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第11話 鮎川

クラスメイト達と大浴場に入るのだけは避けたい。 そう思ったので体調不良を装って、一人だけ風呂の時間をずらしてもらった。 最初白瀬は心配そうに顔を見にきたが、事情を察したのか「また後でな」と言って他の生徒達と大浴場へと向かって行った。 静かな部屋で一人、鮎川はゴロンと横に寝そべる。 先ほど食べた夕飯の量が多くて少し気持ち悪い。 昔から食べ物は残さないようにと躾けられてきたので、お腹いっぱいでも無理矢理食べてしまう。 「はぁー」 長いため息をついてお腹をさすった。 まだ修学旅行は始まって一日目だが、すでにかなりの疲労感だ。 まさか自然学習の班で世南と一緒になるとは思わなかった。 余計なことをしてくれたもんだと、マツキヨ先生に心の中で毒づく。 しかし一瞬不安に思ったものの、みんな普段通りの面持ちで自然学習をこなした。 鮎川も久しぶりに世南と話したが、不自然な態度は取っていないと思っている。 それよりも、以前にも増して世南と冬馬の距離が縮まったように見えた。 もしかしたら・・ なんてことを考えてみる。 それならば安心だからだ。 「鮎川ー!」 目を瞑っていると能天気な声で名前を呼ばれた。 鮎川はむくりと起き上がり、扉の方へ目を向ける。 ガラリと扉が横に開き、白瀬がひょっこりと顔を覗かせた。 「風呂の時間、みんな終わったぜ。他の奴らは今からホールで明日の説明聞きに行くから今のうちに入っちゃえよ」 「え、俺のその説明聞かなきゃダメだろ」 「大丈夫だって。先生に確認したら、後で班のメンバーに内容聞けばいいって。俺が後で教えてやるよ。今風呂入った方が寝る時間ズレなくて済むだろ」 「・・うん。ありがと」 「おっ、二人の時は素直にお礼が言えるんだな〜。まぁ素直じゃなくても可愛いけどな!」 「うるさい!」 鮎川はキッと睨みつける。 それからボソリと小さな声で聞いた。 「風呂、みんなで入ったんだろ・・?どうだったんだよ・・」 「?どうだったって?」 「・・・わかってるだろ。俺の口からは言いたくない」 鮎川がプイッと顔を背けて言うと、白瀬はポリポリと頭を掻いて首を傾げた。 「あのさ、今は修学旅行中でクラスメイトもみんないて、楽しむ時だからさ。それ以外のことは考えてないよ」 「・・本当かよ」 「本当も本当!高校の修学旅行なんて一生に一回なんだから楽しまなきゃ損だろ」 「・・・」 「ほら!心配してないで早く風呂行ってこいって!」 「・・うん」 鮎川はゆっくりと立ち上がると、自分の鞄から着替えとお風呂セットを取り出す。 それから扉の方へ向かい、白瀬と共に部屋を出た。 「明日は一日自由行動だよな。鮎川行きたいところ言うなら今のうちだぞ」 宿泊所の廊下を歩きながら白瀬が言う。 「大嶋達がだいたいコース決めちゃってるけど、まだ変えられるし」 「別に行きたいところなんてないからいい」 「えー。なんかないわけ?せっかく東京まで行くんだし」 「・・だったら・・」 「うん?」 「白瀬と、二人になりたい。ずっとじゃなくていいから」 そう思わず言葉が出てしまい鮎川は下を向く。 毎回素直になった後は穴があったら入りたくなるほど恥ずかしい。 いつなったらこういうことに慣れるのだろう。 「なんだ、そんなことでいいのか?」 ケロッと軽い返事が返ってきて鮎川はパッと白瀬に目を向ける。 「いいじゃん!明日昼食べ終わったら二人でどっか行こう!大嶋達は原宿行くって言ってたけど鮎川人多いとこ苦手そうだなって思ってたんだよな」 「・・いいのか?」 「当たり前だろ。お前は俺のなんなんだよ?」 「・・えっと・・」 「はは!また恥ずかしがってる!まぁいいや!じゃあどこ行きたいか考えとけよ!」 白瀬はそう言うと、ホールのある方へと廊下を曲がって行った。 明日、白瀬と二人きりで出かけられる。 よかった。 白瀬を独り占めすることができる。 鮎川はいつもより軽い足取りでお風呂へと向かった。 風呂から上がって部屋に戻ると、すでにクラスメイト達がそれぞれ布団をひき始めていた。 男子生徒の数は十四人なので、七枚づつ横にひいたものを二列作っている。 「鮎川!こっち」 白瀬に呼ばれて行くと「鮎川はここな!」と端っこの布団を指さされた。 