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第10話 鮎川

東京には一回だけ行ったことがある。 高校入学前、県で強化選手に選ばれて東京で行われた合宿に参加した時だ。 あの時はただひたすらに、走ることだけを考えていた。 それが自分のプライドを保つ、ただ一つの方法だと思っていたからだ。 人は信じられない。たとえ友人でもだ。 馬鹿にされたくない。揶揄われたくない。 下に見られたくない。 そうやって足掻いて足掻いて、それでも自分を満たしてくれるものは、結局人だった。 「残念だったな、鮎川」 皆が帰った陸上部の部室で、陸上部ではない白瀬が我が物顔でベンチに座りながら言った。 「何が?」 鮎川はシャツに手を通しながら白瀬の方は向かずに聞く。 「県大会。今更だけどさ。今年だってインハイ狙ってはいたんだろ?」 「本当今更。夏前の話じゃん」 「いやー。あの頃もっとお前の応援してやればよかったなぁって思ってさ」 「・・・夏前って、白瀬なんか余裕なさそうだったもんな」 「・・そう?体育祭終わってからテスト続きだったしなぁー。テニス部の試合も多かったし。そう言われたらあの頃余裕なかったかもな」 「・・それだけかよ」 鮎川は白瀬には聞こえないくらいの声で呟く。 「うん?今なんか言ったか?」 白瀬は顔を上げると鮎川を見つめた。 「・・別に」 鮎川はそっぽを向くとスラックスに足を通そうとした。 しかしその手は自分より大きな手のひらに包まれて止められる。 いつの間にか真後ろに立った白瀬が、首筋をなぞるように唇を這わせてきた。 「っ・・・」 ビクンと身体が揺れる。 「ちょっ・・またここでやるのかよ・・」 鮎川は抵抗するように白瀬の腕を掴んだ。 「いいじゃん。もう誰もこないだろ。鍵もかけたし」 「はっ?いつのまに・・ぅっ・・」 白瀬は鮎川が話していることなんてお構いなしといった顔で、着かけていたシャツの隙間に手を通す。 「・・ふっ・・ぅん・・」 優しくくすぐられるように腰を触られて鮎川は思わずロッカーに手をついた。 「しよ、鮎川・・」 「っ・・・」 耳元でそう囁かれては抵抗できない。 それを白瀬はよくわかっている。 やっぱりずるいやつだ。 白瀬と付き合うようになって、もう何回も身体を重ねた。 休みの日は白瀬が家に来て、たまに泊まっていくこともある。 母親はすっかり白瀬がお気に入りだ。 放課後はこうやって、みんなが帰った後の部室でこっそりセックスをすることもある。 決まって使うのは陸上部の部室だ。 白瀬の触り方は初めてやった時から変わっていない。 普段の明るくいい加減な雰囲気からは予想もできないほど、優しく丁寧だ。 誰かを抱くことに慣れているのだということがわかる。 今までの彼女もこうやって優しく抱いてきたのだろうと思うと、胸がチクリと痛んだ。 それでも今、白瀬に抱かれているのは自分だ。 そう思うことで、無くすことのできない過去に勝っているのだと思うことにした。 「・・あっ!・・ぅん、あぁ・・」 白瀬の昂ったものをズブリと中に挿れられ、鮎川は大きな声をあげる。 「しっ・・まだ他の部活残ってるやついるかもだろ・・」 「っう〜・・」 鮎川は自分の手で口を塞ぎ声を抑える。 お腹の中をぎゅうぎゅうに埋められ、熱いものが動くたびに得られる快感に、鮎川は声を出さないように必死に耐えた。 ーー 「白瀬、修学旅行の班本当によかったのか」 お互いの欲を吐き出した後、鮎川は乱れた衣服を直しながら白瀬に聞いた。 「何が?えっ、もしかして鮎川別の班がよかった?!」 白瀬はすでに制服を完璧に戻した状態で足を組んで座っている。 「そうじゃなくて・・俺、元々お前達のグループに入ってるわけじゃないのに。修学旅行の班だけ急に一緒って、他の奴ら不満に思ってないかなって」 「別に、俺はそもそもグループのメンバーを固定してるつもりないけど?誰でも入ってOK出てもOKがよくない?ずっと固まってるのってめんどいじゃん」 「・・白瀬、そんな風に思ってたのか。なんか意外・・」 「俺は誰とでも仲良く楽しくやれれば一番だと思ってるだけよ。グループとか固定するとハブられたハブったって揉めたりするし」 「お前はそう思ってるのかもしれないけど・・他の奴らはどう思ってんのかな」 「あっ、それなら大丈夫だって!みんな鮎川レアキャラって喜んでたし!」 白瀬はピースをして笑う。 「レアキャラってなんだよ」 ハァとため息をつくと、鮎川は自分のロッカーをガチャンと閉めた。 それから鞄を肩にかけ、部室の扉の方へ向かう。白瀬も立ち上がるとその後に続いて外に出た。 すでに空は真っ暗だ。冷たい風が頬をなぞる。 「修学旅行、楽しみだな!」 白瀬が空を見ながら呑気な声で言った。 「・・俺は別に・・他人と寝泊まりするの好きじゃないし」 「え!なんでだよ?!東京のホテル、俺と同じ部屋なの嫌なわけ?!」 「東京はいいんだよ。初日の、富士山の自然散策の日は大部屋でクラスの男子みんな一緒じゃん・・スッゲー嫌だ」 「あぁ・・それは確かに鮎川にはキツいかもな。まぁ、なんかあったら俺に言えよ。俺が他の奴らの気を逸らしてやるからさ」 「・・・」 笑って言う白瀬の顔を鮎川はじっと見つめる。 「?なんだよ」 「・・白瀬は・・気になんないのかよ?」 「え?」 「・・・藤野。いるじゃん。同じ部屋に泊まるんだぞ。平気なわけ?」 鮎川はそこまで言ってパッと顔を逸らす。 面倒くさいやつだと思われただろうか・・ けれど気にするなという方が無理だ。 白瀬と付き合うようになってもうすぐ四ヶ月。 その期間で白瀬が藤野を忘れらたのか、怖くて一度も確認はできていない。 学校に行けば当たり前のようにいるのだ。 忘れろという方が無理な話だということはわかっている。 鮎川が不安そうな顔で俯いていると、白瀬はポンと鮎川の頭を優しく叩いて言った。 「めちゃくちゃ平気!だって今鮎川いるんだし!ただのクラスメイトのことは気にする必要なしだって」 「・・・強がってないか?」 「鮎川は弱ってる俺の方がいいわけ?」 「そういうわけじゃ無いけど・・」 「さっきも言ったけど、俺は楽しくやりたいわけ!藤野のこと考えてると全然楽しくないからな。今は鮎川と東京でどんだけ楽しく遊び回るかで頭いっぱいよ」 「・・・そう」 鮎川は少しホッとしたように視線を下に向ける。 白瀬は自分とのことを考えてくれている。 それなら嬉しい。 楽しいことを選んで生きていくのが上手い白瀬が、どうかこの先も自分を選んでくれますように・・ 鮎川はそっと心でそう願いながら、空の星を見上げた。

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