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第12話 白瀬
学校の最寄駅の周りには何にもない。
いや、何もないことはない。住宅がある。山もある。川も。
ただ、時間を潰せるところが何もないということだ。
きっと市街地の高校に行っていればこんなことはなかったのだろう。
カラオケやゲームセンター、大きな駅ビルには広い本屋に好きなブランドの洋服の店。
中学の頃は、高校生になったら放課後は友人とファストフードの店やファミレスに寄って帰るのだろうなと思っていた。
けれど現実はこうだ。
ファミレスやファストフードの店に行きたかったら1時間に一本の電車に乗って行く。
それを逃したのなら、もう諦めて家に帰るしかない。中途半端な山中の高校を選んだのは自分なのだから仕方がない。
今しがた、その高校を選んだ動機の張本人にキッパリと振られた。
そして一人、誰もいない駅舎で座っている。
普段周りにはいつも誰かしらがいるのに、こんな時に限って誰もいない。
いや、きっといい機会なのだ。
いつも騒がしくして見ない様にしていた、自分のダメな部分と向き合うための。
自分は誰にでも好かれるなんて、なぜだか思い込んでいた。
藤野だって自分と同じ気持ちなんだと昔は疑いもしなかった。
だから待っていれば、そのうちまた元に戻るだろうなんて。
勝手に胡座をかいて余裕な顔をして・・そんなことをしている間に藤野はドンドン離れていってしまった。
藤野の気持ちを決めつけて、好き勝手にやっていた罰だ。
シンと静まり返っている駅舎のベンチで、白瀬は下を向いたまま考えた。
誰もいないので、考え事をするには最適だ。
しかし程なくして何人かの足音が聞こえてきた。
白瀬は手元のスマホの画面に目を向ける。
次の電車まであと十分ほどだ。
なるほど、確かにそろそろ人が集まってくるタイミングだ。
白瀬も考え事をやめて顔を上げた。
しかし、すぐ目の前に飛び込んできた人物の顔を見て白瀬は心臓がギュッとなるような感覚に陥った。
竹ノ内冬馬だ。
冬馬が知らない男子生徒二人と並んで立っている。
冬馬は無表情のままジッと白瀬の姿を見つめた。
しかしその瞳には明らかな不快感を滲ませている。
白瀬は思わず横に目を逸らした。
なんでここにこいつがいるんだ?しかも知らない生徒達と・・
藤野はどうしたのだろう。竹ノ内を待つと言って戻っていったはずなのに・・
白瀬が無言で横を向いていると、冬馬の横にいた生徒が白瀬を見て「あっ!」と声をあげた。
「2年の白瀬先輩っすよね?」
「・・そうだけど?」
普段だったら知らない生徒に話しかけられても笑顔で返すのだが、冬馬に見られていることに意識がいき白瀬はぶっきらぼうに返す。
「俺の幼馴染が白瀬先輩のファンなんすよ。あっ、そいつも同じ一年で同じクラスなんすけど白瀬先輩面白くてかっこいいっていつもうるさくて」
「それは、ありがとう・・」
白瀬はポリポリと頭を掻く。
「あの、白瀬先輩って今付き合ってる人いるんすか?」
「え・・・」
白瀬はギクリとして思わず冬馬に目をやった。
冬馬は先ほどと変わらずジッと白瀬を見続けている。バチリと目が合ってしまい咄嗟に逸らした。
「噂じゃ今はいないって幼馴染が言ってるんすけどね。そんなことないだろって俺は思ってるんですけど」
「・・あー、いや、本当に今いねーよ。一人もんです」
「えー、まじっすかぁ。じゃぁあいつにも望み有りって伝えておきますね!」
「えっ。あ、いや・・」
白瀬が声をかけようとした瞬間「やめとけよ」と冬馬の低い声が聞こえた。
「そんなの嘘だから。お前そうやって恋人の存在隠してまた浮気する気か?本当最低だな」
冬馬が眉間に皺を寄せて睨みつける。
後輩達は「え、そうなんですか?」と苦笑いを浮かべながら白瀬を見つめた。
「・・・」
冬馬が何を言いたいのかはわかっている。
恋人に手を出されたのだ。白瀬に冷たい態度を取るのは当たり前のことだろう。
「・・もうすぐ電車がくる。ホームに行くぞ」
冬馬は白瀬を横目で見ながら後輩達に声をかけた。
「あ、はい!」
「白瀬先輩、それじゃ失礼します」
三人は白瀬の前を通過しすると、無人の改札へと足を進めた。
「待てよ!!」
白瀬は思わずバッと立ち上がる。
「・・・」
