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第9話 世南

人を好きになるってどういうことだろう。 その人だけが特別で、大切で、ずっと一緒にいたいとか、そういうことだろうか。 もしそうなら、その感情を俺は・・きっと、ずっと前に持っていた。 「藤野、体育祭委員の打ち上げあるって本当?」 小森がズズーと音を立てて紙パックの緑茶を飲み切りながら聞いた。 「うん。俺も昨日委員長の三年生から聞かされたばっかだけどね。しかも今日がその日」 「今日!?急すぎねぇ!?」 「金曜日で今学期終わるからね。夏休み前にやりたいんじゃない?」 世南はそう言うと、両手を合わせてご馳走様のポーズをする。 ちょうどお昼ご飯を食べ終わったところだ。 「で、藤野は行くのか?打ち上げ」 「まぁ。一応顔は出すよ。だって打ち上げって言っても、放課後多目的室で飲み食いするだけだよ。東堂先生の奢りらしいし」 「へぇー。東堂先生も意外と粋なことするんんだな!」 小森が驚いたように言った。 本来ならそんなに乗り気なものではない。 けれど、今回は行っておきたいと思う理由がある。 「今日・・何時くらいに終わるんだ?」 それまで黙々とパンを食べていた冬馬が口を開いた。 「わかんないなぁ。部活の終了時刻に合わせるなら六時くらいかな。でも俺は早めに抜けるよ」 「・・そうか」 冬馬はそう答えると再びパンを食べ始める。 「・・なんか、冬馬君最近藤野の母ちゃんみたいだよなぁ〜」 揶揄うように小森が笑った。 「藤野のこと気にかけすぎって言うかさ。たまには俺の心配もしてよ〜」 「小森は彼女にしてもらえばいいだろ」 「あっ!俺が彼女いるからって除け者にするなよなぁ。寂しいじゃん!」 「あはは!大丈夫だよ!夏休み、予定合わせて遊ぼうな!」 冬馬に泣きつこうとする小森に世南が宥めるように笑って言った。 帰りのホームルームが終わると「じゃ!藤野、せっかくならいっぱい食ってこいよな!」と小森は言い、駆け足で教室を飛び出して行った。 今日もバイトで忙しそうだ。 世南はそんな小森の背中を見送ってからゆっくりと立ち上がる。 するとすぐに誰かが後ろから近づいてくる気配を感じた。 「藤野、打ち上げ行くだろ?」 声のした方へ振り返ると、白瀬が肩からリュックを下げて立っていた。 「うん。今から行くよ」 「じゃぁ、一緒に行こうぜ」 「・・うん」 世南は小さく頷くと、鞄を手に持ち白瀬の後について行く。 「あれー?白瀬どこ行くの?」 ちょうど教室を出たところで女子生徒が尋ねる。 「体育祭委員の打ち上げ〜!」 「えー!いいなぁ。それ私らも行っていいやつ!?」 「いやいや、体育祭委員じゃないでしょ君たち」 「別に一人や二人増えたって変わらないって〜」 「何々?白瀬お前部活サボってどこ行くんだよ!?」 話を聞きつけた他の生徒達も集まり、白瀬の周りを囲んだ。 「体育祭委員の打ち上げだっつーの。途中で部の方にも顔出すから待ってろお前ら!」 「なんだよ、体育祭委員ってそんな特典あんのかよ〜」 「白瀬、絶対部活こない気だろ!」 ワイワイと囲まれてしまった白瀬の後ろで世南はジッとそれが終わるのを待つ。 いつものことなので煩わしさはない。 しかしそんな盛り上がりを一掃するかのように「どいて」とツンとした声が後方から聞こえた。 「白瀬、入り口の近くで固まるなよ。帰りたい奴が帰れないだろ」 鮎川が中心にいた白瀬をチラリと睨みつける。 「ごめんごめん!鮎川今から部活かぁ?頑張れよなぁ」 白瀬はヘラっと笑うと鮎川に手を振った。それから周りを取り囲む友人達をパッパッと手で払う。 「ほら!お前ら邪魔です〜。解散解散!」 人がバラけたタイミングで白瀬は世南に目を向けて言った。 「よし。藤野、行こうぜ」 「・・うん」 「あのさぁ。体育祭の片付け、ありがとな」 「え・・」 少し前を歩く白瀬が正面を向いたまま言った。 「藤野、やってくれただろ。俺ちゃんとお礼言えてなかったからさ」 「あぁ・・・でも、それは、俺が勝手にやったことだから」 「・・うん、本当にな。