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第6話 白瀬②
それから、白瀬は世南のことを考えないように部活や友人との遊びを全力で楽しんだ。
つい勢いで「バーベキューセットあるからやれるよ!」なんて言ってしまったら、あれよあれよと夏休みのバーベキューの企画までする羽目になった。
「白瀬君!私達も行っていいんだよね!?」
「俺達も行きたいんだけど!?」
気がつけばバーベキューの企画はかなり大事なものになっていき、とても中学生だけの手に負えるものではなくなった。
白瀬は渋々両親のもとへ行きバーベキューについて話をふってみる。
「あら!いいじゃない!どうせやるならお友達みんな誘ったら?」
想像していたよりも母からは前向きな反応がきた。てっきり反対されると思っていた。
兄が上京してから母は少し寂しそうにしていたが、だいぶ吹っ切れてきたようだ。
「いいけどさ〜、今一体何人集まってんだろ?」
白瀬はダイニングチェアに腰掛けながら指を折って数える。
すると母は何かを思い出したかのようにポンと手を叩いた。
「あ、あの子は?双子ちゃんのお兄ちゃん!」
「・・え」
「きっとまだ双子ちゃん小さくてバーベキューやるのも大変でしょ。声かけてあげなさいよ!」
「あぁ〜・・うん・・」
白瀬は力げなく返事をした。
誘いたい気持ちはある。
けれど・・学校で接点のない世南を誘ったら周りから不思議がられるだろう。
そしたらきっと今までの『二人の約束』の話もしなくてはいけなくなる。
そう思って躊躇う気持ちはあるが、理由をつけて世南を誘えるならばやはりこの機会を逃したくもない。
白瀬は夏休みに入ると、時間のある限り店の前に出て世南がやってくるのを待つことにした。
メッセージで誘っても断られる気がしたからだ。
世南には思っていたよりも早く会えた。
夏休みに入って二日目、世南が白瀬の家の薬局に買い物に来たのだ。
久々の二人の時間に白瀬は浮き足立つ。そのままの勢いでバーベーキューの誘いもしてみた。
しかし、半ば予想していた通り世南の反応は微妙なものだった。
「行けたら行く」なんてのはほぼ「行く気はない」と言っているようなものだ。
けれどせっかく会えたのだ。ここで終わりにしてはもったいない。
白瀬は話の流れからテントで一泊しようという話を持ちかけた。
しかもこれなら世南と二人きりだ。
世南からもこの話は断られなかった。
白瀬は家に帰るとさっそく倉庫へ行きテントを探した。
それは倉庫の隅にそっと立て掛けてあった。
去年のバーベキューで使って以来だ。
白瀬はそれをすぐ持ち出せるように倉庫の入り口の近くに置き直した。
決行日はいつにしよう。
あまりしつこく聞くと嫌がられるかもしれない。
白瀬はそう思いながらも、自分の部活の活動日の一覧を送る。世南の暇な日も教えて欲しいと送った。
世南が大丈夫な日ならば、たとえ自分に予定があってもこちらを優先するつもりだ。
しかしなかなか日取りが決まらないまま一週間が過ぎた頃だった。
夜から小雨予報だったが、昼は雲一つない汗が滲む暑い日。
家の中で涼んでいたいような時間帯に、白瀬は炎天下の河原をヨロヨロと歩く世南を見つけたのだ。
聞けば親と喧嘩したらしい。
平日の昼間だ。おそらく父親ではなく母親と何かあったのだろう。
父親の再婚相手だという義理の母親と。
何かと気をつかう世南の性格からしたら家を飛び出すなんてよっぽどのことがあったに違いない。
白瀬はあまり深く聞くことはやめて、世南の気分が変わることをしようと考えた。
そこで提案したのは約束していたキャンプだ。
世南に用事がないのならばちょうど良い。
白瀬は世南の気が変わらないうちに急いで家にテントを取りに戻った。
その道中で部活仲間に今日の自主練は休むと謝りのメッセージを送る。
