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第8話 鮎川

「鮎川ー!最後よろしく頼むな!」 リレーに出場するため整列していると、能天気な声で話しかけられた。 つい先ほどまで揉みくちゃでハチマキを奪い合っていたからだろう。 ニコリと笑った白瀬の、顔も体操服も泥だらけだ。 「・・騎馬戦お疲れ」 鮎川は白瀬を一瞥したがすぐにプイッと前に向き直して言った。 「おう!勝ててよかったわー。僅差だったよな!」 白瀬は腰に手を当てて笑う。 「・・怪我人も、出なくてよかったね。まぁ、藤野君が危なかったけど」 「え・・」 白瀬の表情が少し強張る。 やはりそういう顔をするのか・・  「知らなかったの?白瀬が敵に囲まれてる時、藤野君騎馬から落ちたんだよ」 「・・・へぇ・・気づかなかった」 「・・・まぁ、竹ノ内君が咄嗟に庇って藤野君怪我はしないですんだから。大丈夫じゃない?」 「・・・そうか」 明らかに白瀬の声色が暗い。 鮎川はそれにイラッとしてさらに言葉を続けた。 「竹ノ内君と藤野君って仲良いよね。特に竹ノ内君は、本当藤野君信者みたい」 「・・信者って、お前・・」 白瀬は少し引き攣った笑いで自身の首元を掻く。 「なんか、藤野君は『特別』って感じ? あの人、藤野君のためならなんでもしそう」 「・・・」 白瀬がじっと黙ったので鮎川はサッと片手を上げて言った。 「じゃ。俺今からお前らのためにリレー走るから。応援ちゃんとしろよな」 「あっ、あぁ!スッゲー応援するから!頑張れよ鮎川!」 白瀬はそう言うと、生徒席の方へと戻って行った。 「・・・」 さっきのは・・かまをかけたつもりだ。 白瀬に『藤野』の名前を出した時にどう反応するのかが見たかった。 いつも通り、明るい声で「大丈夫だったか?!」と返ってくれば考え過ぎだったと胸を撫で下ろしただろう。 けれど・・ 先ほど、あまりにもわかりやすい反応が返ってきてしまった。 あの二人には何かある・・ 鮎川がそう思ったのは、あの日の白瀬の言葉と態度だった。 委員会の仕事で、世南を置いてきたと言ったあの時。 普段の白瀬の雰囲気とは全く違っていた。 何かに怒り、そして後悔しているような表情で、「八木と同じことをした事がある」と、 「そんな最低なところもある」と言ったのだ。 『八木と同じ』ということは、つまりああいったことを誰かにした事があるということだろう。 それが誰かは分からない。 けれどあの時の雰囲気、そしてあの言葉を言う直前まで一緒にいた人物を考えると世南の可能性が高くなるのではないかと、鮎川は思った。 あれから教室で世南と白瀬の様子を観察してみることにした。 しかし二人には思っていた以上に接点がない。 一緒に行動するグループも違うし、共通の友人がいるようにも見えない。 去年もクラスは別だった。 体育祭が近いというのに、二人が委員の仕事の話をしているところも見ない。 「・・・」 そうーー見ないのだ。 不自然なほどに。 あの白瀬ならば、グループが違うとはいえ同じ委員の仲間ならば臆せずどんどんと話に行くはずではないのか。 それなのに、教室で白瀬が世南に話に行こうとする素振りは全く見られない。 むしろ・・避けているようにすら見える。 それは、白瀬にとってその他大勢とは違う『特別な存在』の証拠になるのばないだろうか。 そんな疑惑を持ったまま、鮎川は今日の日を迎えた。 陸上部として、この学校から唯一インターハイまで出た立場として、体育祭で下手はできない。 出場種目のスタンバイの度に、白瀬はやってきて声援を送ってくれる。 何も知らないといった顔で。あの時身体を重ねた相手なのに、何も意識などしていないといった無邪気な表情でだ。 鮎川は胸の辺りの濁った感情を振り払い、気持ちを切り替えながら競技をこなしていった。 そして残るはリレーだけだ。 体育祭の最後を飾り、そしてチームの勝敗を決める大切な種目。 鮎川もそれなりにプレッシャーを感じている。 