「俺、端でいいのか?」 「えっ!むしろ端でごめんなって感じだけど?夜の暴露大会参加しずらくね?」 「そんなの参加しないから」 「はは!そっか」 白瀬はそう言うとチラリと舌をのぞかせる。 これは白瀬なりの気遣いだろう。 鮎川のことをよくわかってくれている。 自分の鞄の荷物を整理しながら部屋を見回すと、世南の姿が目に入った。 世南は冬馬と小森と鮎川の反対側の端をキープしている。 小森が一番端で世南、冬馬と並んでいた。 世南が真ん中に入って楽しそうに話している。 再び自分の近くに視線を戻すと、白瀬が友人達と大きな声で笑っていた。 教室で見る景色となんら変わらない。 もう後は消灯の時間を待って眠るだけだ。 色々なことを気にしすぎていたのかもしれない。 それから電気が消されると、宣言通り白瀬達仲の良いメンバーを中心にコソコソと暴露大会が始まった。 鮎川は参加する気はないので横を向いて目を瞑る。 誰が誰を好きだとか、告白して振られただとか、実はあの先生とあの先生が付き合っているだとか内容はそんな感じのものばかりだ。 自分と関係のない人間の恋路がそんなにたのしいものなのかと呆れてしまう。 そんなことを考えているうちにうつらうつらと鮎川は眠くなってきた。そのままふっと意識が途切れる。 どれくらいの時間、眠っていたのだろう。 ボソボソと聞こえる話し声で目が覚めた。 部屋は真っ暗で静かだ。 ほとんどの生徒が眠ってしまっている。 今は何時だろう・・ ボゥっとする頭でくるりと寝返りを打つ。 すると二つの人影がそっと部屋から出て行こうとししているのが見えた。 誰だ・・・ 鮎川は静かに起き上がる。 横で白瀬が寝息をたてて眠っている。一体何時まで話していたのだろう。 暗い中目を凝らして見てみると、反対側の布団が二つ空いている。 まさか・・・ それはほんの好奇心と確認のためだった。 鮎川は静かに布団を抜け出すと、二人の後を追いかけるようにそっと部屋の外へと出る。 お手洗いは部屋にないため、もしかしたら用を足しに行っただけかもしれない。けれど、もしかしたら・・ あの二人の関係が確認できたなら鮎川は安心できるのだ。 廊下の電気は薄暗くなってはいるものの、ちゃんとついている。その先の強く光っているところがお手洗いで目の前には自動販売機と休憩スペースがある。 鮎川は足音を立てないようにそっとそちらの方へ歩いて行く。 あと少しのところで、休憩スペースの方から話し声が聞こえた。 「小森やっと寝たね。本当に気使ってるんだなぁ」 「あいつは人一倍気を使いすぎなんだよ。何をそんなに怖がってるんだか・・」 「でもそれが小森のいいところだよ。今日だって・・冬馬君の顔色めちゃくちゃ伺ってたからね」 「・・・」 世南が揶揄うように言うと冬馬がブスッと拗ねた表情で黙った。 鮎川は二人に気づかれないようにそっと影から様子を見る。 思っていた通り、世南と冬馬だった。 こんな時間に何をしているのだろう。 「小森には本当に感謝しなくちゃって思ってるよ。俺達のこと理解してくれてさ、今日も仲直りできるように二人にしてくれて」 「別に・・喧嘩してたわけじゃないだろ。今日のことは全部白瀬が悪いんだ。修学旅行中にあんなこと・・」 え・・・ 白瀬の名前が出て鮎川の心臓が跳ねる。 ・・なんでここで白瀬の名前が出てくるんだ? 鮎川はドクンと揺れる胸を押さえながら聞き耳を立てた。 「終わったことだからさ。大丈夫だから」 「世南も・・あんまり油断するなよ。またキスなんてされたら今度は本気で殴るからな」 「はは!冬馬君、一見喧嘩とか強そうに見えるけど本当は苦手でしょ?わかるよ。俺も冬馬君と一緒だから」 「・・でも、世南に手出されたらさすがに許せない」 「・・俺も、冬馬君が悲しいことは嫌だな」 世南はそう言うとスッと立ち上がって冬馬の前に立つ。そしてコツンと冬馬の額に自身の額をぶつけた。 冬馬はグッと腕を伸ばすと、世南の体を引き寄せる。 それから首をぐいっと伸ばし世南の唇にそっと触れた。 「へへ。大胆じゃん」 世南はイタズラっぽく笑う。 「・・ぅん」 それから再び二人は唇を重ねあった。 鮎川はその様子を途中まで見るとくるりと向きを変え、歩いてきた廊下を再び音を立てないように進んだ。 本当に、あの二人は恋人同士だった。 