうな、あいつ」
冬馬も不思議そうな目で白瀬の後ろ姿を見つめた。
世南はそんな二人の様子を見つつそっと手のひらを開いた。
いつの間にか無意識に握りしめていた手のひらは汗をぐっしょりかいている。
緊張していたのか・・
それはきっと、昨日の会話のせいだ。
最初は、昔のように楽しく話ができたのに。
途中から何だか変な空気になってしまった。
『怒ってんの?』
白瀬の言葉が頭に響く。
まさか、白瀬にあんな風に言われるなんて思ってもいなかった。
『あの時』のことを『怒っている』かと聞かれたらそれは違う。
じゃぁ、どう思っているのかと聞かれてもうまく言葉にはできないのだけど・・
白瀬は『あの時』のことを覚えていた。
「こっちが聞きたいよ・・」
世南は小さな声で呟く。
あの時、白瀬が何を考えていたのかを。
ーー
お昼を告げるチャイムが鳴って、世南は勢いよく立ち上がった。
「購買行ってくる!」
小森と冬馬にそう言うとかけ足で教室を飛び出した。
今日は週に一回、「さんかく」と呼ばれる大人気のパンが売られる日だ。
三角形の形のパンでフレンチトーストのような見た目で甘くてボリュームがある。
正式名は分からないが、生徒は皆「さんかく」と呼んでいる。
世南はとくにそれが目当てではないのだが、さんかくが売られる日は購買が混んでしまうのだ。
急足で廊下を歩いていると、「藤野君」と後方から声をかけられた。
あまり聞き慣れない声だ。
誰だろうと思い振り向くと、同じクラスの鮎川瞬の切れ長の瞳と目が合った。
「鮎川君?」
自分の名前を呼んだのが鮎川なのか半信半疑で声をかける。
すると鮎川はチラリと世南の顔を見ながら聞いた。
「なんか急いでそうだけど、今いい?」
「えっ、あぁ。うん、いいよ。何?」
世南は財布を持った手を後ろ手に隠すと鮎川に笑いかけた。
初めて話す相手だ。なるべく悪い印象は持たれたくない。
鮎川はそんな世南とは逆に特に表情を変えることなく、切れ長の瞳でじっと見つめながら話し始めた。
「・・あのさ、今日の帰りのホームルームで体育祭の出場競技を決めるって聞いたんだけど・・」
「あぁ、うん!そうそう!もう今日決めちゃおうかなって思ってるんだ。早い方が準備もできるし」
「・・その、今年の競技について聞きたいんだけど・・去年、二人三脚とかムカデ競争とかあったでしょ?今年もあるの?」
「え・・」
鮎川の口から出るとは思わなかった競技名を聞かれて世南は驚く。正直二人三脚やムカデ競争は、体育祭に出たくない生徒のために用意されているおまけ競技だ。
世南は昨日委員会でもらった紙の内容を頭で思い出しながら言った。
「えっと・・うん、今年もあるはずだよ。鮎川君やりたいの?鮎川君なら他の競技に引っ張りダコな気がするけど・・」
「いや、逆。絶対にやりたくない」
「へ・・?」
鮎川のハッキリとした口調に世南は思わず呆けた声で返す。
「二人三脚とムカデ競争。あと騎馬戦もあるよね?それも出たくない・・」
「えっと・・それはなんで・・?」
「・・・あんまり、他人と距離が近いのが好きじゃないから。それ以外の競技なら別に何に出てもいい」
「・・・」
『他人』という言葉に、鮎川がそう簡単にクラスメイトに心を開く気がないということがわかる。
春の体育祭なんてクラスの仲を深める目的もあるだろうに・・
世南はきっと自分にもそう簡単に心は開いてくれないだろうと悟り、ニコリと笑って答えた。
「わかった!ていうか、鮎川君にはもっと他の競技に出てほしいってなるだろうから大丈夫だよ!むしろたくさん出てもらって平気?」