なるべく平穏な気持ちで臨みたい。 それなのに・・ 聞かなければ良かったのだろう。 でも、聞かずにはいられなかった。 先ほどの騎馬戦、世南が敵のチームから狙われていることに気づいた白瀬は、いち早く世南を守るように相手のチームを攻撃しに行っていた。 もちろんそれは、同じチームなのだから自然なことかもしれない。 それでも、一度気になり出したらどうしても『そう』見えてしまうのだ。 世南だけが『特別』なのではないかと・・ 鮎川はブンブンと頭を振ると遠くの生徒席でクラスメイト達とはしゃいでいる白瀬に目を向けた。 仲の良いメンバーで固まって楽しそうに笑っている。 そのグループから少し離れたところで、世南と冬馬、それから小森が座って話しをしていた。 側から見れば、なんの繋がりもないただのクラスメイトだ。お互いを見ることもない。 鮎川はジッとその様子を観察していると、白瀬とバチリと目があった。 すると白瀬は大きく手を振り 「鮎川〜!別に転んでもいいからな〜!!リラックスリラックス〜!」 と呑気な声援を送ってきた。 その声に合わせて周りの友人達も鮎川に向かって手を振ってくる。 少し離れたところにいた世南や小森は鮎川を見てニコリと笑った。冬馬は相変わらず無表情のままだ。 みんなが自分にプレッシャーを与えないようにしてくれているのだろう。 そんな空気を作ってくれるのはやはり白瀬だ。 鮎川は顔が熱くなるのを感じてパッと顔を背けた。 どんなに突っぱねても、疑いを持っても、白瀬への気持ちが変わることはない。 それはもうわかっている。 この気持ちをどうすればいいのだろう。 もういっそ思いを伝えてしまって、白瀬本人に粉々に打ち砕いてもらおうか。 「次は全学年対抗リレーです」 本部から次の種目をしらせるアナウンスが流れた。 鮎川はトントンとつま先を鳴らしながら呼吸を整える。 今はこのリレーに集中しなくては・・ チームは全学年を縦割りに分けられ、各学年二人づつの計六人のメンバーで走る。 本来ならアンカーは三年生が務めることが多いが、鮎川のチームはその三年生直々の希望により鮎川がアンカーを走ることになった。 スタートラインに四人の生徒が並ぶ。 鮎川のチームは青色のバトンだ。 体育教師の藤堂先生がピストルを上に構えた。 「よーい」 パアァァン  競技の開始を知らせる音が鳴りひびき、四人の選手達が一斉に飛び出した。 青のチームは三番手だ。 各クラスから速い生徒達が選ばれているだけあり、みな拮抗した走りだ。 最初に一番手に付けた赤のチームが少しだけ離れた位置で先頭をキープしている。 一人、また一人とバトンが渡されていく。 そして、いよいよ次がアンカーだ。 鮎川がスタートラインに立った時点で、青チームはいまだ三番手にいる。 ほどなくして、鮎川の横を赤のチームがバトンを繋ぎ、アンカーが駆け出して行った。 そのすぐ後を青と白の選手が拮抗しながら走ってきた。 バトン渡しで失敗するわけにはいかない。 リレーの練習は昼休みに一回しただけなのだ。 鮎川は前の走者がテイクオーバーゾーンギリギリまでくるのを待った。 そしてここだというタイミングで走り出す。 視線は前を向いているが、バトンを受け取る手はしっかりと後方に開きバトンが手のひらに置かれる瞬間を待った。 トンとバトンが当たる。 鮎川はそれを確認すると、ギュッとバトンを握り締めグンと前へと駆け出した。 ほぼ同じタイミングでバトンを受け渡された白の選手をドンドンと引き離していく。 ワァっと歓声が聞こえた。 しかし鮎川はただ前だけを見て走っていく。 少し先をいっていた赤の選手の背中が近くなっていく。 もう少し、あとちょっと・・ 追いつく・・・! グランドのカーブを過ぎて一直線になったところで鮎川は赤の選手を追い抜かした。 さらに一層大きな歓声が上がった。 「鮎川ー!」 「鮎川君がんばれー!」 自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。 