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第10話

***  職場の同期入庁者との飲み会に誘われ参加する気になったのも、ライトのおかげかもしれない。よくしゃべるライトに感化され、たまには人と話をするのも気分転換になり、世界も広がって悪くないことに気づかされたからだ。  同期とはいえ滅多に会わない仲間達との久しぶりの集いにはじめのうちは緊張していた慧も、終わる頃には打ち解けて普通に話せるようになっていた。 「二次会、吉沢も行くだろ?」  一次会が終わり帰ろうとすると、幹事に自然な流れで誘われた。 「あ、僕は……」 「吉沢君行こうよー。前からみんなで行きたいねって話してたお店があるの」  同期の中ではなかなか可愛いと評判の岸本絵梨が慧の腕を取ると、周囲からひやかしの声が上がる。絵梨は一次会の間中慧の隣に陣取り、何かと話しかけてくれていた。好意を持たれているのかもしれないと思うと困惑したが、周囲に促され背を押されて同行せざるを得なくなった。 「ねぇ、吉沢君って、思ってたよりずっと面白くて話しやすい人だね」 「え、そうかな?」  絵梨の意外な評価に慧は首を傾げたが、周囲は賛同する。 「確かに。見かけによらず天然っていうか、おもろい系だったんだな、吉沢って」 「支所は離れ小島でなかなか話す機会もないからなー。もっと気取ってるヤツかと思ってたから、印象変わったよ」  故郷の村で後ろ指を指されるようになってからは人を避けていた自分がこんなふうに他人に受け入れられるとは思わず、なんだか不思議な感じがした。ライトとの交流がいい影響を与えてくれたのかもしれない。それとも、恋をすると人はいい方に変わるのだろうか。    タクシーに分乗し到着した二次会の店は、見覚えのある街並みの中にあった。夜だと雰囲気が違って見え一見わからなかったが、その店の隣がライトとランチをしたカフェだと気づき、慧は思わず目を見開く。 「あの店……」  足を止めてしまうと、絵梨が大きく頷いた。 「あ、うんうん、有名だよねー。テレビにもよく出るし。でも人気ありすぎで何週間も前から予約入れないと駄目みたいよ」  絵梨の言葉を上の空で聞きながら、慧は感慨を込めてその店をみつめる。一ヶ月前ライトとそこで食事をしたときの記憶が蘇り、甘やかな切なさが全身を覆った。 「絵梨ちゃん、吉沢! 席空いたって」  先に行った連中に呼ばれ我に返り、踵を返そうとしたときだった。 「っ……」  店から出て来たやけに目立つカップルに慧は目を奪われた。鼓動が急速に高鳴り始める。  男の方は間違いなくライトだ。そして彼にもたれかかるように寄り添っているのは、派手な服で着飾り高級ブランドのバッグをこれ見よがしに肩から提げた年上風の美女。彼女をエスコートする恭しい態度から、ライトが今正に仕事中なのだということはすぐにわかった。 「うわ、なんか別世界の人達って感じ。彼氏はすごいイケメンだけど、女の人はけばいね」  絵梨が、感嘆というよりはやや引き気味につぶやくのを聞きながら、慧はうるさいほど鳴り響く鼓動を抑えようと必死になっていた。  ライトは慧と会うときとは全く違う黒系の大人びたスーツで完璧に決めている。きっとそれが彼女の好みなのだろう。艶やかな微笑で耳元で何か囁くと彼女が声を立てて笑い、体をしならせライトを軽く打つ振りをする。二人のやり取りは今現実に目の前で起こっていることなのに、まるでテレビか何かに映っている偽の映像のように慧には感じられた。    呆然と立ち尽くしみつめていると、気配に気づいたのか、女性の方に身を傾げていたライトが視線を上げた。慧と目が合った瞬間、ライトは驚きに大きく瞳を見開き唇をわずかに開いた。 「吉沢君、みんな呼んでるよ。行こ」  絵梨に腕を引かれた。ハッと振り向いて「ああ」と生返事をし、もう一度戻したときには、ライトはすでに慧を見てはいなかった。向かい側の通りに渡っていく二人の背を、慧はなすすべもなく見送る。    引かれるままに絵梨についていきながら、落ち着け、と自分に言い聞かせる。  動揺するのもショックを受けるのも筋違いだ。ライトは出張ホストだ。対価さえもらえれば、誰にだって公平にサービスをする。優しさも、笑顔も、甘い言葉も、眼差しも、慧だけのものではない。そんなことは最初からわかっていたはずだ。  ただ、心のアルバムにそっと綴った大事な思い出の場所であるその店に、ライトが他のゲストも連れてきていたという事実が慧の心を鋭利な刃物で突いていた。自分のために店を選んでくれた、などと自惚れてはいないつもりだったのに、どこかでそうだったらいいと思い上がっていたのかもしれない。    自分はライトにとって特別でもなんでもない。大勢いる客の中のひとりなのだ。 『世界の違う人』という絵梨の言葉はきっと当たっている。華やかにきらめいていたさっきのライトは、正に自分とは違う世界の人間だった。その現実を今まざまざと見せつけられ、彼を自分と同じところに引き下ろしたいと思っていた愚かしさに気づき心が痛む。    胸にぽっかり空いた空白から無理に目を逸らしなんとか表情を整えた慧は、同じ世界にいる仲間達のところに戻って行かざるを得なかった。振り向きもせず去っていったライトの背中に、心を残したままで。

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