世南にもう新しい相手がいるのなら、心配することはない。 そう思っていた。 なのに・・ さっきの話はなんだったんだ? キスをした?白瀬が?今日? 鮎川は歩きながらもゾワゾワと襲いかかる不安から胸に手を当てる。 あの二人の関係を確かめに行くだけのつもりだったのに、まさかこんな流れ弾のような話を聞くなんて。 もし先ほどの話が本当ならば、白瀬は・・ 鮎川は胸の前に当てた手のひらをグッと握りしめ、静かに部屋へと戻って行った。 修学旅行二日目、生徒達はバスで東京まで戻ってきた。 その後の時間は東京駅を起点に班に分かれて自由行動となる。 「ふわぁ・・」 鮎川が小さなあくびをすると、横にいた白瀬が覗き込んで言った。 「なんだよ、鮎川。お前昨日の夜一番最初に寝たのに眠いのか?」 「・・・別に。あんまり深く眠れなかったんだよ」 鮎川は白瀬から視線を逸らして答える。 昨日、あれからほとんど眠ることはできなかった。目は瞑っていたものの、グルグルと嫌なことばかりが頭を巡って目が冴えてしまったのだ。 「午後はゆっくりしようぜ。鮎川行きたいところ考えたか?」 「・・カラオケ」 「え?」 「だから、カラオケ。場所はどこでもいい」 予想もしていなかった場所だったからか、白瀬はポカンとした顔で鮎川を見る。 しかしすぐに頷くと「わかった!じゃぁ大嶋達と別れた後は近くのカラオケ入ろうぜ」と笑って言った。 本当は色々行きたいところを考えていた。 白瀬と二人で楽しい思い出を作りたかった。 けれど、今はそんな気分じゃない。 一刻も早く確かめたいことがある。 白瀬達のグループは東京駅から渋谷へ移動すると、駅直結の商業施設へと入った。 そこでいくつかのお店を見た後、センター街でプリクラを撮りグループの一人が熱望していた食べ放題のお店へ入った。 みな元を取るためだとすごい勢いで料理を食べていく。 白瀬も普段通り楽しそうに料理を食べては笑っている。 鮎川はその様子を見ながらちょびちょびと食べ物を口へ運んでいった。 「よし!じゃあさ俺と鮎川はちょっと他に行きたいところがあるからここで一回解散!」 お昼を食べ終わると、白瀬は宣言通り大嶋達に別行動を提案した。 「は?なんだそれ?!」 大嶋が大きな声で叫んだ。 「お前ら原宿行きたいんだろ?鮎川はさ、東京の美術館か科学館だかに行きたいらしくて。なので俺がお供しようかと」 「なんだそれ?鮎川どこの美術館だよ?!」 「え・・いや、俺」 鮎川が戸惑っていると、白瀬が鮎川を庇うように前に出て言った。 「それはこれから調べるんだよ!お前らは興味ないだろ?だから別行動にしようぜ。ちゃんと集合時間までには東京駅に戻るからさ」 白瀬はそこまで言うと、鮎川の腕を引っ張て「じゃぁ!」と大嶋達に手を振る。 「えー?なんだよー?!」 後方から大嶋達の文句を言う声が聞こえたが白瀬は構わず歩き続け、人混みの中へと紛れていった。   「よし!ここまでくればもう見つからないだろ!しっかし渋谷人多いなぁ。迷ったら帰れないんじゃないか」 大嶋達と別れた場所から数分歩いたところで白瀬が周りを見渡して言った。 「逆にこれだけ人がいるんだから迷ったら聞けばいいんだよ。田舎の方が迷ったら終わる」 「たしかにな!電波も届かなかったりするしな! 鮎川はぐれないように手でも繋ぐか?」 白瀬がニヤニヤしながら手を差し出してくる。 握り返されることなんてないとわかっての行動だろう。 しかし鮎川はその手をギュッとキツく握りしめた。 「え?!」 白瀬は驚いて笑ったまま鮎川を見つめる。 「なに、どうした鮎川・・」 「ホテル、行こう」 白瀬の言葉に被せるように鮎川は言った。 「え・・・」 「渋谷、そういうホテルいっぱいあるって聞くし。調べれば行けるだろ。上着着てるから高校生だってバレないよ、きっと」 「いや、でも・・」 握った手からジワリと汗が滲むのがわかる。 それは自分のものか、それとも白瀬のものか。 いつも飄々と余裕そうな白瀬が、珍しく焦っている姿を見るのは少しいい気分だ。 「どうしたんだよ、鮎川?お前らしくないぞ」 「俺らしいって何?俺だってそういうことしたいって思うけど?付き合ってるんだから問題ないだろ」 「いや、でもさ修学旅行中にそれは流石にやばいって。わかるだろ?」 「・・でも」 「うん?」 「昨日、藤野と竹ノ内だってキスしてたけど?」 