「・・正直俺はそんなに出たくないけど・・白瀬がうるさそうだし、変に反抗するのも面倒だからいい」
白瀬の名前が出て、世南の心臓が小さく揺れる。
そして、二年生になってから何回か見た白瀬と鮎川のやりとりを思い出した。
「あはは、鮎川君と白瀬、正反対ぽいのに仲良さそうだよね。一年の時からあんな感じ?」
「・・別に。あっちが絡んでくるだけ。仲良いとかじゃないから」
鮎川は視線を横にずらしながら口を尖らせて言った。
「そっか!ごめんごめん!」
世南はニコニコとしながら軽く謝る。
しかし、その口調から、表情から、鮎川が白瀬には心を開いていることがわかった。
本当、あいつは人の懐に入ってくる天才だな・・
「じゃぁ、今日のホームルームよろしくね!」
世南はそう言うと、鮎川に背を向け少し急足で購買の方へと歩き始めた。
鮎川と初めて話したが、噂通り綺麗な顔をしていた。身体は細身で華奢な雰囲気だ。しかしその身体の中に、インターハイにいくほどのパワーを持っているのだ。
「かっこいいなぁ・・」
世南はポツリと呟く。
白瀬だって今はなんだかチャランポラン風だが、中学まで部活を頑張っていたのを知っている。
努力するところなんかが、白瀬と鮎川は合うのかもしれない。
そう考えた時にふと気づいた。
先ほどの話を、なぜ俺に伝えたのだろう・・?
白瀬との方が話す機会も多いだろうに・・
出たくない競技の話をしても、白瀬のことだからまともに相手してくれないとでも思われているのだろうか?
まぁ・・白瀬はすぐ騒いで自分のペースに持っていくからな・・
帰りのホームルームで鮎川の希望がちゃんと通るように気にかけることにしよう。
世南はそう決心すると、パタパタと早足から小走りに変えて購買へと急いだ。
それから世南は両手にパン二個を持って教室へと戻ってきた。
「遅かったじゃん、藤野。さんかく合戦に巻き込まれたか?」
すでにおにぎりを食べ終えた小森が大きな水筒でお茶を飲みながら聞いてきた。
「そういうわけじゃないんだけどさ。あ〜お腹すいた!いただきまーす」
世南はパクりとアンパンにかぶりつく。
「冬馬君は今日コンビニ?」
冬馬の前に置かれた空のプラスチック製の弁当箱に目をやる。
「あぁ。朝早く出たからコンビニ寄る余裕があった」
「へぇ〜!今日は朝も遅刻しなかったし珍しい!早起きしたんだ?」
世南は悪戯っぽい顔で笑う。
「・・考え事してて。あんまり寝れなかったんだよ」
冬馬はブスッとした表情で答える。
どうやら本当に眠れなかったようだ。目の下にうっすらクマがある。
「えーー?どしたん?心配ごと?」
小森が首を傾げながら聞く。
しかし冬馬はそんな小森をチラリと見るとペシっと小さくデコピンして言った。
「別にたいしたことじゃねーから。小森は彼女との今後のことを心配してろよ」
「ちょっ!!!心配することなんてないから!始まったばかりで不安煽んないでくれる?!」
小森はデコピンされたおでこを撫でながら騒ぐ。
世南はそんな二人のやりとりを見ながら笑った。
「冬馬君」
お昼を食べ終えて、冬馬がトイレに向かうタイミングで世南は後ろから声をかけた。
小森は教室でスマホをいじっている。きっと彼女に連絡しているのだろう。
「俺もトイレ!ご一緒させてもらっていー?」
「・・・」
冬馬から特に返事はないが、表情からOKだということが伝わる。
世南は冬馬の横に並び一緒に歩き始めた。
「冬馬君、昨日は練習なかったんだよね?今日は?」
世南は冬馬の顔色をうかがうようにして覗き込む。
