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第11話 白瀬
羽田空港はいつぶりだっけ、とぼんやり頭で考えてみる。
あぁ、そうだ。高校に上がる前の春休み、兄に会うため家族みんなで来た時以来だ。
あの頃は『高校に上がったらもう一度』なんて思っていた。
市街地の高校を受けるものだと思い込んでいた両親に、二つ隣の駅の高校を受けたいと言った時の驚きようといったらすごかった。
「なんで?だって康成高校はもっと都会のとこがいいって言ってたじゃない?」
「別に定期代のこと心配してるなら大丈夫だぞ?お兄ちゃんだってそうだったんだし」
「お金のことじゃないって。やっぱり近い方がいいなーって思っただけよ。朝寝れるじゃん」
「でも、あそこの高校はテニス部も全然強くないでしょ?テニス部が強い高校行きたいんじゃなかったの?」
「・・いーの。他にやりたいことがあるから!」
そう言って両親との会話を遮断して、白瀬は自分の部屋へ戻っていった。
それからボスンとベッドへダイブする。
そう、本当はずっと高校は都会に出るつもりでいた。
周りもみんなそうだし、その選択が普通だと思っていた。
中学三年生になり、進路が気になり出した頃。
初体験の相手だった先輩との関係が終わり、クラスメイトの堤結菜に告白された。
結菜は普段からよく話す友人の一人だ。
明るくノリのいい子だということも知っている。
今付き合っている人はいない。
好きな子とどうなるわけでもない。
楽しくいたい。だからすぐにOKの返事を出した。
一緒に登下校をし、休みの日は遊んで、少しして結菜の家でそういう行為にもおよんだ。
ノリのいい結菜といる時間は楽しく、クラスメイト達も公認の仲の良いカップルだったと思う。
「おんなじ高校行きたいね!」
それはいつの間にか結菜の口癖のようになっていた。
二人で肩を組んで廊下を歩いていると、向こうから楽しそうに談笑する生徒達が目に入った。
世南とその友人だ。
世南達は一瞬こちらをチラリと見る。
その後に「すげーっ」と小声で友人が言ったのが聞こえた。
世南はニコニコと笑っている。
隣のクラスのカップルになんて興味はないといった顔だ。
それを見て白瀬は悔しさから思わず結菜の肩を強く抱き寄せた。
世南はあの日以来、あの事について全く触れてこない。もちろん話しかけてもこない。
罪を、かぶってやったのに・・それなのにあいつは、俺との関係なんてなかったかのような顔で過ごしている。このまま、何もなかったことにして卒業するつもりか?
いつの間にかそんなドス黒い気持ちが燻るようになっていた。
「えっ、藤野△△高校にすんの?」
「うん。近い方がいいし、高校になったら妹達のお迎えとかも行けるからさ」
「まじかー。でもあそこの高校周り何もないじゃん!遊びにも行けないぜ?」
「妹達のお迎えあるから遊びにいく予定はないし。近さが一番の魅力だよ」
その会話を聞いたのはたまたまだった。
いや、正確には進路相談の順番待ちをしている時に聞き耳を立てていたのだ。
二つ隣の駅にある一番近い高校。
あそこを受ける気なのか・・
白瀬は自身の進路調査票をギュッと握りしめた。
テニス部が強い高校に入ろうと思っていた。逆を言えば進路を決めるための決め手はそれくらいしかなかった。
テニスはどこでだってできる・・
別に全国を目指してるわけではない。自分にそれほどの実力があるわけではないこともわかっている。
この先も楽しくテニスが続けられるならどこでだっていいはずだ。
「康成!!なんであそこなの?!私は絶対嫌だ!放課後デートとか出来ないじゃん!」
結菜が涙目になりながら言った。
「色々考えたんだけど、家から近いのが一番かなって」
「なんでよ!私は嫌!制服も可愛くないし!もっといっぱい高校あるじゃない!」
結菜の怒りはなかなか収まらず、他の高校の魅力や行くと決めた高校の悪い点などが書かれたメッセージが山のようにくるようになった。
それでも頑なに進路を変える気はないことを伝えると、結菜は「もういい!さよなら!」と言って、連絡はそれ以降くることはなくなった。
楽しい時間をくれた結菜には感謝している。
それでも、どうしてももう一度機会が欲しいと思ってしまった。
もう中学の残された時間ではきっと変わらない。けれどこのままでは終われない。
だから、もう一度。
高校生になったら彼との繋がりを取り戻したい。
そう、思っていたのに・・
ーー
「C組はこっちこーい!」
マツキヨ先生の声が羽田空港の到着ロビーで響いた。
C組の生徒達はゾロゾロと手を挙げるマツキヨ先生の周りへ集まる。
「今から山梨の方へ移動するためにバスに乗ります。途中SAには一回寄るけど、渋滞もあるかもしれないしトイレ行きたいやつは今ちゃんといっとけよ」