「・・・は?」 白瀬の表情が固まる。 鮎川はふんと鼻を鳴らしながら笑いながら言った。 「あの二人付き合ってるんだな。昨日の夜、夜中にトイレ行こうと思って廊下に出たら二人がいてさ。こっそりキスしてるの見たよ」 「・・・」 「藤野は竹ノ内みたいなのが好きなんだな。白瀬とは真逆のタイプだ。そりゃフラれるのも当たり前だよな」 「・・・」 「あいつらだって修学旅行中に隠れてそういうことしてるんだから、俺達だって構わないだろ?」 わざと、意地の悪い言い方をした。 白瀬がどんな反応を見せるか知りたかったからだ。 しかしそれまで無表情だった白瀬は、再びいつもの余裕のある笑顔に戻ると鮎川の手を引っ張って言った。 「じゃぁさ、そういうことは今日の夜にしようぜ。ホテル二人部屋で一緒なんだし。わざわざリスク背負ってラブホに入る必要なんてないだろ」 「・・・」 「な?今日は他の部屋の奴らと集まったりしないからさ」 「・・・わかった」 鮎川がそう答えると白瀬が小さく息を吐くのがわかった。 「よし!じゃぁカラオケ行こうぜ!あそこにもあるし!」 白瀬はそう言って少し離れた建物のカラオケの看板を指差す。 「いや、いいよ。別に行きたかったわけじゃないし。大嶋達と合流しよう」 「・・え。なんでだよ。だってお前・・」 戸惑う白瀬を無視して鮎川はスマホを取り出すと大嶋に電話をかけた。 連絡先は修学旅行前に念のため班のメンバー全員のを教え合っている。 数秒もたたないうちに大嶋が電話に出た。 『もしもし?鮎川から電話とかびびったわ?!お前らどこにいんの?!』 「やっぱり美術館行くのやめたから今から合流する。渋谷駅にいけばいい?」 「・・おい。鮎川・・」 鮎川が大嶋と話している間にも、白瀬は戸惑った様子で声をかける。 それから鮎川は電話を切ると白瀬の方を向いて言った。 「大嶋達駅で待っててくれるって。行こう」 「・・鮎川はそれでいいのかよ?」 「別に。白瀬と二人でやりたい事はさっき言った事だし。夜にやれるなら昼はいいよ。原宿だって興味はあったし」 「・・・」 黙る白瀬を置いて鮎川はスタスタと歩き出す。 白瀬はその後を無言のまま着いて行った。 結局、一番気になっていることは聞けなかった。 聞いたら白瀬はどう答えるのか。 その答えによっては二人の関係が今、この瞬間に終わってしまうかもしれない。 それが怖くて聞けなかった。 白瀬はいつだって余裕のある顔をして笑う。まるで本心は見せないように。 そんな白瀬を焦らしたり困らせることで、自分の不安を掻き消しているのだ。 鮎川は前を歩きながら小さなため息をついた。 それから鮎川達はグループと合流すると原宿へと移動した。その頃にはもう白瀬はいつもの白瀬で、大嶋達とくだらないことを言っては大笑いをしていた。 鮎川はそんなグループの後ろをついて行く。 「あっ、白瀬君・・」 多くの若者で賑わう通りで、すれ違いざまに女子グループの一人が声をかけた。 彼女のことは知っている。 去年のちょうど今頃、白瀬と付き合っていた瀬山佳代だ。 自分の前に白瀬と付き合っていた人物ということになる。 「おう!瀬山達も原宿来てたんだ?」 白瀬が明るく挨拶をする。 「うん。行きたいお店があるってみんなが言うから」 佳代は少し遠慮がちに微笑む。 すると横から佳代と同じ班の女子生徒達が割って入るように言ってきた。 「ねぇねぇ!ここで会えたのも運命じゃん!あそこでプリ撮らない!?」 「いいねいいね!白瀬とプリ撮ったらめっちゃ羨ましがられそう〜!」 「あー。残念!俺らすでに渋谷で撮っちゃったんだわ!」 白瀬が片手を顔の前にやるとペコっと頭を下げた。 「えー。いいじゃん一枚くらい〜!佳代だって撮りたいよね?」 「あ、私は別に・・白瀬君達目的の場所があるんだったら時間取らせるの悪いし・・」 そう言いながら佳代はチラリと白瀬を見た。 白瀬はそれに合わせるように言葉を続ける。 「そう、ごめんな。俺らの班分刻みで予定立ててんの。行きたいとこ多くてさ」 白瀬そう言うと「じゃ!またな〜」と言って佳代達に手を振った。 「瀬山さん、やっぱりいい子だよな〜。優しいし空気読めるしさ〜」 佳代達と別れてから大嶋がぼそっと言った。 「なんで別れちゃうかねー。もったいね〜」 「なに?俺への愚痴ですか〜?」 白瀬が軽い口調で聞き返す。 「そうだよ!