「今日はあるはず。今のところ何も連絡ないから」
冬馬はそう言いながらスマホに目を向けた。
「そっかー。じゃぁ今日は練習終わったらすぐ寝なよ!冬馬君、いつだって睡眠不足みたいな顔してるんだから!」
「・・・」
世南が冗談ぽく笑うと冬馬はジッとその笑顔を見つめる。
「?どうしたの?」
「・・・昨日・・」
冬馬はそこまで言って、一瞬黙りこむ。
それからスマホの画面をツイっとスクロールしながら言葉を続けた。
「バンドのリーダーから、GWのライブが終わったら大切な話があるって連絡がきた」
「大切な話?」
「・・何かはわかんないけど・・」
「それが気になって、あんま眠れなかったの?」
「・・・」
冬馬は返事はせずに無言で頷く。
その様子を見て世南は目を丸くし、それからフフっと笑った。
「冬馬君、本当にバンドが大好きなんだね」
「え?」
「だって、いつもはどんな事にも興味なさそうな顔してるのにさ。バンドのことになると眠れないほど気になるんでしょ?」
「・・・気になるだろ。普段の連絡と違ってなんか改まった感じだし。俺、なんかしたのかな・・」
冬馬が珍しくうつむき加減で言うので、世南はポンと背中を叩いて言った。
「大丈夫だって!今冬馬君にとって一番大切なのはライブでしょ!だったらそっちに集中しときなよ!」
「・・そんな簡単に、切り替わらねぇよ・・」
「うーん・・じゃあさ!俺が冬馬君の代わりに考えといてあげる!」
「は?」
「だから!俺が冬馬君の代わりにその大切な話がなんなのか考えとくよ!色々なパターンをさ!だって今冬馬君が考えたってライブ終わるまで答えは出ないんでしょ?だからそれまでは俺が考えとく!自分以外の誰かも一緒に考えてくれてたらちょっと気が楽になんない?」
「・・・」
「ねっ?だから考えるのは俺に任せて冬馬君は練習にだけ集中しなって!大丈夫だから!」
「・・あぁ」
表情は変わらないが冬馬の目元が少し緩んだ。
それを見て世南もホッとする。
これで少しは冬馬の気分も晴れただろうか?
ずっと頑張って練習してきたライブまでもう少しなのだ。
ここで気持ちがぶれてしまっては勿体無い。
・・そんなことは、バンドのリーダーだってわかっているだろうに。
世南は少しだけ冬馬のバンドのメンバーに不信感を抱く。
しかし冬馬にとっては大切なメンバーだ。悪く思ってはいけない。
世南は冬馬に「ライブ楽しみだな〜」と明るく笑いかけた。
ーー
「おーし!そいじゃぁ、さっさとサクッと決めちゃいますかー」
ホームルームのチャイムが鳴ると、白瀬が机から立ち上がって大きな声で言った。
「えっ?なになに?学級委員ごっこ?」
「白瀬君目立ちたがりウザいでーす笑」
突然の白瀬の発言にクラスメイト達からヤジが飛ぶ。
「うっせーおめーら!余計なこと言うと勝手に競技決めるぞ!体育祭に関しての決定権はこの俺が掴んでんだからな!」
そう言いながら白瀬はピラピラと一枚の紙をちらつかせて黒板の前へ出る。
その様子を見て、世南も慌てて前へと出た。
急に始めないでくれよな・・
世南はハァと小さなため息をついて白瀬の横に並ぶ。
白瀬は世南が隣に立つのを確認すると、黒板にカンカンとチョークの音を立てながら文字を書き始めた。
乱雑だが大きく勢いのある字で体育祭の種目がドンドンと書かれていく。
「今書いていってるのが今年の2年生の出場種目な!去年と同じで、一人最低一回は出ること!」
白瀬がそう言い終わると同時に文字も書き終わった。
「藤野、俺が進めてくから名前書くの頼むわ」
