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第9話
ポーカーフェイスは苦手らしい。質問した瞬間、ライトの顔色は見事に変わった。その反応で慧は彼と宅配便の青年が同一人物だという確信を新たにしたが、ライトは慧が言葉を続ける前に仮面のような営業用の微笑で、「別に何もしてねぇよ」と言い切った。
「えっ、本当に?」
思わず問い返してしまう。ライトは慧から微妙に視線を逸らしたまま、「ああ、まぁ、してないっていうか、こっちはバイトで……本職は……うん、学生だよ。大学院に行ってるんだ」と、考え考え続ける。いかにも急ごしらえのその答えに、慧の胸は落胆に包まれる。
ライトは明らかに自分のことを明かしたくないのだ。当然かもしれない。ただの客にプライベートをベラベラ話すホストはいないだろう。
それでもやはり諦めきれず、慧は勇気を出してさらに問いかける。
「前に、お金を貯めてるって言っていたけど、旅行資金なの?」
ホストと宅急便の仕事両方では、ほとんど休みなしでかなりきついだろう。そこまでして彼が貯金をする理由も気になっていたのだ。
慧の問いに、ライトは困ったように視線を移ろわせた。
「……もあるけど、まぁ、ちょっとやりたいことあって……って、そんな俺の個人的な話なんて、聞いたってしょうがないだろう? やめやめ」
「え、でも……僕は聞きたいな」
笑って流そうとするライトに、慧は控えめに主張する。そつなくエスコートしてくれるホストのライトよりも、この仕事をしていないときの彼がどんなふうに笑い、何を考えているのかが、今は知りたくてたまらない。
「ケイさんてホント変わってるな。俺達はゲストに夢を見せる仕事だから、生活感溢れる話はやめてくれって人の方が多いんだぜ。本部からも、個人情報明かすのは止められてるしな」
「あ……そうなんだ、ごめん。けど……期間限定とはいえこうして縁あってつき合ってるんだし、もう少し君個人のことを知りたいと思っちゃいけないのかな」
これではまるで、憧れのホストにしつこく絡むストーカーの迷惑客だ。さすがに気を悪くしたのか、ライトはなんとも複雑な顔で眉を寄せる。
「慧さんはさ、デートでのエスコートの仕方を俺に教えてほしいんだろう? まずはそっちがメインなわけだから、時間は有効に使った方がいいよな? そう思わないか?」
「それは……うん。そうだね……」
楽しいはずのデートなのに、気持ちが急速に萎んでいく。やはり、余計なことを聞くべきではなかったのかもしれない。個人的な情報の提供はきっと、料金のうちには入っていないのだ。
慧は言葉を失ったまま俯き、ライトも気まずげに深く息を吐く。
「ケイさん、ごめんな。俺が悪い」
「え……」
「こないだ俺が妙に質問攻勢かけたから、そういうのもOKだと思ったんだろう? けど俺、やっぱあの後反省したんだよ。個人的なことを聞き合うのはもうやめよう。こういうつき合いだからけじめは必要だろう? 俺はケイさんの片想いを応援して、デートテクニックを支援する役目だ。これから仕切りなおして、見本デートの開始といこうぜ? な?」
営業用の笑顔を作り明るくウインクするライトに、慧も「うん、よろしく」と空気の気まずさを吹き払うように笑い返す。彼と自分との間にはっきりと線を引かれた気がして、笑顔の裏で微かな切なさを噛み締める。
消えかかった線を描き直してみたはいいが気まずさは残り、急に話題に困ってしまい二人ともしばし黙り込んだ。沈黙に耐えられずにか今週の天気のこととか話題のデートスポットとか、どうでもいい話でライトが場繋ぎし、慧も精一杯それに応えようとするけれど、一度気持ちがずれてしまった後の上滑りな会話はどうにもぎこちない。
「全く、何やってんだろうな、本当に」
と、ライトがついにお手上げといった感じで苦笑した。
「これじゃ見本どころか悪い見本だな。ケイさんとだと、俺マジで調子狂うわ」
「僕が会話慣れしていないせいで話が弾まないんだ。君のせいじゃない」
「いやいや、俺達ホストは老若男女あらゆる性格のゲストとうまく話を繋げられるように訓練されてるんだ。でも、ケイさんにだけはそれが通じないっていうか……降参だよ」
冗談めかして笑いながらも、注いでくる眼差しはどこか熱を帯びている。他の客と違うと言ったその言葉が営業用なのか本心なのか計りかね、動揺を隠しきれなくなった慧はどぎまぎと窓外に視線を転じた。
いつのまにかゴンドラはかなり高くまで上がっていて、梅雨の晴れ間の真っ青な空がとても近くに見えた。ゴーッと音を立てて、地上から見上げるよりもはるかに大きい飛行機が薄い雲を引いて飛んでいく。
「アメリカ行きだな」
「え……」
つぶやいた相手を見ると、ライトは少年のようにキラキラした瞳で機影を見送っている。
「ユナイテッド航空だよ」
「わかるのかい? 本当に好きなんだね」
「あんたが花の名前を言えるように、俺は機体を見て飛行機会社の名前を言えるんだ。行き先も大体わかるぜ」
「すごいな」
彼が飛行機好きだということを、他の客は知っているのだろうか。せめてそのくらいは秘密を共有させてほしいと秘かに思う。
「こうして見てると乗ってみたくならないか? まずは北海道あたりから。俺が隣に乗ってあげるよ。怖くないから大丈夫」
「北海道なら夏がいいな。一面紫色のラベンダー畑が見たいんだ。写真で見たけどとても綺麗だった」
実現しない話でも、つかのま夢を見られればそれでいい。ラベンダー畑の中で楽しそうに笑うライトの画像を勝手に想像してそっと心のアルバムに収め、慧は満足する。
「ラベンダー畑の前に、とりあえず今日はあそこに咲いてる花の名前を俺に教えてくれ」
ライトが示す窓外のはるか下には、見事に白と黄に植え分けられた広大な花畑が見えている。二人だけでいられるゴンドラが地上に下りてしまうのは寂しいけれど、あの花畑に立つライトを見られるのも楽しみだ。
「花畑を見た後で軽く食事もしたいけど……大丈夫かな?」
時間の延長を、という意を含めた問いかけに、ライトは快く頷いてくれた。
「ケイさんのお望みとあらば、いくらでもつき合うよ」
台詞は営業用でも、どこか親しげに感じられる微笑が素の彼の顔を覗かせた気がして、間に線を引かれた寂しさが薄れる。仮面を取った素顔は見せてもらえなくても、他の客とほんの少し区別してもらえたことだけで、慧にはもう十分だった。
地上に近づくごとに青空が遠くなっていく。機影が残していった飛行機雲を眩しげに見上げながら、慧は甘さと切なさを同時に噛み締めていた。
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