お前にしては珍しい子選んだなって思ってたけどさ〜。でも白瀬、結構瀬山さんのこと好きだっただろ?」 なんだか、あまり聞きたくない話題になってきた・・そんなことを思いつつも、耳を傾けずにはいられない。 「そりゃ付き合ってたんだから好きでしょ?一応言っとくけどフラれたの俺だからな」 「別れたくなけりゃもっとごねればよかったんだよ?お前あっさり引いてたじゃん」 「無理って言われたら一緒にいるの可哀想じゃん。好きな子に無理はさせちゃだめだろ」 「・・・何、それ?」 「え?」 ボソッと聞こえた小さな声に反応して、全員が鮎川に目をやる。 鮎川は手のひらを強く握りしめながら白瀬を睨み詰めた。 「何それ?お前何様のつもり?だったらお前が努力しろよ。好きな子に無理させたくないなら、お前が無理しろってんだよ」 みんながポカンとした顔で鮎川を見つめる。 それから班のメンバーの一人が苦笑いをしながら言った。 「はは。鮎川やっぱ厳しい〜。白瀬痛いとこ突かれたなぁ」 「・・・」 鮎川は黙ったまま白瀬を見つめる。 白瀬は一瞬虚をつかれたような顔をしたが、ヘラっと笑って言った。 「確かに鮎川の言う通りだわ。お前本当かっこいいよな!俺も鮎川見習うわ」 白瀬のその言葉で凍りついていた雰囲気が和らぐ。 「鮎川、見た目に似合わず男前だよな〜!俺惚れちゃう〜!」 「俺も彼女できたら鮎川イズム忘れないようにするわ!」 班のメンバーは笑いながら歩き始める。 白瀬は鮎川の隣に並ぶと、コツンと肩をぶつけてきた。 それからコソッと小声で言った。 「お前の良いところ、広まりそうだな!」 「・・・」 鮎川は何も答えずチラリと白瀬に目をやる。しかしすぐに前に向き直った。 別に、自分の良さなんて広まる必要ない。 知っていてほしい人物はただ一人なのだから。 二日目の自由行動はあっという間に終わった。 東京駅に集合すると、そこから宿泊するホテルへと再びバスで移動した。 名前をよく聞くホテルチェーンだ。 鮎川はグッと上に目をやった。 背の高い建物が目の前に聳え立っている。 「夜景がきれいだぞ」と解散する前にマツキヨ先生が生徒達に言った。 「おぉー!ベッドふかふかじゃん!」 部屋に入ると白瀬が白いシーツが綺麗に敷かれてあるベッドに手をついて言った。 「このホテル、どの窓からでも東京タワー見れるらしいぜ!」 「ふーん」 鮎川はそっけない返事をすると、すぐに荷物を開けて整理を始める。 「部屋着に着替えたらすぐに夕食だぞ。白瀬も早く準備しろよ」 「・・おう!」 白瀬は明るく返事をすると鮎川と同じように荷物の整理を始めた。 今はまだ・・白瀬と向き合わない。 それは夜になるまで取っておくんだ・・ 夕食はホテルの中の宴会場でバイキング形式となっていた。 席はクラスごとに決められた丸テーブルに座る。 鮎川が何を食べようか悩んでいると、トンと隣にぶつかった。 「あ、ごめん」 声のしたほうに目をやると世南がトレイを持って立っていた。 「・・あ」 一瞬世南の目が泳ぐ。 しかしすぐにニコリと笑うと「何取ろうか迷っちゃうよね」と話しかけてきた。 「・・そうだね」 鮎川はそっけない返事をする。 あの話を聞いてから、世南のことは見ないようにしていた。 世南を見ると想像してしまうからだ。そして聞いてしまいたくなる。 白瀬とキスしたのか?・・と。 鮎川が黙っていると、世南は気まずく感じたのかさらに話を振ってきた。 「鮎川君達、今日はどこ行った?俺達は小森のリクエストで浅草とかスカイツリー行って来たよ。料金高いから登りはしなかったけどさ」 質問されて無視をするのはよくない。 鮎川は世南の方は見ずに答えた。 「・・俺らは渋谷とか原宿の方かな。人多くてキツかった」 「渋谷か〜!確かに人すごそうだね。でも一度は行ってみたいな〜」 世南はそう言いながら、目の前にあった唐揚げを取る。 鮎川はチラリと見ながら唐揚げの隣のハンバーグを取ろうかと考えた。 すると世南の横から小森がズイッと入ってきた。 「おおー!唐揚げ美味そう!俺も俺も!」 「はい」 世南は手に持っていたトングで唐揚げを一つ摘むと小森の皿に置く。 「お!ありがと藤野!」 「どういたしまして。今日は夜中まで話すんだろ?お腹いっぱいにしとかなきゃもたないよ」 「へっへー!