たくさんの声が入り乱れ、誰が応援してくれているのかはわからない。 「鮎川ー!!」 もう少しでゴールというところで、軽くて明るい声が聞こえた。 その声だけは・・誰のものなのか簡単にわかってしまった。 パアァン 鮎川がゴールテープを切ると同時にピストルの音が響いた。 「一番、青チーム!」 アナウンスが興奮気味にレース結果を伝える。 はぁ・・はぁ・・ 鮎川は肩で息をしながら膝に手をついた。 よかった・・ 安堵の気持ちがドッと押し寄せ鮎川はフラリと前方へふらつく。 その時、鮎川の体をガシッと大きな腕が抱き留めた。 「・・!?」 「鮎川〜!!ありがとう〜!!」 白瀬が鮎川の肩をギュッと押さえつけるようにして抱き締めてきた。 「ちょ・・いたぃ」 鮎川は汗でベタベタな自分の体を恥ずかしく思い、肩を揺らして白瀬を剥がそうとする。しかし白瀬の力は強くその腕の中から抜け出すことはできなかった。 体が密着しているためスッと白瀬の匂いが鼻腔に広がる。 するとなぜだか気持ちが緩み、鮎川は諦めてその身を白瀬に預けることにした。 「おぉー!あの鮎川がデレてる〜!!!」 鮎川が大人しく白瀬に抱きしめられている様に、周りのクラスメイト達も勝った興奮の勢いのままに騒ぎ立てる。 「鮎川ありがとうな〜!クラスのために頑張ってくれてさ〜!」 白瀬は体を離すとポンポンと鮎川の頭を撫でながらいった。 「・・別に、クラスのためってわけじゃない。負けたらお前がうるさいだろうから頑張ったんだ・・」 鮎川は視線を下にそらして言う。素直には言えないけれどそれは「白瀬のため」と言っているようなものだ。 「おう!本当ありがとうな!!鮎川と同じクラスでよかったよほんと!」 そんな鮎川の気持ちに気づいていないのか、白瀬はあっけらかんとお礼を言うとクラスメイト達の方へ向き直りピースサインをした。 「よっしゃ!体育祭青が優勝だ〜!」 ワァっとクラスメイト達も喜び合う。 本当に騒がしいクラスだ。 ふと見ると、世南も拍手をしながら小森や冬馬と笑い合っていた。 おそらく自分が白瀬に抱きしめられているのを見たはずだろうが、全く気にしている様子はない。 思い過ごしなのだろうか・・ 白瀬はクラスメイト達とハイタッチをしたり写真を撮ってはしゃいでいる。 次から次へと白瀬の周りには人が集まってくる。 リレーの前にプレッシャーを和らげてくれようとしたお礼を言いたかったが無理そうだ。 白瀬を・・独り占めできたなら・・ 思わずそんな思考が頭をよぎり、鮎川はブンブンとそれを振り払うように頭を振った。 それから閉会式が終わると、生徒達はそれぞれ下校の準備を始めた。 鮎川も鞄タオルや水筒を入れると、校門の方へと歩き始める。 もう少しで門をくぐろうというところで 「鮎川君」 と後ろから声をかけられた。 振り返ると世南がニコリと笑いながら駆け寄ってきた。 「鮎川君、帰るの早いなー!気がついたらもういなかったから焦ったよ」 世南は肩で息をしながら言った。 「・・なに?なんか用?」 「いや、体育祭委員としてお礼を言おうと思って。鮎川君、今日はお疲れ様!たくさん競技に出てくれてありがとう!」 「・・・」 鮎川が少し黙っていると、下校中の生徒達からチラチラと視線を向けられた。 道の真ん中で止まっていては目立ってしまう。 二人は邪魔にならないように端の方へ寄る。 それから鮎川は世南を見つめながら応えた。 「・・別に。たくさんって言ったって四つくらいだし、藤野君や白瀬も結局同じくらい出てたじゃん」 「それは、俺達は体育祭委員だからさ。それに俺なんてなんにも結果出せなかったし!優勝できたのも鮎川君のおかげだよ。鮎川君と同じクラスでよかった!」 世南は無邪気に笑って言う。 白瀬と同じことを言うんだな・・ 鮎川は胸の辺りが再びモヤモヤと濁るのを感じた。 いつまでもこの感情は持っていたくない。 今聞いて、ハッキリさせてしまえばいいのだ。 「・・あのさ、藤野君に聞きたいことがあるんだけど・・」 「うん?」 