「あぁ、わかった」
世南は白瀬からチョークを受け取ると、白瀬の司会進行ぶりを横から見ることにした。
白瀬が進行していく方が早く終わるのは明確だ。
「あー、それと!鮎川!!」
白瀬は思い出したかのように鮎川の方を向いて名前を呼んだ。
一番前の席で頬杖をついて座っていた鮎川が眉間に皺を寄せながら白瀬を見つめる。
「鮎川には徒競走系の種目はやれるだけやって欲しいんだけど!みんなも文句ないよな?」
白瀬はそう言うと教室をぐるりと見回した。
生徒達は皆、手をヒラヒラとさせたり拍手をしたりと同意の意を表す。
「おっし!じゃぁ決まりだな!鮎川もよろしく〜!」
相変わらず自分のペースで勝手に決めるんだな・・
実は出たいって奴他にもいるかもしれないのに・・
それに、鮎川だって利用されているようで嫌ではないのだろうか・・
世南は横目で鮎川をチラリと見つめる。
鮎川はハァとため息をつくと首を後ろに捻ってクラスメイト達に向けて言った。
「別にいいけど・・転んでも誰も文句言うなよ」
それから前に向き直り白瀬に視線を送る。
白瀬はそれに気づくと嬉しそうに親指を立てた。
「そんじゃ、藤野、鮎川の名前書いちゃって!短距離走と長距離走とハードルとリレーね!」
「・・わかった」
世南は白瀬に言われた通り鮎川の名前を書いていく。
鮎川の顔を見ると気怠げだが嫌がってはいなさそうだ。
やはり白瀬には、何をされても許せてしまえる雰囲気があるのだろう。
同じクラスになって改めて思う。
誰もが白瀬のペースにのまれていくが、それは白瀬が誰にでも同じペースで接しているからなのだろう。
白瀬は自分のテリトリーに平気で人をいれる。
そうされると、気がつけば相手も白瀬に色々曝け出してしまう。
けれど・・曝け出して初めて、白瀬にとって自分は『特別』ではなかったことに気がつくのだ。
「藤野?」
「えっ」
白瀬に名前を呼ばれ、驚いた拍子に握っていたチョークがぽきっと音を立てて折れた。
「ぼーっとしてどうした?書き終わったら次進めるぞ」
「あ、あぁ、ごめん!」
世南は書きかけだった文字の続きを急いで書く。
こんな時に一体何を考えているのだ・・
世南は首を横に振り、邪念を振り払うようにして文字を書いていった。
白瀬は世南が書き終わりそうなのを確認すると「それじゃ・・」と次に進み始めた。
それから出場種目はほとんど揉めることなく順調に決まっていった。
小森は綱引き、冬馬は棒引きとそれぞれ希望通りの競技になり、二人とも安堵の表情を浮かべている。
世南はそんな二人にそっと「よかったね」と目配せをした。
しかし一方で、世南は体育祭委員のため足りていない競技に参加しなくてはいけない。
「えっとー、希望者が参加人数に達していないのは、二人三脚と騎馬戦と借り物競争か。そんじゃこの3つはとりあえず俺と藤野が入るわ」
白瀬は黒板を眺めながら言う。
「あと一人騎馬戦に入ってくれればオッケーだな。誰かやる奴いねー?」
白瀬がそう言いながらクラスを見回すがとくに手を挙げる者はいない。
騎馬戦は体育祭の中でも特に盛り上がる競技である。出場するのは主にクラスでも目立つグループの生徒達だ。
このクラスでもすでに騎馬戦に出場する事が決まっているのは、ほとんどが白瀬と仲の良いメンバーだ。
目立つことや運動が苦手な男子生徒にとっては、騎馬戦はできたら避けて通りたい。
「えー、誰かやらねーの?」
「別に危なくねーって!ちゃんとやればさぁ」
騎馬戦に出場が決まっている生徒達が笑いながら言う。
しかしみな気まずそうに視線をそらしたままだ。