お菓子もバッチリ買ってあるもんね」 小森のその得意気な話を聞いて鮎川はふと思ったことを聞いた。 「藤野君と小森君同じ部屋なの?竹ノ内君は?」 鮎川の質問に世南が笑って答える。 「俺達は三人部屋だよ。部屋入ったらエキストラベッドがあったよね。誰がそこで寝るかさっそくジャンケンで決めたし」 「で、藤野が寝ることになりましたー!」 小森がニヤニヤと笑って言う。 「・・そうなんだ」 てっきり世南は冬馬との二人部屋だと思っていた。 「三人部屋にもできたんだね。二人部屋しかないのかと思ってた」 「うちの学年男子は奇数じゃん。だから一部屋だけ三人部屋だったんだけど、奇跡的にその部屋に俺らなれたんだよ」 世南がそう言うと小森ハァッと息を吐いた。 「本当よかった。俺藤野と冬馬君以外とだったら緊張して多分一睡もできなかった。徹夜するところだった」 「小森のお喋りは楽しいからきっと盛り上がると思うけどなぁ」 「盛り上がらなかった時のダメージがデカすぎてそんな賭けしたくない!」 あははと世南は楽しそうに笑う。 鮎川はその様子を見ながらチラリと遠くの方でデザートを取ろうとしている白瀬に目をやった。 このことを白瀬は知っているのだろうか。もしかしたら白瀬も二人部屋しかないと思っているかもしれない・・・ 「俺ら今日は疲れたから早めに寝るわ。明日の最終日はお前らの部屋行くからさ!じゃ!」 夕食を食べ終わって部屋に戻る際、白瀬は友人達にそう言って手を振った。 予想した通りブーイングが起こる。 「えぇー?!お前体力バカじゃなかったのかよ!?」 「UNO持ってきたんだぜ!?白瀬いないと盛り上がらないだろ」 「明日の遊園地のために体力回復しておきたいんだわ。俺めっちゃ楽しみにしてるから!だからお前らも早く寝ろよ!」 そう言うと、白瀬は鮎川の腕をグイッと引っ張った。 「ほら、行こう鮎川」 「・・あぁ」 鮎川は白瀬に引っ張られるままに歩いて行く。 部屋に戻ると白瀬はすぐにガチャンと扉を閉めた。オートロックなので鍵は自動で閉まる。 「・・白瀬・・」 鮎川が振り向こうとすると、すぐに白瀬に抱きすくめられた。 「っ・・・ぅん」 重ねられた唇からすぐにするりと舌が入り込んでくる。 その流れはもう慣れたものだ。 啄むような動きと食むような動きが交互に繰り返される。 「・・ハァ・・ぅん・・・」 「うぅん・・しら・・せ」 鮎川は重ねられた唇の隙間から白瀬の名前を呼んだ。 「・・うん?」 白瀬は目を瞑りながら応える。 「・・今日、持ってんの?」 「うん・・一応な」 そう言うと白瀬は鮎川からそっと離れる。 それから床に置かれていた鞄をゴソゴソとあさり、奥の方からそっとゴムを取り出した。 「・・準備いいじゃん」 「そりゃあなぁ。鮎川と二人部屋なんだから一応さ」 「でも、修学旅行に持ってくるのはまずいんじゃないの?」 「何言ってんの鮎川君。こっそり友達同士で部屋交換してカップルで同じ部屋にしてる奴ら何組もいるんだよ。そいつらに比べたら俺らは元々同室。後ろめたいことなんてないっしょ」 「・・へぇ」 鮎川はポスンとベッドに座る。 「・・だったら俺らだけじゃないよな。うしろめたくないカップルはさ」 「え?」 「藤野と竹ノ内も同室じゃないの?」 「・・・」 白瀬は何も言わずにジッと黙った。 この反応を見る限り、白瀬はやはり世南達が三人部屋であることを知らないようだ。 「せっかくの修学旅行だもんな。やらないなんてことはないでしょ。堂々と宿泊所の廊下でキスしてたくらいなんだから」 鮎川はベッドに座ってジッと上目遣いで白瀬を見つめる。 真顔で見返していた白瀬だったが、フッと口の端を上げて笑うと腰に手を当てて言った。 「・・鮎川、そんな気になんの?俺がどう反応するか」 「・・は?」 「わざと藤野の話してるだろ?それで、鮎川は俺がどんな態度取れば満足なわけ?」 「・・なんだよそれ。なんでお前がそんな偉そうなこと言うんだよ?!」 鮎川はカッとなって立ち上がる。 「だってそうだろ?せっかく修学旅行楽しもうと思ってんのに、鮎川は俺を試すようなことばかり言ってさ。何が不満なのか言わなきゃわかんねーよ」 白瀬は頭をポリポリと掻きながら言う。 「・・・じゃぁ・・」 肩を震わせながら鮎川はボソリと言った。 「じゃぁ、お前が藤野にキスしたって言うのは?」 「・・・?!」 さすがに驚いたのか白瀬が目を見開く。 