「白瀬ー!トイレどうする?行っとく?」
後ろから小さなキャリーケースを持った大嶋が話しかけてきた。
「いやー。今全然行きたくないしいっかな」
「そうか。じゃあ俺行ってくるから荷物見ててくんね?」
「いいよ」
白瀬がそう言うと大嶋はピューッとトイレの方へ駆け込んで行く。
初めての飛行機と言っていたから緊張していたのかもしれない。
「あれ?なんで白瀬荷物二個持ってるの?」
後ろから少し高めの声で話しかけられる。
振り向くと木崎美鶴が立っていた。
「こっちは大嶋の分だよ。あいつ今トイレ行ったから」
「ふーん。そんなことよりさ、相談あるんだけど」
聞いてきたのは美鶴なのに大嶋の荷物とわかると全く興味がないと言った口調だ。
「遊園地の日、私達のグループと合流しない?みんな白瀬と遊びたいって言ってるんだけど」
「うーん。俺らのグループ人数多いからなぁ。これ以上合流したらみんなで一緒にアトラクション乗れなくなるし。今回はやめとくわ」
「何それ・・その中に女子何人いるわけ?白瀬誰にでもいい顔してると誤解されるよ?」
「誤解ってなんだよ。悪いけど今回はみんな男子です〜」
「本当に?とか言って結局女子とも合流するんじゃないの?そういうの昔から変わらないよね。私すごい嫌だったんだけど」
「いつの話してるんだよ。終わったことだろ」
「・・別に、私は終わったつもりないもん・・」
「いや、美鶴あのさ・・」
「・・もういい!」
美鶴は不満そうな顔をするとプイと踵を返して友人の方へ戻っていった。
向こうから振って終わった関係だというのに、何事も無かったかのように、なんならまだ彼女であるかのように接してくる。
その傲慢さがある意味羨ましい。
美鶴は高校に入って一番最初にできた彼女だが、彼女と付き合うことにした理由は決して誠実なものではなかった。
世南と同じ高校に入学したものの、またもや同じクラスになれなかった。ここまでなれないと本当に縁がないのではと思ってしまう。
それでも廊下では会える。自分が同じ高校にいると気づいたら世南はどうするだろう。
少しでも何かが変化することを期待したが、世南は自分がいることなど気づきもしないといった態度だった。
新しい友人を作り楽しそうに過ごしている。
自分だけが一人気にしている。そんな状況に白瀬はイラつき始めた。
そんなタイミングの時に美鶴と仲が良くなった。
世南がそうやって自分の存在を知らないふりして過ごすのなら、こちらだって楽しく高校生活を過ごしてるところを見せつけてやる。
そんな気持ちから美鶴と付き合うようになったのだ。
美鶴に対して誠実に向き合うことをしなかった。
だから美鶴に振られても仕方がなかったと思っている。
「・・何話してたんだ?」
気がつくと真正面にいた鮎川が小声で聞いてきた。
「別に。なんでもないよ」
白瀬がそう言うと鮎川は無言でチラリと美鶴の後ろ姿を見つめる。それからハァとため息をついた。
「どうせ誘われたんだろ。元カノにいつまでも優しくしてたら勘違いされるぞ」
先ほどの美鶴と同じようなことを鮎川も言う。
「わかってるよ。けど今は鮎川がいるだろ。何か起こるわけないじゃん」
「・・・」
鮎川は下を向いて少し気まずそうな顔で頬を赤らめる。
それを見て白瀬はクスっと笑った。
「照れるなよ鮎川ー!修学旅行楽しもうな!」
「照れてない!」
そう言ってキッと白瀬を睨みつけると、鮎川は大股で離れていった。
鮎川と付き合うようになって、以前よりももっと彼の魅力に気がつくようになった。
華奢で綺麗な見た目も彼の魅力の一つだが、鮎川にとってはそれはコンプレックスだということを知っている。
それにどちらかと言うと、白瀬は鮎川の性格を気に入っていた。
ストイックで真面目で負けず嫌い。周りに流されないしっかりとした芯を持っている。
それらはすべて自分にはないものだ。
白瀬は憧憬の眼差しで鮎川の後ろ姿を見つめた。
バスの座席は事前に決まっている。
白瀬は一番後ろの席でその横や前に同じ班の友人達が座っている。
鮎川は酔いやすいと言う理由から前の方の座席に座った。
その斜め後ろに冬馬と小森が座っている。
世南は二人の後ろの席だ。
隣には誰もいない。
三人でジャンケンをして決めていたのを白瀬は知っている。
小森はあの二人の関係を知っているのだろうか。
いつも一緒にいるのだから、知らなくても気づいてはいるに違いない。
白瀬はそんなことをぼんやりと思いながら窓の外に目を向けた。
同じ教室にいても、同じバスに乗っていても、関わろうと思わなければ話す機会もない。
普通のクラスメイトととやらに戻ったわけだが、普通のクラスメイトだった時は一回もなかったのだからどう接するのが正解かわからない。
他のクラスメイトと同じように、何事もなかったかのような顔で話しかければいいのだろうか。
けれど何を?どんな風に?