部活の練習も大切だが今日は何よりも世南とのキャンプを優先したい。
ワクワクする気持ちでテントを担いで戻った白瀬だったが、いざテントを開いて中に入るとその狭さにドキリとした。
いや、他の友人と使うのだったらここまで気にはならなかっただろう。
狭いことをネタにして楽しんだかもしれない。
動揺していることを悟られないように、明るく世南を手招きする。
何も気にならないといった様子で中に入ってきた世南の肩がコツンと白瀬の肩にぶつかった。
咄嗟に横を見るとすぐ目の前に世南の顔がある。
白瀬の心臓が先ほどよりさらに大きくドクンと揺れる。
世南がすぐに「ごめん」とぶつかったことを謝ったが、白瀬は早鐘のようになる胸の音が聴かれてしまうではないかと思い、ぶっきらぼうに答えてそっぽを向いた。
—藤野とこんな狭い場所で二人きり・・
そう考えるだけで白瀬の頭がカッと熱くなる。
白瀬はなるべくそんな頭を冷やそうと、テントの外に出てはしゃいで遊んだ。
煩悩を捨てて、今この時を楽しもう。
そう思っていたのに・・
『あのさ、俺、白瀬といるのがすごい好きなんだ・・』
トンと肩に頭を乗せてこんなことを言ってくる。
世南のその言葉と態度は白瀬の気持ちを煽るのに十分なものだった。
ー藤野も自分に好意を持ってくれているー
そう思ったら抑えていたものはいとも簡単に決壊してしまった。
ただ欲望のままに世南に触れる。
世南からも本気の拒否は感じられない。
きっと世南も同じ気持ちでいるのだ。
勝手に昂った感情は白瀬の都合の良い方に全てを解釈していった。
世南が射精した後、急に帰ると言った時もきっと恥ずかしがっているだけだと思った。
けれどこのまま帰したくはない。世南と特別な関係になれるチャンスなのだ。
白瀬はなんとか引き止めようとしたが、それは大人達の登場で阻まれてしまった。
あの時、世南は義理の母親を見て明らかに動揺していた。可哀想なくらいに。
普段、どれほど気をつかっているのかがわかる。
だから自らを悪者にしてあの場を収めた。
それが一番良いと思ったからだ。
白瀬は自分の両親に愛されている自信がある。失敗をしても迷惑をかけても、理解し許してもらえると信じている。
きっと世南にはそれが無理なのだろう。
一つでも迷惑をかけたなら、あの家から居場所がなくなると思っている。
先ほどテントの中で肩を震わせて泣いていた姿がそれを物語っている。
いつもニコニコと笑っているけれど、本当はいつだって心の中に寂しさや不安を抱えているのだ。
自分だけにその姿を見せてくれた。
だから・・
守ってあげたい。
白瀬はそう強く思った。
けれど・・
それから夏休みの間、『ごめんなさい、ありがとう』というメッセージが一度きただけで、世南と会うことはなかった。
こちらからメッセージを送っても返事がこない。
お使いも白瀬がいないタイミングを見計らっているのか、会えることはなかった。
両親からは世南が店にお使いに来た際に預かったという封筒を渡させれた。
中には千円札が2枚入っている。テントで食べたお菓子のお金だと両親は言っていた。
避けられている・・?
あの母親に何か言われたのだろうか?
それともあのテントでのことを気にしているのだろうか?それならば早く弁解したい。そして確認したい。
藤野のことが好きなのだと。
そして、藤野も同じ気持ちでいてくれているのだろうと。
そう思っていたのだが、新学期になっても白瀬は世南となかなか話す機会が作れずにいた。
廊下を歩いていて、反対側から世南が歩いてくると明らかに視線を外される。そして他の友人の方へと笑顔で走って行ってしまうのだ。
「・・なんだよ」
白瀬はだんだんそれが面白くなくなってきた。
夏休み、あんなことをしたのに。
まるで何もなかったかのように世南は笑っている。
『特別』なことをしたのに、なんで?