「聞いたんだからな。藤野と竹ノ内がキスしてるのを見た時に。お前が修学旅行中に藤野にキスしたって話してるのを・・」 「・・・」 「お前こそなんなんだよ?!俺がいるのになんで藤野にキスするんだよ?!俺だって、本当は心から修学旅行を楽しもうと思ってたよ!!それをぶち壊したのはお前だろ?!」 鮎川は感情のままに捲し立てた。 昨日の夜から我慢していたものが一気に爆発したようだ。 それでもこんなに感情的に伝えるつもりはなかった。もっと冷静に問いただそうと思っていた。 なのに・・ 白瀬が余裕のある顔をして、さも自分が正しいような言い方で説いてくるから我慢できなくなった。 結局いつだって白瀬のペースに引っ張られてしまう。 「・・それは、ごめん」 鮎川が下を向いていると、白瀬がポツリと言った。 「俺が、いけなかった。サービスエリアのバスの中で、一人で寝てる藤野を見つけて・・それで・・」 「・・・何それ?それでキスしたのか?」 鮎川の問いにコクリと白瀬が頷く。 「・・・」 鮎川は一瞬言葉に詰まったが、次の瞬間にはハッと大きな声で笑った。 「なんだよそれ?!お前変わってないじゃん?許可なくキスしたってことだろ?それって八木が俺にしようとしたことと変わらないよな?お前が昔藤野にしたってことともさ?」 「・・・分かってるよ。俺が、馬鹿だった」 「反省したら許されるのか?そんなわけないだろ?自分だったらしてもいいとでも思ってんのかよ?!」 「思ってない!!」 鮎川に攻められて白瀬も思わず大きな声を出す。 本気で怒っている声だ。 「そんなこと思ってない。あいつがもう竹ノ内と付き合ってることも知ってる。だけど、どうしても・・俺は・・」 「・・・」 白瀬の言葉はそれ以上続かない。 おそらくその先を言うことを躊躇っているからだろう。 引導を渡す役目を俺自身にやらせる気かよ・・・ 最低な奴だ。 好かれていることに胡座をかいて、自分が汚い役はやらないでおこうとする。 そんな奴を・・俺は・・ 自分といることを楽しいと思ってくれているのなら、それでいいと言い聞かせてきた。 このまま何も言わなければ続けられる。 けれど、やっぱりそれではダメなんだ・・ 鮎川は覚悟を決めたように手のひらをぐっと握りしめると言った。 「俺は、お前の自己肯定感を上げるためにいるわけじゃない。いつまでも未練タラタラな情けないお前を、慰めるために一緒にいるわけでもない」 「・・・」 「俺にだって感情がある。欲だってある。好きなやつに本気で好かれていたい。それが叶えられない相手なら、一緒には・・いたくない」 鮎川は項垂れるようにして下を向いた。 言った・・言ってしまった・・ 自分で、自分の引導を渡す言葉を・・ けれど、やっぱり迷っている。 訂正しようか。今なら間に合うかもしれない。 白瀬が何かを言う前に・・ 「・・わかった」 白瀬の言葉が聞こえて鮎川はパッと顔を上げる。 「ごめん・・鮎川には悪いことした。でも、鮎川のこと好きだったのは本当だから・・」 そう言って白瀬がスッと手を差し伸べる。 別れの握手でもしろと言うことか・・ 鮎川はその手を思い切り跳ね除ける。 「本当、ふざけてんな・・」 肩がワナワナと震える。怒りと悔しさと悲しさと、全部の気持ちがごちゃ混ぜだ。 「俺昼に言ったよな・・好きならお前が無理をしてみろって・・結局お前の気持ちなんてその程度なんだよ。俺とは無理してまで付き合う気はないんだ」 「・・・」 白瀬は思い切り弾かれた手のひらをさすりながら鮎川を見つめる。 「お前のそういうところ、大っ嫌いだ・・」 鮎川はそういうとプイッと顔を背けた。 「はは・・鮎川は本当厳しいなぁ」 苦笑いを浮かべて白瀬が頭を掻く。 それからベッドに腰掛けるとバタンと仰向けに倒れた。 「・・俺、昼に鮎川にそれ言われて考えたんだ。確かに、今まで恋愛で無理したことなんてなかったなって。一番大切なのは一緒にいて楽しいことだろ。だからお互いが楽しくないならそれでお終いでいいやって思ってた」 「・・・」 「まぁ、正直俺は誰と付き合ったって楽しかったんだけどなぁ。だから俺から無理って思って別れたことないし」 「それは・・今まで付き合ってた子達が無理してくれてたんだ。お前が無理しない代わりに・・」 鮎川は寝そべる白瀬を見下ろしながら言う。 「・・そう、だったのかもなぁ。