後一歩でホームの中というところで、冬馬が再びジロリと白瀬を睨みつけた。
「・・悪いけど、先行ってくれ。すぐ追いつくから」
冬馬は後輩達にそう言うと目配せする。
後輩達は「はぁい」と返事をするとホームの中へと入っていった。
冬馬は再び白瀬の前まで戻ってくる。
それから白瀬の正面に立つと「・・なに?」と低い声で聞いた。
白瀬はグッと拳に力を込める。そしてゆっくりと口を開いた。
「・・今、付き合ってるやつがいないのは本当だから。修学旅行の間に別れた」
「・・はっ?何だそれ?お前が世南に手を出したからか?」
「そう、言われれば・・キッカケはそうなるかもしれない・・」
「・・ふーん。それで?だから何だって言うんだ?まさかフリーになったからって、世南にまた手出そうとでも思ってるのか?」
冬馬の表情が先ほどよりも険しくなる。
「世南は今俺と付き合ってるんだ。恋人がいる人間に手を出すなんてこと、許されるわけがない。それくらいわかってるよな?」
「・・わかってる。この間は、悪かった・・」
白瀬は視線を下に落として謝る。
「ただ、俺はずっと藤野が好きだった。中学の時、藤野と一緒にいる時間が幸せだった。今も・・そんな簡単に忘れるなんて出来ない。だから、せめて・・藤野を忘れるまでは誰とも付き合わないことにしようと思って・・」
「・・だったら、早く忘れろよ。迷惑だ」
冷たい言葉を投げかけられ白瀬は顔を上げる。
「いつもうるさくクラスで騒いで、嫌でも世南の目に入る。世南は、お前のことを気にしてる素振りなんて絶対に見せないけれど・・」
「・・・」
「・・世南が言ってたんだ・・」
「え・・?」
「昔、お前が支えだったって・・」
冬馬はそう言うと、少し悔しそうに横を向いた。
「世南は、弱いところを俺には見せない・・俺の方が見せてばかりだ・・」
「・・・」
藤野は竹ノ内に自分のことをそういうふうに話していたのか。
白瀬は胸が熱くなるのを感じた。
「・・電車、くるから」
冬馬の言葉で白瀬は駅舎の時計を見る。
確かにそろそろ到着の時間だ。
遠くの方からガタンゴトンと電車が近づいてくる音が聞こえてくる。
冬馬は白瀬の方は見ずにパッと駆け出した。
そしてそのままホームの中へ入っていくと、後輩の元へ駆け寄る。
白瀬も本来は乗る電車だ。しかし、ホームへは行かず電車が入ってくるのを駅舎の中から見つめた。
冬馬達が乗り込んで行く。
それからほどなくして、電車はゆっくりと駅を出発した。
白瀬はそれを見送ると、勢いよく駅舎を飛び出し走り出した。
世南がまだ学校にいるはずだ。
学校までの道を止まることなく走り続ける。五分もしないで戻ってこれた。
部活動の生徒達の元気の良い声が聞こえてくる。
白瀬は昇降口に行くと、靴箱を覗いた。
世南の上履きがある。
ということは、校舎の中にはいないということだ。
どこにいるのだろうと思いながら、グラウンドの周りを回る。
鮎川が走っている姿が見えた。
こちらには気がついていない。そのまま視線を横にずらすと、サッカー部が練習していた。
そのサッカー部の後ろ。体育館へと繋がる渡り廊下のところで、一人柵に持たれている世南の姿が目に入った。
白瀬は静かに駆け寄っていく。
「・・藤野」
名前を呼ばれて、世南の肩がビクッと揺れた。
それからゆっくりとこちらに目を向ける。
「え・・白瀬、なんで・・」
「・・駅で竹ノ内に会った。竹ノ内を待つなんて嘘だったんだろ」
「あっ・・・」
世南の目が丸くなる。それから「あー」と苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
「そうだよな。俺が駅に向かう冬馬君に会ったんだから、駅に居た白瀬とだって会うよな。うっかりしてた。はは」
世南はそう言って笑う。
「別に嘘ついたわけじゃない。本当に一緒に帰ろうかなと思ったけど、冬馬君部活の子達と出掛けるみたいだったから、邪魔できないじゃん」
「・・・」
白瀬は冬馬と一緒にいた生徒達の顔を思い浮かべる。
部活の後輩達だったのか・・
「・・竹ノ内、部活始めたんだな」
「そうだよ。軽音楽部。冬馬君、前は外でバンド活動してたけどそっちがなくなっちゃって。落ち込んでて音楽からも離れてたけど、またやる気になってくれて俺嬉しいんだ」
