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第4話

テーブルの上に並べられた凝った名前のついた料理を口に入れるが、どれも初めての味で、おいしいのかまずいのか慧にはよくわからない。緊張も解けずなかなか話題を提供できない慧に比して、ライトはさすがにプロだ。うまく話しかけては、沈黙が気まずくならない程度に場を持たせてくれる。  互いに無難な趣味の話などをするうちに、ライトが慧とは対照的にアウトドア派で外向きの人間であることがわかってくる。 「じゃ、ケイさんは旅行とかあまりしない方?」 「うん、滅多に。あ、でも、外国の綺麗な景色の写真集とか眺めるのは好きだよ。うちにいながらにして、いろいろな所に行けたような気分になるから」 「写真見てると、実際に行きたくならないか?」 「飛行機に乗れないんだ。怖くて」  職場でその話をしたときは「今どき原始人じゃあるまいし」と、全員が呆れ気味に苦笑した。きっとまた呆れられるだろうとそっと窺ったが、相手は逆に納得したような顔で頷いている。 「ああ、あれだろう? あんなでかい鉄の塊が浮くわけない、ってヤツだろう?」  そう言って笑いとばしてくれるライトに、慧は心の中で感謝する。おそらく客に批判めいたことを言って、不愉快にさせてはならないと言われているのだろう。それでも自分の言葉を否定されず、受け入れてもらえると安心する。 「でも飛行機は安全だぜ。俺が保証する」 「君が?」  目を瞠る慧に、ライトは自信満々で頷く。 「よく言うだろう? 飛行機事故より交通事故に遭う確率の方がずっと高いって。航空機はさ、構造上事故を回避するような機能になってるし、チェック機能も整ってるんだ。だから人的ミスが大きな事故に繋がる可能性が、自動車なんかよりもずっと低いんだよ」    真剣に力説する相手の瞳にはやけに熱がこもっていて、慧はつい笑ってしまう。 「もしかして、君は飛行機推奨派?」 「あ、バレた? 実は俺乗り物系が好きでさ。特に飛行機はガキの頃から大好きなんだ。こう見えてかなり詳しいぜ」 「へぇ……」  少年のように瞳をキラキラさせて語る相手の熱のこもり具合が営業用には見えなくて、なんだか嬉しくなってくる。  飛行機好きというのは本当なのだろう。これまでの会話の中で一番生き生きして見えたライトの笑顔に、慧の胸もつい高鳴ってしまう。現実の二人の関係をうっかり忘れ、普通のデートでもしているような錯覚に陥りかけ、慧はあわてて気を引き締めた。 「それじゃ、海外とかよく行くのかな?」 「いやいや、そうは行けない。金かかるし」  フィレ肉を優雅に切り分け口に入れながらのライトの答えに、慧は少しだけ首を傾げる。このバイトで海外旅行の資金くらいは軽く稼げるのではないかと思ったからだ。 「……ああ、ちょっと貯めてるんだ。わけあって」  慧の表情に気づいてか、ライトは明らかに口を滑らせた、といった顔で視線を移ろわせ、曖昧に言い訳した。 「それより、ご希望があれば旅行もつき合えるんだぜ。料金は一緒にいた時間分かかるけどな。飛行機とは言わないけど、近場の関東圏内で、どう? ケイさんのためなら俺、スケジュール調整するよ」    探るように瞳を覗き込まれて、胸がトクトクと高鳴る。旅行の話が出たら誘ってみろとマニュアルに書いてあるのかもしれないが、たとえ営業トークでも嬉しいことに変わりはなかった。 「ありがとう。でも……それはさすがに難しいかもしれないな」 「だよなぁ。それこそ海外旅行並みの出費になっちまう」 「いや、お金のことはいいんだ。そうじゃなくて、君と旅行なんか行ったら、僕はきっと……参ってしまうから」 「ん?」  意味が通じなかったらしく、ライトは男らしく整った眉を寄せる。愚かなことを口走っている自覚があり、慧は恥じらって微笑み視線をはずす。 「つまり、そんなに長い時間君といたら、舞い上がりすぎてエネルギー切れになってしまうと思うんだ。それに、そのまま帰りたくなくなって、別れ際には平静でいられなくなるかも……」    相手のリアクションがないので急に心配になりそっと見上げると、ライトは呆気に取られまじまじと慧をみつめている。 「あれ……ちょっと僕、今妙なことを言ってたかな?」  頬を火照らせあわてる慧に、ライトは目を瞬かせ苦笑した。 「なんだ、ケイさん、なかなかうまいじゃないか」 「え……?」 「リハーサルだったよな? 片想いしてる人とのデートの練習」 「あ……あぁ、そう。うん」  そうだった。自分で作った言い訳をすぐに忘れてしまう。ライトに本心を気づかれないため、そして三回のデートが終わったら綺麗に別れるために、片時も忘れてはいけない表向きの理由だ。 「うっかり本気にしちゃいそうになったぞ。……って、俺の方がドキドキさせられてどうするんだって話だよな」  声を立てて笑う相手に合わせ、慧も曖昧に笑い返す。笑顔を作りながらも、作り物の理由をうっかり忘れてしまうくらい舞い上がり、営業トークに本気で胸をときめかせてしまった自分を少しだけ哀れに思った。    食後のコーヒーを飲み終えたところで、慧は時計を見た。あと五分だ。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。 「ケイさん、延長する? 俺今日はそのつもりで、夜まで時間空けてきたけど」  残念な気持ちが顔に出てしまったのかもしれない。ライトがテーブルに身を乗り出し、意味深な口調で聞いてきた。  ――あじさいを見に行きたい。  シャツの胸ポケットに入れてきた折り込み広告の切り抜きに無意識に手が伸びたが、そのまま引っ込める。いくら金を払うからといって、華やかなライトにとってはおそらく退屈であろう場所に同行させるのは気が引けた。 「あ……やっぱり今日は……えっ?」  辞退しようとした慧の胸元に伸びてきた指がポケットに潜り込み、器用に切り抜きを取り上げた。布越しに一瞬だけ胸に触れた相手の指先に、慧の頬は驚くほど熱くなる。 「『あじさいの咲く庭』か、へぇ」 「そ、それは……っ」  切り抜きを開いて物珍しそうに見ている相手に、違った意味で頬が火照ってくる。常に流行最先端のスポットをチェックしているだろうライトにはきっと、年寄りくさい好みだと思われているに違いない。 「行くか」 「えっ?」  信じられない一言に、慧は驚いて相手を見返した。その反応にライトはクスリと笑う。 「だってケイさん、行こうと思って持ってきたんだろう?」 「そ、そうなんだけど……でも、いいのかな」 「ケイさんが行きたいとこなら、俺はどこへでもお供するよ。選択権があるのはケイさんの方なんだぜ? もっとわがままになっていいんだ」  ――もう少し、ライトと一緒にいられたら……。  背伸びをした洒落た店での会話と食事も楽しかったけれど、二人で好きな花を見るのはきっともっと素敵だろう。ライト用に準備した心の中のアルバムに、花いっぱいの綺麗な画像が一生楽しめるほど綴れるかもしれない。 「それじゃ、つき合ってくれるかな」  思い切って言ってみると、ライトは笑って頷いてくれた、それだけで慧の心は甘いときめきで満たされ、そしてなぜか同じくらい切なくなった。

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