なんか・・避けられてんのかなって思っちゃったよ」 「・・っ」 世南がハッとして顔を上げる。 今、言おうか。 そう思ったが、その前に白瀬が前を歩く生徒に声をけてしまった。 「おーい!お前らA組の体育祭委員だよなー?打ち上げ行く途中?」 「え!白瀬君!?」 「お!白瀬じゃん!そう〜!一緒に行こうぜ」 あっという間に四人で多目的室へ向かうことになった。 白瀬は楽しそうにA組の生徒と話している。 こちらには見向きもしない。 白瀬と、二人で話をするタイミングを作るのは本当に難しいな・・ 世南は小さなため息をついた。 多目的室にはたくさんのお菓子、それから2リットルのジュースのペットボトルが何本も置かれていた。 世南も紙コップにコーラを注いで一口飲む。 話す相手もいないので、ボンヤリと周りを見ていると「お疲れさん」と藤堂先生が声をかけてくれた。 「あ、ありがとうございます先生。こんなにお菓子もたくさん・・」 世南は藤堂先生にペコリとお辞儀をする。 藤堂先生と二人でちゃんと話しをするのは初めてだ。 「あぁ、まぁな。打ち上げなんて初めての試みだよ。毎年勝手に生徒達が公園とかでやっていたらしいけどな」 「そうなんですか?」 「そうなんだよ。それが去年、ついに酒まで飲んで補導された奴がいてな。それで今年から、勝手にやらせるくらいなら学校主催で打ち上げをやるかってなって」 「へぇ。藤堂先生、さすが生徒指導の先生なだけありますね」 「俺は最初反対だったさ。そもそも打ち上げなんてする必要ないだろ。けどな、白瀬が学校主催でやれば、隠れてやる奴もいなくなるからやった方がいいって熱弁してなぁ」 「え・・」 「藤野、白瀬と同じクラスだろ。聞いてないのか?」 「・・全然。知らなかったです・・」 「なんだ。あいつ誰でも巻き込んでペラペラ喋ってんのかと思ってたんだが。まぁ、つまり、飲酒で補導されただとかで学校の評判を下げるのは良くないから、学校で打ち上げやって下さいっていう白瀬の意見が通ったわけだよ。真面目なんだか、不真面目なんだかわからん奴だよな全く」 「・・・」 世南は多目的室の真ん中で、先輩後輩に囲まれて楽しそうに話している白瀬を見つめた。 今日初めて話している生徒もいるはずだろう。 けれどもそんなことは感じさせない距離の近さで、誰とでも楽しそうに盛り上がっている。 白瀬のまわりはいつも明るい。 だから、だからこそ・・・ 俺は・・・ 世南はグイッと手に持った紙コップを一気に飲み切ると、藤堂先生にペコリとお辞儀をした。 それから鞄を肩にかけて、ツカツカと歩き出す。 「白瀬」 世南は笑って話してる白瀬に声をかけた。 白瀬を取り囲む生徒達の会話がピタリと止まる。 こういう空気になるのが怖くて、いつも人に囲まれている白瀬に声をかけるのは躊躇われた。 けれど、それももう、今日が最後だ。 「俺、もう帰るんだけどちょっといい?」 世南は微笑みながら言った。 「・・・あぁ」 それまで笑っていた白瀬は、少し不安げに目を泳がせるようにして頷いた。 二人で静かな廊下へと出る。 多目的室の扉の向こうでは、今もワイワイと盛り上がっているだろう。 「ごめんな、打ち上げの途中で。俺の話終わったら、すぐに戻っていいから」 「・・そんなの、いいよ」 白瀬はいつになく真剣な眼差しで世南を見つめた。 「それより、藤野から・・声かけられてびっくりしたって言うか・・」 「・・はは。ごめん」 「いや、それは全然良いっていうか。なんかさ、中学の時から、学校ではあんまり話さなかったじゃん。だから学校で藤野から声かけられると、どんな態度していいか分かんなくなるんだよね」 「え、でも俺委員のことで何回か声かけたよね?」 「だからー。俺すっごい平静を保つのに必死だったんだって。いつも通りにしてなきゃ周りからも変に思われるだろうと思ってさ」 「・・全然わかんなかった。本当にいつも通りだったよ」 「マジか。俺結構演技派なんじゃね?」 白瀬がおちゃらけるように笑った。 世南もつられてふふっと笑う。 それから再び、白瀬の瞳をジッと見つめてからゆっくりと口を開く。 少し震えているのが自分でもわかった。 「白瀬、俺・・白瀬のこと好きだったよ」 白瀬の表情から笑みが消えた。 