自分も美鶴のようにできればいいのに。
そう思いながらも白瀬は結局何も出来ないままでいた。
それからバスは高速道路に入ると休憩所のサービスエリアまで走り続けた。渋滞もなく順調なようだ。
車内ではお喋りする者やずっとスマホを見ている者、静かに外の景色を見る者と、それぞれ自由に過ごしている。
白瀬も近くに座っている友人達とくだらない手遊びゲームで盛り上がった。
一時間ほど走ったところでバスはサービスエリアの駐車場に止まった。
「ここを出たら目的地まで休憩はないからな。トイレや買い物があるやつは済ませておけよ」
一番前に座っていたマツキヨ先生が生徒達に声をかける。
「白瀬、買い物行こうぜ!あれ美味そう!」
窓から見えるサービスエリアの出店を指差しながら大嶋が言った。
白瀬も「おう!」と応えると大嶋の後ろを歩いて前方の扉へ向かう。
すると、途中でピタリと大嶋が止まった。
前が詰まっているのかと目を向けると、小森が車内の通路に立って後ろの席の世南を見ている。
「藤野、めっちゃ熟睡してるよー。どうする冬馬君?」
「寝かせといてやれよ。世南出発前にトイレ行ってたし多分大丈夫だろ。それより、後ろ詰まってるぞ」
小森よりも前のほうにいる冬馬にそう言われて、小森が後方に目をやる。
自分のせいで列ができていることに驚いた小森は「わ、ごめん!」と言って急いで前の方へ移動して行った。
小森がいなくなり再び列になった生徒達が動き始める。
白瀬は歩きながらチラリと横に目をやった。
窓にもたれかかるように世南が眠っている。
スースーと深い寝息を立てていて、簡単には起きなさそうだ。
「おーい!白瀬いくぞ!」
「おう」
大嶋に呼ばれ白瀬は世南から視線を外すと、バスの外へと向かった。
「あっ!」
バスから出て数歩歩いたところで白瀬は大きな声をあげた。
「なんだよ?どうした?」
大嶋が驚いたような顔で振り向く。
「財布バスに忘れたわ」
「財布?スマホあれば大丈夫じゃね?」
「わかんないじゃん。出店とかだと使えないかもしれないし」
「もし無理なら金貸してやるよ。早く行こうぜ」
「いや、金の貸し借りは良くない。いくら俺と大嶋の仲でもな」
白瀬はすっと手を前に出して言う。
「ちょっと取りに行ってくる。お前ら先に行っててよ。そんで美味そうなもの探しておいて!」
「えっ。あぁ、わかった」
大嶋達はそう返事すると、再びサービスエリアの店の方へと歩き出した。
白瀬はそれを見届けるとくるりと踵を返す。
それからすぐに乗ってきたバスへ向かった。
バスの外ではここまで運転してくれた運転手が一服している。
白瀬は運転手にペコリと軽く会釈をすると静かにバスに乗り込んだ。
バスの中はシンと静まり返っている。しかし微かに小さな寝息が聞こえた。
白瀬はその音の方へそっと近づく。
世南が先ほどと変わらない姿勢で気持ちよさそうに眠っている。
白瀬は前屈みになり世南の顔を覗き込んだ。
無防備な寝顔からは普段の遠慮がちな雰囲気は見られない。
「・・そういうところをまた見せて欲しかったのにな、俺だけに・・・」
ボソリと本音が溢れる。
そして、その本音を溢した唇をそっと世南の唇に押し付けた。
「・・ぅん」
ピクっと世南の肩が揺れる。
「・・・藤野・・」
白瀬が世南の名前を呼んだ瞬間、ガタっと音がした。
パッと顔を上げると、冬馬が白瀬を睨みつけるようにして立っている。
それから低く小さな声で聞いた。
「・・・何、してるんだ?」
「・・・」
白瀬はジッと黙ったまま冬馬を見つめる。
今のを見られただろうか。
別に、言い訳ならいくらでも出来る。
けれど・・ここで誤魔化したらまた何も変わらないままの関係が続くに違いない。
「・・あー。見られちゃった?キスしたところ」
「・・は?」
白瀬がケロッとした口調で言うと、冬馬は先ほどよりも険しい顔で眉間に皺を寄せた。
「別にたいしたことじゃないって。俺、前にも藤野とキスしたことあるし」
「・・・どういうことだよ」
冬馬はただでさえ低い声をさらに低くさせて聞く。
しかし白瀬は怯むことなく笑って言った。
「だから、藤野君とキスしたことがありますって言ったの。中学生の時にね」
「・・っ!」
冬馬の手が白瀬の胸ぐらめがけて伸びてきた。
掴まれる・・!