小森は一番前の席で下を向いている。
世南がチラリと冬馬を見ると、冬馬は我関せずと言った顔で指でリズムを取りながら窓の外を眺めていた。
冬馬君、早くバンドの練習行きたいんだろうな。
冬馬の横顔を見て、世南は思わずフっと笑う。
その時、鮎川の横に座る男子生徒が大きな声で「鮎川は?」と叫んだ。
「鮎川軽そうだから騎馬戦の上やってもらえばいいじゃん!」
「・・は?」
鮎川は明らかに嫌そうな顔で隣の男子を睨みつける。
睨まれた男子生徒は気にせず笑いながら白瀬に向かって言った。
「なっ!白瀬、いいじゃん!鮎川体育祭のヒーローなんだからさぁ。活躍してもらおうぜ」
「えっ・・」
白瀬は一瞬戸惑ったような表情を見せ、それから腕を組んで考えるような仕草を見せた。
世南はこの状況を見て、慌てて口を開いた。
「ダメだよ。さすがに鮎川君の出場競技多くなりすぎだって。最後のリレーだってあるし体力温存しててもらわなくちゃ」
「なんだよ、じゃぁ他に誰かいる?そう言うなら藤野が指名しちゃえよ、委員なんだし」
鮎川の名前を言った男子が不満げに世南を睨みつける。
「・・・」
世南はグッと息をのんだ。
確かに委員なのだから、反対したからには自分が進めなくては・・
けれど、誰もやりたくない状況で誰かを指名することなんて恨みを買うだけだ。
世南が下を向いて考えていると、「やる」と小さな声が聞こえた。
顔を上げると、先ほどまで窓の外を見ていた冬馬と目があった。
「・・冬馬君?」
「俺がやる。これで決まりだよな?用事あるから早く帰りたいんだけど・・」
「・・あ、ありがとう・・じゃぁ、騎馬戦あと一人は竹ノ内君で・・」
世南は急いで黒板に冬馬の名前を書き足す。
白瀬はその様子を見ながら手をぱんぱんと叩いて言った。
「よっしゃ。これでオッケーだな。竹ノ内君マジでありがとー!!助かったわ!藤野、黒板あとで写真も撮っといて」
「わかった」
世南は書き終わると、自分のスマホで黒板の文字を写した。あとで先生に提出するために用紙に書き写さなくてはいけないからだ。
「そんじゃホームルーム終わりで。マツキヨ先生いいっすか?」
白瀬が教室の端で座っていた松下先生に声をかける。松下先生はコクンと頷くと、そのまま号令をかけて生徒達はそれぞれ下校の準備を始めた。
「冬馬君!」
世南は急いで冬馬の元へ駆け寄った。
冬馬はすでに席を立ち廊下の方へ歩いていこうとしている。
「急いでるところごめん!とりあえずお礼だけ。本当ありがとう!」
世南は両手をパンと頭の前で合わせて頭を下げる。
「・・別に。早く帰りたかったし。それに世南も騎馬戦参加するだろ。一緒に組めたらいいな」
冬馬は目元を緩めて微かに笑う。
冬馬の表情を見て世南もホッとして笑って言った。
「・・うん。騎馬戦のグループ分けは委員が決めるから、一緒に組めるように考えとく・・」
「あぁ、よろしく。じゃ」
「あっ!冬馬君!練習頑張ってね!大丈夫だから!」
世南は咄嗟に拳を握りしめて笑う。
冬馬はそれを見ると、少し微笑み急足で教室を出て行った。
世南が冬馬の後ろ姿を見送っていると「藤野君」と横から声をかけられた。
お昼にも聞いた声だ。
「鮎川君・・」
肩に鞄を掛けた鮎川がやや下に視線を向けて立っている。
「藤野君、さっきはありがとう・・俺が昼にあんなこと頼んだから庇ってくれたんだよね?」
「えっ・・あっ、あぁ。でもあれはさすがに鮎川君の負担が多すぎると思ったから。昼に頼まれてなくてもダメってなってたって」