世南は相変わらず笑ったまま言う。
それはいつもの世南の様子と変わらない。
「・・藤野は、それでいいのか?」
「え?」
「一緒にいる時間、減るだろ」
「・・それは、そうだけど。でも冬馬君が楽しそうなのが一番だから」
「・・・」
白瀬は世南の身体を引き寄せたい衝動に駆られて腕を伸ばした。
しかしここで抱きしめてしまったら、また同じことの繰り返しだ。
伸ばした手をグッと自分の胸の前に戻す。
藤野は、変わっていない。
相手を困らせないように、自分が迷惑をかけないようにといつも笑っている。
自分の、望みは全部後回しにして。
「白瀬、何で戻ってきたの?」
「え・・」
気がつくと、世南が真剣な眼差しで白瀬を見つめていた。
「・・俺、さっき結構酷いこと言ったと思うんだけど・・」
「・・・」
酷い事を言われたとは、思っていなかった。
俺の思い過ごしだったのだなと、現実をつきつけられた気持ちになっていただけだ。
けれど・・
「俺、昔から藤野が弱ってそうな時のセンサー感じとるの得意だから」
「えぇっ?」
世南が口の端を上げて驚いたような顔をする。
「俺、別に弱ってないけど?」
「いいや、ちょっとへこんでるだろ?」
「えぇ、どこが・・」
「笑ってる顔。あの頃と一緒。無理して笑うくらいなら言ってみろよ」
「・・・」
「笑えない日があったっていいって、あの時言っただろ」
白瀬の言葉を聞いて、世南がグッと息を呑むのがわかった。
あの時、普段人を傷つける言葉を選ばない藤野が、あいつとの関係を守るために俺をわざと傷つけようとした。
そしてそのことを、言った本人が気にしている。
落ち込んでいる理由は他にもあるかもしれないが、そのうちの一つは先ほどのことだろう。
「馬鹿だな藤野。誰も傷つけないなんて無理なんだよ」
「っ・・・」
「その点で言えば、俺は傷つけ放題だぜ。少なくとも、俺にしたことでお前が悲しむ必要はない」
「・・白瀬こそ馬鹿だなぁ。傷つけていい人間なんていないよ。小学生の時道徳で習わなかった?」
世南が表情を歪ませて笑う。
しかし白瀬は構わず両手を広げて言った。
「俺ってまぁこういう性格だからさ、何言われても気にしないわけ。勝手に言ってろって思うし、嫌なやつにわざわざ近づく必要もないし」
「・・・」
「でもな、藤野は違うから。どんなに傷つけられたって俺はお前を嫌いにならない。なれるならその方法を教えて欲しいくらいだ」
「・・え」
「藤野には、自分の本音をぶつけられる相手が必要だと思う。それで・・それが昔みたいに、俺なら、嬉しい・・」
白瀬はそう言いながら世南の瞳を見つめる。
これが最後の告白だ。
「藤野、好きだ。いつでもいい。でも、いつかは俺を選んで欲しい。それまで待ってるから。もう、絶対他の誰とも付き合わずに」
「・・・」
世南は白瀬に見つめられたまま動かない。
けれど微かに、目尻が赤く滲んでいる気がした。
真っ赤な夕日の光が二人を照らす。
そろそろ日が暮れてくる頃だ。
「・・俺、わかんないよ?」
世南が口元を震わせながら言った。
「白瀬のこと、選ぶかなんて・・」
「だから、いつ選ばれてもいいように待ってるよ。俺の隣は藤野のものだから」
白瀬はニッと笑って腰に手を当てる。
「でも・・そう言ったって白瀬の周りにはいつも誰かいるじゃん。俺が選ばなくったって、誰かが白瀬を選ぶんだから」
世南は少し大きな声で言う。
「そりゃ、人は一人じゃ生きてけないからな。友達と馬鹿な話してる瞬間も好きだ。けど、俺のここはずっと空けておく。もうしつこいくらい想ってるから、藤野しかここの形にははまらないよ」
白瀬はそう言って自身の胸を立てた親指でトントンと叩いた。
「・・・」
世南はスゥと息を吸うと、クルリと白瀬に背を向ける。
「俺、今色々考えてるんだ・・だから、答えが出たら・・その時に言う・・」
「答え?」
白瀬が聞くと世南はコクンと小さく頷く。
そしてそのまま白瀬に背を向けたまま歩き始めた。
白瀬はその背中を見送る。
今度こそ伝えたいことはちゃんと言えた。
もう昔のようなすれ違いが起きないように。
もう、あとはただ待つだけだ。
彼が、あの頃の日々を思い出してくれることを願って。
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