「・・藤野君と、白瀬って、なんか・・あった?」 「え・・?」 世南は笑ったまま鮎川を見つめる。そしてそのまま表情は崩さず続けた。 「なにかって?えっと、どうして?」 「・・二人、同じ委員だったのにあんまり話してるところ見かけなかったし・・なんか、その、何かあったのかなとか」 鮎川は世南の顔を見ながら聞くことはできずパッと下を向いて言った。 「あー、それはさ、単純に白瀬とはグループ違うからあんまり話かける機会もなかったって言うか。委員の仕事の話はちゃんとしてたよ?」 世南はヘヘッと笑いながら頬を指で擦る。 「・・本当に?白瀬の性格から考えたらグループ違ったって同じ委員だからってグイグイ絡みにいきそうなのに」 「うーん、確かに・・でもさ、俺白瀬とは中学一緒だったんだけど、中学の時も全然喋ったことなかったよ。もしかしたら、昔から俺には絡みにくい空気が出てるのかも!」 「え・・藤野君、同じ中学だったの?」 それは初耳だ。二人からそんな素振りは見たことがない。 「そうだよ〜。白瀬は中学の時からずっと騒がしくって人気者って感じで目立ってたから。俺とは住む世界が全然違うよ」 「・・・」 二人が同じ中学で昔からの知り合いだったからこそ、なんとなく世南が特別な感じがしていたのだろうか。 他のクラスメイトとは違う違和感はそれだったのだろうか。 「・・鮎川君は、白瀬と仲良いよね?」 鮎川がジッと黙っていると、世南は笑いながらも眉尻を下げながら聞いてきた。 「え・・俺?」 鮎川はキョトンとした顔で返す。 「別にグループも違うし、仲良いとは思わないけど・・」 「そう?鮎川君と話してる時の白瀬はすごい楽しそうに見えるよ!鮎川君も白瀬には心許してそうな」 「なっ!別にそんなんじゃ・・」 鮎川はカッと顔を赤くしながら応えた。 「白瀬は中学の時から誰とでも仲良く楽しそうにしてるけど、鮎川君はまた特別な感じ・・」 世南はそう笑いながら鮎川をじっと見つめた。 「・・・」 話したことがなかったわりに白瀬のこと、よく見ているんだな。 それに『特別』をお前が言うのか・・ 俺はお前が『特別』だと思っていたのに・・それは、つまり。 お前も・・・ 「・・確かに、俺は特別かもな・・」 鮎川はボソリと小さな声で呟いた。 「え?」 世南は聞き返すように耳を傾ける。 「俺、白瀬とやったことあるんだよね。だから、まぁ・・他のクラスメイトよりかは特別なんじゃない?」 「・・・」 まるで時間が止まったかのように世南の表情が固まる。 鮎川の言った意味をすぐに理解したようだ。 しかしすぐに冗談でも聞いたかのようにヘニョっと笑って言った。 「えっと、それって・・どういう・・」 「そのまんまの意味だよ。白瀬と、そういう関係があるってこと」 「・・・」 再び世南はポカンと口を開けて固まる。 鮎川はフッと小さく笑うと唇に指をあてて言った。 「このこと、秘密な。あいつだって知られたくはないだろうし。藤野君は面白半分で言いふらすタイプじゃないって思ってるから」 「・・それは、もちろん・・」 世南は小さく頷く。 「じゃ・・」 鮎川は世南の返事を聞くと、再び校門の方へと歩き出した。 チラリと後ろに目をやると、世南は同じ場所で立ったままだ。 言ってしまった。 いや、言ってやったのだ・・ 白瀬の特別を、自分が持っていることを・・ 結局、白瀬の言っていた「八木と同じこと」をした相手が誰なのかはわからないままだ。 藤野なのか、他の誰かなのか。 けれど藤野が、思っている以上に白瀬のことを見ていることはわかった。しかも、自分と同じようにだ。 だから、言ったのだ。 自分は白瀬と特別なのだと。 いつまでも、白瀬を好きなその他大勢に埋もれるつもりはない。 その時が来たらぶつかろう。 たとえ白瀬に粉々に打ち砕かれたとしても・・ 鮎川は掌を固く握るとまっすぐ前を見て歩いて行った。

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