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第18話
静けさの中に、どこか不穏な空気を感じる……そのような時にそれは起こった。
「たっ、大変でございます! とっ、東宮様が~っ」
葛城の外出に随行していた者の叫びに東宮の宮は騒然となる。葛城には同行せず一人で執務中の磯城も、驚きすぐに宮の門まで駆けつける。
戸板に乗せられ運ばれてきた葛城に、磯城は駆け寄る。そして狼狽も露わに話しかえる。
「とっ東宮様……どう……どうなさったのですか?」
「ああ、心配いらない、大した怪我ではない。淡水が大げさに戸板にて運ぶと聞かぬから……」
磯城は、東宮の怪我が矢で射られたものと見ると、顔色を変え淡水を問い質す。
「いったい誰がこのようなことを東宮様に、だれの仕業じゃ?」
「今手の者に追わせております」
「東宮様は日嗣の御子、玉体ぞ! 矢を射るなど言語道断許されることではない! 早う探索し、必ずや明らかにせよ!」
淡水は、磯城の怒りの剣幕に驚く。日頃穏やかで物静かな磯城が、怒りを露わにするようなことはなかった。このお方もこのようにお怒りになるのだと考えていたら、矛先が直接自分に向かった。
「淡水! その方一体何をしておった! そなたが付いておきながらこのようなことに……」
まったくおっしゃる通りですが……東宮様……と葛城に助けを乞う視線を送るが、目を逸らされた。お人の悪いことで……。
葛城からすれば、ここで淡水を庇うわけにはいかない。下手に庇えば磯城の怒りが増幅するばかりか、己に向かう。
そこへ大王が現れた。騒ぎを知って急ぎ駆け付けたようだ。
磯城は、大王に駆け寄るとひれ伏さんばかりに低頭する。
「大王様、このような事態まこと申し訳ございません。私が後見としてついておきながら、このようなこと……申し開きもできません」
磯城は、全て自分に責任があると必死な形相で大王に詫びる。自分の身を投げ出すような勢いだ。
実際磯城は、死んで詫びるつもりだった。
この時代はまだ後世の責任の取り方、切腹は無かったが、死をもって詫びる、自分の命で責任を取るということはあった。
葛城は、磯城のただならぬ様相を見て危機感を抱く。このままでは本当に死にかねないと思った。
「父上!」葛城の大音声に皆が振り向く。
「叔父上にはなんの咎もございません。叔父上は常に私の身を案じ、心を配っておられた。私にも十分に警戒するように何度も申されておった」
淡水の事は庇わなかった葛城が、磯城を庇って言う。葛城も必死だった。
「いや……しかし」磯城が言いかけるのを遮って葛城は続ける。
「今回のこの事態、私の油断が招いた事。たとえ叔父上、後見であろうと、己の責任を他の者に取らせること、東宮としてできません。全ての責めは東宮である私にあります」
葛城の毅然とした結語に、磯城もそれ以上何も言えなかった。
「東宮、そなたの態度まこと立派であるぞ。八宮の教えが身についておるとみえる」
この場にいる誰もが思った事を、大王が代表したように褒める。
大王とて、磯城のあまりにも必死な形相に驚いたものの、責任を取らせようなどとは思わない。そんなことをすれば三宮の思うつぼだ。それを毅然とした態度で止めた東宮に、吾が子ながら感心したことが率直な誉め言葉になった。
そこへ、東宮を襲った者が高松の館に逃げ込もうとして、屋敷からの矢で討たれたとの報が入る。
「間違いなく口封じ、生け捕りにできず申し訳ございません」
「高松か……やはり三宮だな……東宮、そして八宮これは由々しき事態ぞ。これをどう収めるかが肝要じゃ」
「私は、この機会に討ち果たす以外ないかと」
葛城は、そう言って磯城に視線を送る。どうか賛同して欲しいと言う願いを込めて……。
「私も賛成でございます。東宮様の襲撃に三宮の兄上が関わっているなら、いかに王族とはいえ許しまじきこと。三宮、高松への討伐軍を差し向けるべきと考えます」
決然と言う磯城に、葛城は少なからず驚く。今日の磯城は、昨日までの磯城とは別人のようだ。
常に物静か、事を荒立てることを好まぬ穏やかな性格。それが、昨日までの磯城だった。
しかし、今日の磯城は、怒りも露わに兄である三宮に討伐軍を差し向けると言う。
葛城は驚きながらも、今日の磯城を美しいと思う。この人は怒った姿も美しい、幼い頃ひたすら憧れ、姿を追った頃の思いが蘇るようだ。
先の大王崩御後、殯宮で抱きしめた体のあまりに儚い弱々しさに、以来葛城にとって磯城は、己が守る人。抱いて自分の者にする人だった。
しかし、今日の磯城は違う。力強い男性の姿。まさにこの人も男なんだと今更ながら思う。葛城は、磯城を憧憬の眼差しで見る。
「そうじゃな、二人が言うようにそれしかなかろう。余とて、三宮は同母の弟、じゃが東宮に害をなすものを許すわけにはいかぬ」
大王の宣言で、三宮、高松に討伐軍を差し向けることが決まった。
相手も、東宮襲撃が失敗に終わったことにより、討伐への警戒をするだろう。反撃に時間を与えないように直ちに討伐軍の編成に取り掛かることになる。それは、磯城が全面的に請け負う。葛城には怪我の治療が必要だ、それこそ後見である己の仕事と考えたからである。
「明日までに諸将を集めます故、それまで東宮様は怪我の治癒に専念なさってください」
そう優しく言い、そして心配げな磯城に、葛城も素直に従った。
磯城は、豪族の嵯峨氏の館を訊ねた。母の大后の実家であり、現当主は磯城にとって伯父に当たる。加えて豪族最大勢力の嵯峨氏は、磯城にとって最初に頼る存在だった。
「そう言うわけで、伯父上軍勢を出していただきたいのです」
東宮襲撃を伝えて、討伐軍への助力を願う。もとより嵯峨氏も力強く請け負う。嵯峨氏にとっても、最大のライバルと言いていい高松を討つチャンスでもある。高松を討てば、嵯峨に対抗できる豪族は皆無になる。
「八宮様ご安心ください。弟や倅達に言いつけ直ぐに集めさせます。他の豪族達にも私から声を掛けますれば、皆はせ参ずることでしょう」
「まこと力強い、伯父上のご助力感謝いたします」
「大后様は、此度のことご存じで?」
「なにぶん急なこととて、まだ母上には伝えておりません……」
「そうでしょうな、私どもから人をやってお伝えします。心配はされますでしょうが、後からお知りになるのも……」
「重ね重ねお心遣いありがとうございます。母上にはどうか心配なさらずと、お伝えください。母上のことどうかよろしくお願いいたします」
「大后様は私の実の妹でもあります。嵯峨一族でしっかりとお守りいたしますのでご安心を」
磯城にとって母も勿論大切だが、今は母を気遣う余裕はなかった。嵯峨一族ならしっかり守ってくれるだろう、これで心置きなく出陣できると安堵した。
「それでは伯父上、明日の軍議に参集方よろしくお願いいたします。大王様もご臨席になられますので」
嵯峨の館を後にした磯城は、その後も討伐軍の編成のために働き、宮に戻ったのは夜も更けてからだった。
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