「・・え」 何を言われたのか、わからなかったかのような表情だ。 「俺、ずっと考えてた。白瀬のこと。それから、あの時の自分のこと・・」 「・・・」 「中学生の時、友達だって思ってたのは本当・・でもそれは、多分特別の意味が分かってなかったから。白瀬は、他の誰とも違う特別な存在だって思ってた。その気持ちが好きってことなら、俺は白瀬のことがあの頃から好きだったんだと思う・・」 世南は視線を下にずらして言葉を止めた。 白瀬がこちらをまっすぐに見つめてくるのが恥ずかしくなったからだ。 しかしこれだけは聞いておきたい。確認しておきたい。 世南は再び白瀬に目を向ける。 「・・白瀬は?」 「え・・」 「白瀬はあの頃、どう思ってたの?」 ギュッと結んだ唇が震えた。 ずっと、ずっと聞きたかったことだ。 白瀬は右手で自分の頭を掻くと、フゥと息を吐き一呼吸置く。 それから世南を見つめ返しながら言った。 「・・好きだったよ。ずっと」 「・・・本当に?」 「て言うか、あんだけ態度に出してたのに、分からないとか藤野が鈍すぎるだろ」 「・・わかんないよ。だって白瀬は誰といたって楽しそうだったじゃん」 「そりゃ、友達といりゃ楽しいだろ。でも、好きってそういうんじゃなくね?俺は・・藤野と一緒にいれるのが嬉しかった」 「・・・」 「あのテントの時も・・好きだったから、藤野に触りたくなった。その・・許可取らなかったのは悪かったと思ってるけどさ・・」 「・・本当だよ。急すぎて俺、訳がわからなかったもん」 世南は眉尻を下げて笑う。 やっとあの時のことを聞けた。 白瀬がどう思っていたのか。なんであんなことをしたのか。 わからないまま、逃げ出して考えないようにしていたことを。 だから、これでもう・・ 「俺さ・・白瀬と距離ができて、あの頃の楽しかった事とか白瀬に助けられた事とか、そういう大切な思い出からも目を背けるようになっちゃってたんだ。だから、今日白瀬と話せてよかった。これでちゃんと・・あの頃のこと良い思い出にできるよ」 「え・・・」 「白瀬も・・昔のこと、はっきりしないのは嫌だったよな?気づくのが遅くなってごめん。だから、これからはもう昔のことは忘れてさ、お互い今特別な人を大切にしよう」 世南が笑って言うと、これまで真剣な眼差しだった白瀬の顔が歪んだ。 「ちょ、ちょっと待てよ。え、なんの話だよ」 「・・白瀬の今特別な人は鮎川君でしょ?鮎川君と、そういう関係だって知ってるよ」 「・・え。なんだよ、それ・・」 「ごめん、本人から聞いちゃったんだ。白瀬、手が早いって高校生になってから噂されてたけど、テントでのこと考えると実は昔からそうだったってことだよな!」 世南は揶揄うように笑った。 しかしそんな世南とは対照的に白瀬は青ざめた顔をしている。 「・・ち、違う。俺は、鮎川とは・・」 「え・・?」 「・・・」 白瀬は何か言おうとしたがジッと下を見て黙りこむ。 それから小さな声でポツリと言った。 「藤野は?・・さっき、お互いにって言っただろ。今、誰かいるのか?」 「・・・」 白瀬にそう聞かれ、世南は息を飲む。 しかしもう決めたことだ。覚悟が揺るがないためにも世南はハッキリと伝えることにした。 「うん。いるよ。俺は、冬馬君のそばに居たい」 「・・っ」 白瀬が瞳を開いて世南を見つめる。 世南もその瞳をジッと見つめ返しながら続けた。 「だから、これから普通のクラスメイトとしてよろしくな。気まずいのとかはなしでさ!」 「・・・」 「・・じゃ、ありがとう」 世南はそう言うと、踵を返して廊下を歩き始めた。 白瀬からは返事はない。 けれど振り返ることはしなかった。 お互いに、これで前を見て進めるのだ。 新しい大切な人のために。 これからは冬馬を大切にしていくと決めた。 彼の大切なものに自分がなり得るのなら、自分も同じ想いを返せるようになりたい。 過去の感情に区切りをつけて、新しい人と歩んでいく。 白瀬からもらった思い出は、見えない箱にしまって。

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