あの時の息遣い、火照った表情、声、今でも鮮明に覚えている。
思い出すたびに白瀬のそこは勝手に熱を持ち始めて、気がつけば自分の部屋で自慰行為にあけくれた。
もう一度、触りたい。
なのに、目も合わせてくれない。
そんな悶々とした日々の中で、声をかけられたのは偶然だった。
サッカー部のマネージャーをしていた三年生の先輩。
ロングヘアの綺麗な人だ。
『あの先輩と付き合ってる』だとか『あいつが告白して振られた』だとか、とテニス部でもよく話題に上がっていた。
サッカー部とは夏休みの合宿の日にちが同じこともあり白瀬も何回か話したことはあった。
そんな先輩と帰り道、たまたま二人きりになった。
本当にたまたまだったのかは分からない。
部活終わり、一緒に帰っていた友人と道で別れた後、「白瀬君」と後ろから呼ばれたのだ。
何気ない世間話をしながら二人で並んで歩いた。
一見綺麗で近寄りがたい雰囲気の人だが、話せばサバサバとしている。白瀬も話していて気が楽だった。
「白瀬君って本当楽しい子だよね。ね、ウチおいでよ?もっと話そう」
その言葉が何を意味していたのか、わかっていて分からないふりをした。
燻っている今の自分の欲望を、その濁りを、少しでも浄化したい。
年上の先輩に身を任せ、誘われるがまま白瀬は初めてを経験した。
知識はあったし友人とふざけて動画を見たこともあったが、実際の快楽は想像を遥かに超えていた。
それでも、終わった後には心は満たされるどころかポッカリと穴が空いているようなそんな虚しさが襲ってきた。
一体俺は、何をしているんだろう。
けれど、この後さらに白瀬はこの行いを後悔することになった。
先輩と寝た数日後には、あっという間に『付き合っている』と学校中に噂が広まっていたのだ。
「さっすが白瀬〜!あの先輩と付き合うとかすっげ〜!」
「しかも付き合う前に先にやっちゃったんでしょ!?お前手はえーよ!」
「えー、ちょっとショックー。白瀬君ってそういう感じなんだねぇ」
周りからは称賛される声や落胆される声が飛び交った。
「違う」と否定したかったが、寝たことは事実だ。どこまで否定するべきか迷い、何故こんなにも広まっているのか確認するため先輩の元へ向かった。
「うーん、なんかね、親友にだけ話したつもりだったんだけど。広まっちゃったみたい。ごめんね」
先輩は首を横に傾げて上目使いで謝る。
「ごめんって、困りますよ俺。もうみんな付き合ってるって信じちゃってるし」
「えー。あはは。じゃあさ、本当に付き合っちゃえば白瀬君も困らないんじゃない?」
「え・・」
「いいじゃん、考えといてよ!明日返事聞かせて!」
先輩はそういうと長いロングヘアを靡かせて駆けていった。
「・・はぁ」
白瀬は重いため息をつく。
「付き合うって・・・」
それは好きな人とすることだろう。
俺の好きな人は・・・
白瀬はハッとして顔をあげた。
もしかしたらもう世南にこの噂を知られてしまっているかもしれない。
もしそうなら早く誤解を解かなくては。
白瀬は急いで二年の教室へと向かう。
しかしその道中、男子トイレの中から自分の噂をする話し声が耳に入ってきて白瀬は足を止めた。
「白瀬の話聞いた?」
「聞いたって!すごいよなぁ、やっぱ違うよ白瀬は」
「同じ歳とは思えんよな!?」
こうやってドンドン噂は広まっていくのかと白瀬は小さくため息を吐く。
そして誰が話しているのかとチラリとトイレの中を覗いた。
隣のクラスの男子生徒が三人、横並びに手を洗いながら話している。
一番奥にいる人物は前二人と重なって見えなかった。
「なぁ、藤野もそう思うだろ?」
奥の人物が声をかけられて顔を上げる。
白瀬はそれを見て思わず息をのんだ。
世南が手を洗いながらニコニコと笑っていた。
「うん、すごい話だよな。同級生の話とは思えない」
世南はそう言いながら蛇口の水を止める。
「いいよなぁ。あんな美人な先輩とさぁ」
世南の隣の友人が天井を見上げて言う。
「有名な人なの?」
世南がポケットから取り出したハンカチで手を拭きながら聞いた。
「サッカー部のマネージャーだって!藤野も見たらわかるよ!超綺麗だぜ!な?!」
隣の友人がもう一人の友人に同意を促す。
「うん、スッゲー綺麗!いいなぁ。白瀬はあの人で童貞捨てたってことかぁ」
「いやぁ!白瀬のことだから初めてじゃなかったりして!」
「っ!!」
白瀬はそう言われ、思わず飛び出しそうになった。
しかしなんとかその場でグッと堪えて再び中の様子を伺う。
世南は相変わらず笑ったまま頷いて言った。
「確かに。白瀬は経験豊富そうだもんなぁ」
・・・
今、なんて言った?