世南が責められたことを気にしてくれているのだろうか。鮎川の肩がいつもより丸まって見える。
「いや、藤野君が言ってくれなかったら俺になってたよ。あいつらノリだけで進めてくるから。白瀬だって・・」
「俺が何?」
鮎川の言葉を遮るようにして、白瀬がひょっこりと顔を出した。
「なになに?二人が話してんの珍しいね!しかも俺の話ですか?」
「そう。ノリだけで生きてる白瀬達の話だよ」
鮎川は怪訝そうな顔で白瀬を見つめる。
「藤野君が止めてくれなかったら、白瀬俺を騎馬戦にいれるつもりだっただろ?競技数なんて考えなしでさ。お前適当だもんな」
「えっ、そんなことないって!?考えてたんだよ俺だって。先に止めたのが藤野だっただけで」
白瀬は首を傾げながら笑って言う。
「どうだか。本当、先に藤野君に頼んでおいてよかった・・」
「頼む?」
「っ・・!」
鮎川はしまったと言う顔で口を手で塞いだ。
「・・別に。あんまり出たくないから藤野君に俺が出場する数数えておいてって頼んだだけだよ」
そう言って鮎川はチラリと世南を見る。その瞳から昼の頼み事の内容は伏せて欲しいという意思を感じた。
「それじゃ、俺部活あるから。藤野君、ありがとう」
「あ、うん・・」
鮎川はもう一度世南に目を向け、それから白瀬を睨みつけると教室を静かに出て行った。
「・・藤野、鮎川と何か話したのか?」
「え、いや・・さっき鮎川君が言ってたことくらいだけど・・」
「・・ふーん・・」
「・・・」
白瀬は鮎川の頼み事を気にしているのだろうか。
けれど、先ほどの鮎川の反応を見ると白瀬には知られたくなさそうだ。
黙っていた方がいいだろう。
白瀬も黙って何かを考えていたようだが、気を取り直すように両手を頭の後ろで組むと世南の方を向いて言った。
「まぁいいや。藤野、さっきの黒板の写真見せてよ。用紙書いちゃおうぜ」
「あっ、俺書いとくよ。提出は明日でも大丈夫だし、白瀬は部活行っちゃいなよ!」
世南はそう言うと白瀬の方に手を差し出した。
「提出用紙、もらっておく!」
「・・・」
白瀬は少し面白くなさそうに眉をひそめたが、手に持っていた紙を世南へ渡す。
「藤野は、今日急いで帰んなくていいのか?」
「うん。最近は母さんが早く帰ってくるから。保育園のお迎えも母さんが行ってる」
世南は紙を受け取りながら笑って言った。
「じゃぁ、明日の放課後空いてる?騎馬戦のグループ分けとか二人三脚のペアとか決めちゃおうぜ」
「明日?別にいいけど、白瀬の部活は?」
「明日はいいよ。早く決めた方が楽だしさ」
「・・わかった」
「そんじゃ。おつかれ」
白瀬は軽く左手を上げると、クルリと後ろを向き教室を出て行った。
白瀬がいなくなり、世南はフーと長いため息を吐く。
「はぁ・・緊張した・・・」
ボソリと呟くとゆっくり自分の席へと戻った。
ペンケースからシャープペンシルを出しカチカチと音を立てて芯を出す。
それからスマホの画面をスクロールして、先ほどの写真を確認しながら名前を書き写していった。
白瀬が一緒に残ると言わなくてよかった。
昨日の今日だ。
まだあの話について整理できていない。
けれど、明日は放課後残ると約束してしまった。
「・・・はぁ」
世南は重いため息を吐く。
明日までには、気持ちを整理しておこう。
もし聞かれてもちゃんと答えられるように。
あの時何を思って何を考えていたか。
そして、聞けたら聞こう。
白瀬が考えていたことも。
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