そう覚悟した瞬間「冬馬君?!」と驚くような世南の声が聞こえた。
下に目を向けると世南が目を丸くさせて白瀬と冬馬を見つめていた。
「・・なに、やってるの?二人で・・」
「・・・」
冬馬は白瀬から離れると、世南から目を逸らせて黙り込む。
しかしすぐに白瀬の方に向き直ると指を指して言った。
「こいつが・・世南に何かしようとしてたから」
「え・・・」
世南は不安げな瞳を白瀬に目を向ける。しかしバチリと目が合うと眉尻を下げて笑った。
「何かの・・間違いだよな?だって、俺別に白瀬とは・・」
「キスした」
世南の言葉を遮るように白瀬が言った。
「・・え」
「藤野、寝てたから。気づかなかったっしょ?」
「・・なんで?何?えっ・・」
世南は混乱しているのか、訳がわからないといった顔で引き攣った笑いを浮かべる。
「前にもしたことあるんだから、何回したって変わらないだろ。俺、手出すの早いみたいだし?」
「・・・」
「竹ノ内君には言ってないの?俺たちの事」
「・・白瀬」
「今付き合ってるなら言っておいた方がいいんじゃない?中学生の時俺たち・・」
「白瀬!!!」
世南はバッと立ち上がると、白瀬の腕を掴んだ。
「やめろよ・・昔のことは昔のことだろ。今は関係ない」
「そう?昔のことでも知っておいた方がいいこともあると思うけど」
「・・・」
「俺は、今の相手にも藤野とのことちゃんと伝えてある」
「え・・・」
「向こうは納得して一緒にいてくれてるよ」
「・・・なんで・・」
世南はガクンと下を向く。少し震えているようだ。
それまで黙って聞いていた冬馬がスッと白瀬と世南の間に入った。
「・・世南、大丈夫か?」
世南はコクンと小さく頷く。
けれど震えはまだ止まっていない。それに気がついた冬馬は世南の肩を優しく撫でた。
その様子を見て白瀬の胸がチリリと痛む。それは嫉妬からくるものだとすぐにわかった。
「・・俺は」
白瀬は喉の奥に留まっていた声を絞り出す。
「もう、あの頃のことを消して過ごしたくない。一緒に過ごした時間をなかったことにはしたくない。藤野の、隣に俺がいた時もあったんだって・・」
「・・・」
「元に戻れなくても・・」
「・・・白瀬」
「お前ら何やってんの?」
重苦しいバスの空気を吹き飛ばすような、能天気な大嶋の声が聞こえた。
前を見ると、バスの入り口からひょっこりと大嶋が顔を出している。
「白瀬ー!早くこいよ!休憩時間終わっちまうぞ」
「・・おう!」
白瀬は切り替えるようにニコリと笑って顔を上げると、スッと冬馬の横をすり抜けた。
世南と冬馬の方には目も向けない。
今、二人がどんな顔をしているのかなんてもう自分には関係ない。
昔のことを知った上でどうするかはあの二人が決めることなのだ。
もう自分が入ることはできない。
それでも、自分の爪痕を残せたことに少しだけスッとしている。
あの時の事をなかったことにはさせたくないから。
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