俺が、経験豊富?
あいつは俺のことそういう風に思っているのか?
白瀬が思わず固まっていると、世南がさらに続けて言った。
「白瀬は本当モテるよな。住む世界が違うよ。恋人とか俺一生縁ない気がするもん」
「心配するなよ〜!藤野にだっていつか彼女できるって〜」
友人がグリグリと世南の腕を肘で小突く。
そして三人は笑いながらトイレから出てきた。
白瀬はその少し前に駆け出していた。
世南の言葉がショックだった。
あれが藤野の本心なのか?
あんなことをしておいて、俺の気持ちに気づいていないわけないよな?
なのに・・なのにあんなこと言うのか?
気がつけば白瀬はそのまま三年の教室へと向かっていた。
そして先輩へ先ほどの返事をした。
「あはは!返事早くない?白瀬君かわいい〜!じゃあこれからよろしくね!」
と笑って応えた。
初めての恋人だ。
年上で、明るくて、サバサバとしていて、一緒にいて気が楽な初めての恋人。
住む世界が違うと切り捨てるなら、もういい。
俺は俺の世界で楽しくやるだけだ。
いつか、あいつからこっちの世界に来る気になるまでは・・・
———
勢いよく鞄に突っ込んだ体育祭の種目決めの紙は皺だらけになっていた。
白瀬はそれを机の上で破れないように丁寧に伸ばす。
部屋の下からは父が閉店の作業をする音が聞こえた。
そういうえば、そろそろバーベキューに向けて準備をしなくてはいけないことを思い出した。
来週にはGWがやってくる。
今回は中学の時みたいに親に手伝ってもらう予定はない。
みんなが楽しみにしてるバーベキューだ。しっかり準備しなくては。
いつだって、その時その時を自分なりに楽しく生きてきた。
頭の中から世南のことが無くなることはなかったが、焦っても仕方がないと思っていた。
なんとなく自分に自信があったのだ。
世南の覚悟がついたなら・・
また元に戻れるだろうと。
『好き』だと、また言ってくれるだろうと。
それが、ここにきて急に揺らいでしまった。
世南のそれは恋愛としての好きではなかったのだ。
自分とは違うものだったのだ。
けれど・・
また、頑張れば世南に好きと言ってもらえるのだろうか。
今度こそ別の形の『特別』になれるだろうか。
そう思った瞬間、チラリと冬馬の顔が浮かんだ。
今までも、世南が友人と楽しそうにしているのをたくさん見てきた。
その度に羨ましく思ってきた。
それでも、その友人達に嫉妬心は持っていない。
それは、彼らが世南を友人と見ていることが分かるからだ。
しかし、竹ノ内冬馬は何かが違う。
いや、違うのではない。
一緒なのだ。
自分と。
自分が世南に向ける視線と、同じものを感じているのだ。
白瀬は体育祭の紙を見つめた。
騎馬戦の欄には世南と冬馬の名前が並んでいる。
白瀬はそこを爪で軽く擦った。
二人の距離がそれ以上縮まらないことを祈って。
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