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第5話

***   緑に覆われた広い庭園は騒がしい都心のただ中とは思えないほど静かで、風情のある日本情緒で満たされていた。今にも降り出しそうな天気のせいだろう。土曜日にも関わらず散策する人は少なく、石畳の遊歩道はガラガラに空いていた。  両側を飾るのは満開のあじさいだ。紫、ピンク、白と様々な色合いと種類の大輪のあじさいが、競い合うように咲き誇っている。 「さすがにこれだけ咲いてると、かなり迫力あるな」  隣を歩いているライトが、物珍しそうに視線を巡らし感想を漏らす。基本的に好奇心旺盛なのかあちこちに入り込んで覗いたりしながら、たまに足を止めじっくり花を観察し解説を加えたりする慧に、嫌な顔もせずつき合ってくれている。ライトが つまらなそうだったらすぐに帰ろうと思っていたのだが、少なくとも表面上は、その必要はなさそうだった。 「ライト、退屈じゃない?」  不安になって見上げた相手は、微笑んで首を振る。 「いやいや、かなり楽しいよ。なんか日頃はせかせかしてて、こんなふうにのんびり花見ながら散歩することなんてないからな」  客に合わせるのが彼らの仕事だ。本心かどうかはわからないが、その答えにひとまず慧は安堵する。 「僕もだよ。休日も部屋に閉じこもってることが多いから。誰かとこうやって綺麗な花を眺めながら歩くって、いいものだね」 「誰かと、じゃなくて、俺とだからいいんだろう?」  あざとい微笑で顔を覗き込まれ、鼓動の音を意識しながら、「ああ、そうだね。こんなに楽しいのはきっと、君と一緒だからだ」と素直に言うと、相手は楽しそうにクスクスと笑った。 「ケイさんて本当に面白いな」  自分ではおかしなことを言っているつもりはないのだが、なんだかライトにはよく笑われてしまう。彼が笑うたびに鼓動が不規則になり、そのままどうにかなってしまうのではないかと不安になる。死に至る病とは『絶望』ではなく『恋煩い』なのかもしれない、などと言ったら偉大なキェルケゴールに鼻で笑われそうだ。 「ライトは、どんな花が好き?」  相手に聞こえてしまいそうな鼓動をごまかそうと、慧はあわてて話題を振った。ライトは困惑顔で首をひねる。 「花? 特にないな。こんな仕事してんのに、花なんか名前もよく知らないってレベルだよ。まぁ、プレゼントするときはバラがやっぱ喜ばれるよな」 「バラも綺麗だよね、凛として気高くて。花にはそれぞれによさがある。どんな花でも、花は個性的だ」 「へぇ……ケイさんて花が好きなんだな」 「アパートの裏に花壇があってね。世話をさせてもらってるから、自然に興味が湧いて。その花壇にも今、あじさいが綺麗に咲いてるんだよ。僕はこういうふうに、小さな花がより集まったような花が好きなんだ」    慧は足を止め、目の前に咲いている青紫色の小さな花びらに指先を触れる。 「この花のひとつひとつが取るに足らないささやかな幸せで、でも、それが集まるととても大きな幸せになって、見る人の心まで幸せにしてくれる。そんな感じがして……。ひとつの小さな幸せを大切にして綺麗に咲かせることで、それが大きな喜びに繋がっていくんじゃないか……あじさいを見ていると、何かそんな希望を感じてしまうんだよね……」    興味のあることになるとつい饒舌になる。花壇のあじさいの世話をしながら日頃考えていることを、思わずライトに語ってしまった。  相手の反応が全くなくあわてて見上げると、思い切り視線が合ってしまってさらにうろたえる。  ライトは驚いたような顔でじっと慧をみつめていた。その口元にはいつもの微笑もない。  しばし無言でみつめ合う形になり、極限まで高鳴っていた鼓動がどういうわけか急速に落ち着いてくる。ライトの瞳の色が、これまでとは少し違って見えたからだ。まとっている華やかなヴェールがはずれて、油断した素のままの彼が覗いたような、そんな違和感。 「ライト……?」  不安になって呼びかけると、相手はハッとしたように目を瞬き、長めの前髪をぞんざいにかき上げあわてた様子で笑った。 「ああ、ごめん。なんか哲学者みたいだなと、感心してた。あじさいでそこまで考えるのか」  いつものライトが戻り、慧もホッとする。それにしても、今の一瞬の間は何だったのだろう。 「つまらない話を聞いてくれてありがとう」 「つまらなくはないよ」  思いがけず強い口調できっぱりと言い返されて、少しだけ驚いた。 「つまらなくなんかない。うまく言えないけど、あんたの言ったことちょっと胸にきた。あんたって……不思議な人だな」  語り口も、声の感じも、今までの仕事用のものとなんとなく違っているような感じがして、慧は戸惑いつつも甘く胸を震わせる。  何と返したものかと迷っていると、熱くなっている頬にぽつりと冷たいものが当たった。

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