合わせてもらってたのか・・俺・・最低だな確かに」 ハァとため息をついて、白瀬が腕で自分の目を隠す。 白瀬なりに今までのことを反省しているのだろうか。 「・・藤野は・・」 「え・・?」 鮎川がボソッと世南の名前を出すとパッと白瀬は腕をずらして鮎川を見た。 「藤野にはどうしてたんだ?藤野にも、無理・・しなかったのか?」 「・・あー。そうだなぁ・・・」 白瀬は考えるように頭の下で両手を組んだ。 「・・あの頃は・・俺なりに、無理してたかも・・」 「え?」 「藤野と仲良くなりたくて近づいて、距離置かれても連絡して、完全に話さなくなってからはせめて姿だけでも見たくてわざと藤野の家の近くでテニスの練習したり、極めつけには同じ高校に入ったしな」 「・・は?ここの高校選んだ理由、藤野だったのか?」 「そう。俺結構頑張ってね?」 「いや・・無理。こえーよ・・それはお前フラれるわ」 「うるせーな!でも一応昔好きだったって言われてんだからな!両思いだったんだよ。中学の頃は!」 「・・両思い・・」 「そう・・だからかなぁ。なかなか諦められないのは・・」 白瀬は先ほどより大きなため息を吐く。 鮎川はそんな白瀬を見つめた。 誰でも自分のテリトリーに入れる男が、本気で自分の中に入れたい人間に対しては不器用になるものなのか。 いつだって楽しそうに笑い、周りをすべて巻き込んで自分のペースに持っていく。 それが白瀬康成という人物だと思っていた。 結局は、自分も他の奴らと同じ一面の白瀬しか知らないでいたのだ。 その面に惹かれ、他の面の白瀬を見せてもらうことは出来なかった。 それが自分と白瀬の関係の限界だったと言うことか・・ 鮎川はスッと白瀬に背を向けると自分の荷物の中を漁り始めた。 「?どうしたんだ?」 白瀬がムクっと起き上がる。 「風呂、入ろうと思って。明日遊園地なんだから早く寝ないとだろ」 「えっ?!いきなりだな、お前」 「もう、俺とお前はただのクラスメイトだから。もともと俺はお前みたいな軽いやつとは合わないし話すことなんてない。だから早く寝よう」 「ちょっ!切り替えすげーな!さすが鮎川だわ!」 白瀬がケラケラと笑う。 その隙を見て鮎川はパッと白瀬に近づいた。 そして白瀬の額に思い切りデコピンを喰らわす。 「いって!」 「俺は、お前の今までの彼女達みたいに友達に戻る気はないからな。ただのクラスメイトだ。話すこともこれからは一切しない。部活中も話しかけるな」 「えー!まじかよ?!俺鮎川と走るの好きなのに!」 「もう一緒に走ることもしない。いいか?関係が終わるって言うのは本当はこういうことだ。お前は俺の気持ちを軽く考えて、簡単に手を出した。その結果だ。お前のその軽率な行動でお前は一人の友人を無くすんだ」 「・・・」 額をおさえながら白瀬は鮎川を見つめた。 「話すのはこれが最後だ。お前は、自分の行動を反省しろ。それで・・」 鮎川はグッと息を飲み込む。 そして言葉を続けた。 「諦められないなら、もう一度藤野にぶつかってみろよ。馬鹿みたいに余裕のあるふりなんかやめて、二度と藤野に話しかけられないくらいにボコボコにフラれてこい」 「・・・っ」 白瀬がヒュッと息を吸うのが分かった。 「中途半端なのが一番だるいだろ」 「・・そう、だな」 白瀬は自身の両手の指を絡ませながら頷く。 「ありがとう、鮎川。お前のその性格、本当に大好きだったよ。お前と友達にも戻れないのは悔しいけど、それも自分のバカな行動のせいだから仕方ない・・」 「・・本当、バカで浅はかで最悪だ」 「ははっ。めっちゃディスるじゃん」 「それくらい言わせてもらわないとスッキリしない」 「・・うん。そだな・・」 白瀬はクスリと笑う。 鮎川はグッと眉間に皺を寄せるとパッと向きを変えてズカズカと風呂の方へ歩いて行った。 目頭が熱くなったのを悟られないためだ。 悔しくて苦しい。 それでも、こうするのが一番いいのだ。 自分のためにも、白瀬のためにも。 好きだった。支えてくれた。 でもその気持ちに甘えられたくはない。 そして自分も甘える気はない。 自分も、そして白瀬も、自分の足で進むべきなのだ。 大切なものを掬えるのは自身の手しかないのだから。

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