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第12話

***  梅雨の終わりの兆しが見える晴天の土曜日、慧は一時間だけと決めてライトを指名した。場所は慧が勤め帰りにたまに寄る高台の公園だ。西に面したその場所からは沈む夕陽が綺麗に見える。大好きな景色の片隅にライトを加えたその画像を、心のアルバムにしっかりと保存したかったのだ。  約束の時間十分前に到着すると、人気のない公園のベンチに腰を下ろしている待ち人の姿が見えた。シンプルな黒のTシャツにデニムパンツというこれまでで一番ラフなスタイルだが、存在そのものに輝きがある彼は何を着ても美しい。 「ライト、ごめん。待たせちゃったかな」  気持ちを整え意識的に明るく声をかけると、ライトは見るからにあわてた様子で立ち上がった。今日は『今来たところだ』と笑って迎えてはくれない。 「ケイさん、なかなか返事が来なかったから、もう指名してくれないのかって心配してたんだぞ」 「ああ、このところ少しバタついてて。返事を待ってくれてたの?」 「待ってたよ! 待ってたに決まってるだろう」  怒気をはらんだ口調で言い返し、ライトは慧に一歩進み出る。 「なぁ、ホントは怒ってるんじゃないのか? あの店に他の客を連れてったこと」 「別に、そんな……」  否定しかける慧の言葉を聞かずに、ライトは勢い込んで訴える。 「聞いてくれ。あのカフェは本部と提携してる店なんだよ。俺達が店を選ぶ場合、本部の指定店しか使っちゃいけないことになってるんだ。でもそんなにバリエーションないから、どうしても同じ店になっちまう。だから、あんたを軽く見たとかそういうことじゃ全然なくて、つまり、俺には選択の余地がなかったんだよ」    一方的にまくしたてるその勢いに、慧は唖然と気圧される。 「あの……ライト、もういいから」  穏やかに宥めても、相手の表情はやわらがない。 「全然よくないって! あのときのあんた、なんか傷ついたような顔してて……本当はあの場ですぐに説明したかったんだ。でも、そういうわけにもいかなくて……」 「本当にいいんだよ。よくわかった。ありがとう、気にしてくれて」  心の中を覆っていた灰色の雲は、彼のその真剣な表情と納得のいく説明で今はすっかり晴れていた。おそらく『アイリス』本部には口止めされているのだろう部外秘の事情を、傷ついた慧を思いやってあえて打ち明けてくれたその気持ちに傷が癒される。    ――優しいんだな、彼は。  荷物に添えられた愛らしいかすみ草がふと脳裏に浮かんだが、問い質したところでそれは自分が置いたものだと彼は認めてくれないだろう。それなら、このまま触れずに終わりにした方がいい。 「僕は本当に何とも思ってない。だからそんなに心配しなくていいんだよ」 「それ、本心だろうな?」  笑顔を作る慧を、ライトは探るようにじっとみつめる。 「うん。大体君が言い訳する必要なんか全然ないじゃないか。君はそれが仕事なんだから、誰とどこでデートしようが自由だろう? あのときは……うん、そうだね、ちょっとだけばつが悪かった。それだけ」  肩をすくめ軽い調子で流した。何度も部屋で練習してきたとおり自然に話せ、笑えていることに慧は安堵する。  彼の負担になってしまうような未練がましい態度を、少しでも見せてはいけない。ただちょっとつき合いがあっただけのホストと客として、気持ちよく笑顔で別れたかった。  だが、慧のあっさりした態度にライトはホッとした様子はなく、むしろ落胆と困惑が入り混じったような複雑な表情を浮かべる。 「あぁ、そう、だよな……。俺も何マジになってんだが……とにかく早くあんたに言わないと、と思って……。そうか、あんたは別に何とも思ってないよな」  最後のつぶやきがやけに力なく響き慧は戸惑うが、相手はすぐに笑顔を作り「あの夜にいた子か?」と唐突に聞いてきた。 「え……?」  聞き返す慧に、「あんたが片想いしてるって子。この間の夜一緒にいた子なのか?」とライトは繰り返し尋ねる。  岸本絵梨のことだ。否定しようとして思い直し、慧は「うん」と小さく頷く。ライトは微妙に目を逸らし曖昧に微笑む。 「やっぱそうか。女の子だったとは思わなかったよ。でも、お似合いじゃないか。いい感じだったし、うまくいきそうだな」 「そう思う?」 「ああ。彼女の方もあんたに気がありそうだったぜ。ちょっと妬けたな」  冗談めかすライトに合わせて、慧も笑う。 「もしうまくいったら、君のおかげだよ。君とのデートが参考になって、彼女とも自然に話せるようになったから」  全部が全部嘘ではない。ライトとつき合わなかったら、同期会に参加してみようなどとは思わなかっただろうから。 「じゃ、俺も少しは役に立ったってことか」 「少しどころかすごく。君は名ホストだ。僕にとってはナンバー1だよ」  慧の賛辞にライトは彼らしくない淡い微笑を見せ、視線を夕陽に戻した。 「そうか……あんたが今日会ってくれたのは、彼女とうまくいきそうだって報告してくれるためだったんだな……」  彼自身を納得させるような独り言めいたつぶやきに、慧は返事をすることができない。うまく嘘をつける自信がなかったからだ。  言葉を失い立ち尽くしている慧に、ライトは「とりあえず座るか」とベンチを示した。  二人並んで腰を下ろし、少しずつ街並みに近づいていくオレンジ色の太陽を無言で眺める。これまではひとりで見上げた夕陽を、今日はライトと見ている。これからここに来るたびに、今日のことを思い出してしまうのだろうか。  今一緒にいられる嬉しさよりもたまらない切なさが一気にこみ上げ、慧は拳を握り締めた。別れを長引かせるとボロが出てしまいそうで、表情を整え居住まいを正す。 「ライト、今日で最後になるけど本当にありがとう。短い間だったけど楽しかったよ」 「礼を言うのはむしろ俺の方だな。あんたと会えて、ホストやっててよかったって初めて思えたから」 「え……」  思いがけない言葉に息が止まりそうになった。慧の表情の変化に気づく様子もなく、思い出を懐かしむように目を細めながらライトは続ける。 「前も言ったけど、あんたってなんか最初から他の客と違ってたんだよな。客のほとんどは金と時間を持て余してて、退屈しのぎに俺達を買って道具かアクセサリーみたいに楽しんでる人ばっかりだった。だからこっちもそれに応じて、客の求める役を演じてた。でもあんたは素のままの俺を、ひとりの人間としてちゃんと見てくれてるような気がした。だからあんたの前では、俺はずっと調子が狂いっ放しだったんだ」    振り向いたライトは笑っていたが、夕陽のオレンジに染まった顔はどことなく寂しげに見える。 「俺があんたを癒さなきゃいけないのに、逆に癒されてた。ホスト失格だよな。ケイさんは俺にとって特別な客だったよ。忘れないぜ」  予想外の嬉しすぎる言葉に慧の胸は震え、せり上がる感情に耐え唇を噛み締め頷いた。 「なぁケイさん、あと三十分だけど、俺ホストモードやめて普通にしてていいか?」

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