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第6話

「あ……」 「降ってきたな」  意地悪な雨はみるみる勢いを増し、青い花びらも、葉も、石畳も、次第に濡れ始める。 「こっちだ」  いきなり腕を掴まれた。その手の熱さを感じる間もなく、強引に引かれ走り出す。向かう先、庭園の中ほどに小さな東屋が見える。飛び込んだそこには、急な雨にも関わらず先客はいなかった。今やザーと音を立てて降り出した雨はそうそう止む気配がない。  そっと時計を覗くと、デート終了予定の時間をすでに十五分過ぎていた。 「もう時計見るなよ」  いきなり言われ、思わず相手を見上げた。 「急な雨で雨宿りするのは事故みたいなもんだから、これはデートの時間に入れない。大丈夫だ」 「え……そんな規定、あったかな……」 「俺が今決めたんだ」  いたずらっぽく言った相手に唖然と目を見開くと、笑いながら肩を抱き寄せられ息が止まりそうになった。 「少し濡れたな。寒くないか?」 「ああ、うん……寒くはない」  声が震えていないかと気になってしまう。寒いどころかむしろ、触れられたところから全身が火照ってくる始末だ。 「ケイさん」  すぐ近くから、これまでのライトらしくないどこか戸惑ったような美声が届いた。 「さっき、アパートの花壇って言ったよな。もしかして、ひとり暮らしなのか?」  急にプライバシーに関することを問われ困惑しながらも、慧は頷く。 「ああ、うん。就職を機に東京に出て来たけど、実家は青森なんだ」 「青森……?」  ライトは微かに眉を寄せる。彼にとっては馴染みがないだろう、本州の最北端の県のイメージがぴんと来ないのかもしれない。 「冬は雪が大変だけど、自然に恵まれてとてもいい所だよ。実家は農家で、いろいろな野菜を作ってる。のんびりした田舎だけれど人間関係が煩わしい面もあるから、その点では都会の方が気楽かな」    申し分のない見合い話を断り父親に勘当された慧に、周囲の目は冷たかった。歩いている慧を指差しひそひそと露骨に耳打ちし合う人達に、知らぬ間に疲れさせられていた日々を思い出す。 「へぇ……」  ライトは少し考え込む様子だったが「仕事は? 何してるんだ?」と、やけに真剣な顔で重ねて聞いてくる。 「区役所の区民センターに勤めているよ。住民票の発行とか、戸籍の届の受付とかをしてる」  よく知らない人間には普段自分の仕事は明かさない慧だが、ライトの勢いに気圧されてつい素直に答えてしまう。 「区役所……平日の昼は仕事なのか……」 「うん。だからデートは土曜日にしてもらって……あの、ライト?」  やけに真剣な顔で黙り込んでしまった相手に慧は困惑し、恐る恐る顔を覗き込んだ。ライトはハッと慧を見返すと、あわてたようにいつもの笑顔を作った。 「あぁ、ごめん。区役所って、なんかイメージどおりだなって思ってさ」 「それはよく言われる」  笑顔を返すが、これまでと少し違う相手の雰囲気に妙に胸が騒いでしまう。世間話という感じでもなく、プライベートなことを急に真面目な顔で聞いてきたのも変だ。たった三回のデートで関係が切れるゲストの個人情報を、知る必要はないように思うのだが。 「なんか、いろいろ質問してごめんな。ホントはNGなんだよ、ゲストのプライバシーをあれこれ聞くのは。本部には内緒にしておいてくれよ」  軽口めかしてウインクするライトに微笑で頷きながら、「聞いてもらえるのは嬉しいよ」と正直に言った。 「そうか? 客によっちゃ不機嫌になる人もいるぜ」 「誰かに興味を持ってもらえることって、僕はあまりなかったから。だから、こうして聞かれるのも、答えるのも、悪くないかな」  露骨な孤独発言が相当痛く思われたかと、反応のない相手を焦って見上げると、ライトはどこか熱を帯びた眼差しでじっと慧をみつめていた。言葉にならない何かを伝えられているように感じ、慧の鼓動はトクトクと速く鳴り出す。 「ケイさん」  肩にかけられたままの手に、わずかに力が込められたのがわかった。 「このまま今夜、一緒にいないか? もっとあんたと、ゆっくり話したい」  どくん、と大きく胸が鳴る。 「そ、れは……無理だよ。これから、用事があるから……」  指先まで震えるほどの緊張の中、やっと答えた。  本当は用事なんかない。金が惜しいわけでもない。ただ、夢の中に浸ってしまい戻ってこられなくなるのが怖い。  ランチだけで別れるつもりだったのに、願いが叶ってあじさいを一緒に見られた。それだけで十分満足だ。それ以上を望んでしまったら、すべてが泡になって消えてしまいそうな気がする。 「じゃ、次はいつ会える? また会いたい。駄目か?」  指名のねだり方もマニュアルに書いてあるのだろうか。それにしてはやけに真剣な瞳から目を逸らし、きっと思い過ごしだろうと慧は浮き立つ気持ちを引き締めた。 「ライト、ありがとう。必ずまた連絡するよ」  溢れ出してしまいそうな嬉しさを無理矢理抑え込んで、慧は精一杯平静を装って答える。 「絶対だぞ」とライトは微笑み、降り続く雨を見やった。 「この雨に感謝だな。あんたのこといろいろ聞けて……よかったよ」 「うん……僕も、よかった」  二人の距離を少しだけ近づけてくれた雨は、さっきより小降りになってきている。このままいつまでも止まなければいいと願いながら、慧は胸の奥に生まれた小さなぬくもりをじっと抱き締めていた。

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