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第9話 感傷

「随分と派手に連れたもんじゃねぇか」 「その甲斐あってようやっと手引きましたよ、大賀(おおが)の連中」 「ハッ、お優しいこって」 「金輪際、武彦への接触は許さん。ようく監視しておけ」 「「「命に代えても」」」  大賀家。神崎武彦の父神崎明彦の遠縁の親戚筋である。 武彦の父・明彦の失踪後、武彦を引き取ったのは大賀の家だった。  明彦が所有していた財産は、全て大賀家が武彦から取り上げ、権利の塗り替えこそ出来なかったものの完全に私物化していると報告が上がっている。 大賀の家は武彦に全ての家事をさせ、まるで使用人や召使いのような扱いだった。  決して同じ食卓に着くことを許さず、武彦からむしり取った財で私腹を肥やすが本来その権利がある武彦には一円たりともかけない。 義務教育の範疇であるから小中学校を卒業させ、「自らの子供を通わせているのに預かっている子供は蔑ろにしている」と指差されることを厭い高校へも通わせている。  大学からは家を追い出しそれでも明彦の、武彦の財産を貪るつもりであるらしかった。 家に居ても存在しないかのように無視されるが、𠮟責のときだけは視界に入る。そんな生活ぶりだったのだ。 「ま、結果的に釘バット持たせたんは正解だったな。とんでもねぇイカれ野郎に連れ去られたって話になる」 「さすがに騒ぎになって調べてみりゃ近隣の防犯カメラにもドライブレコーダーにも武彦を連れ去る人間もそれらしき人物を乗せた車両もないときた」 「集団幻覚の類、ということで決着予定です」 「世間体をやたらと気にする大賀は真っ先に渦中の武彦を切り捨てた、と」 「竹漸(ちぜん)に連絡入れろ。報告にあった件、実行してええとな」  竹漸と呼ばれた男の本業は弁護士である。言うまでもないが武彦の財産を有耶無耶にされないうちに武彦自身の手に戻す手続きをさせるのだ。 「何年も準備してましたからね、奴も張り切って腕を振るうでしょう」 「こちらも助力は惜しまん、他の家にも伝達しろ。大賀は最早盾を失った、とな」  大賀の盾とは、つまり武彦のことだ。 彼を盾にされていたからこそ“漸”、“蛮”、“鷲”の三家は幼少の頃より虐げられる武彦を見守ることしか出来なかった。 「明彦が見つかるんが一番手っ取り早かったんだがな」  親権を持つ者が子を返せと言えば簡単に収まる話ではあった。しかし今日に至るまで彼は消息がつかめずにいる。せめて行き過ぎた虐待が起きないよう注意し、監視し、大賀の家を制御していたのが三家の面々だ。 しかし灰蛮…真城の父親によって長らく武彦の存在は「隠されて」しまっていたが。 「手続きの方はどうなっとる」 「養子縁組の書類ならもう届きましたよ。きちんと本人に説明して承諾を得てくださいね」 「わかっとる」 「では堅苦しい話はここまでに。今朝の武彦ですが、美味しそうにご飯をおかわりしていましたよ」  藤漸(とうぜん)がそう言えば、部屋のあちこちから「おお」と声が上がった。安堵するような、感心するような声だ。 「おかずが途中でなくなったのでふりかけを渡したら『昔使ってたやつだ』『懐かしい』と言っていました。あの家では調味料もろくに手をつけられなかったみたいですし、断片的なことは覚えているのではないかと」 「だと良いが」 「ちなみに梅漸は買い食いの作法とやらを教えるなんて言っていましたよ」 「ハッ、そりゃあええ」  何を隠そうその作法は梵漸が幼い頃の梅漸に教えたものだ。かつて武彦の父、明彦と共に培った日々の思い出である。 「武彦は夢にうなされている様子だったとアンジュが言っていました」 「この屋敷に居りゃそういうこともあるだろう」 「ええ。この屋敷、土地には明確な意思がある。武彦を逃がさない気ですよ。此処(ここ)は」 「それこそ上等だろう。かつて此処は俺たちに。真意を問うても『悲願成就せり』としか返って来んが、覆い隠す霧は晴れたっちゅうわけじゃ」 「梵の頭はそれを信じておられるのか」 「二度はねぇと宣誓があった。俺たちは永劫、“彦”を失わねぇ」  武彦自身は何も覚えてはいないが、それもまた此処の意思によるものだろうと見当は付いていた。産まれて間もない頃から明彦が姿を消すまで、ここで暮らしていたことも。屋敷中の連中から可愛がられ、愛されて育っていたことも。武彦は少しも思い出さない。  さて梵漸はいつ父・明彦と自分は同級生で、幼馴染の仲だと打ち明けるべきであろうか。 屋敷連中からすれば武彦は、にこにこと歩き回る幼子の記憶が強く歩き回れば誰かしらに呼び止められポケットをお菓子でパンパンに膨れさせていた子なのだ。  梅漸が武彦を抱えて屋敷中を練り歩いたとき、もちろん古参の男たちはその姿を見て「あんなに大きくなって!」「いや年頃にしては小さすぎないか」だの「元気そうだ」などと喜んで見送っていたし、広間で囲ったときに至っては「全然覚えてなかったな」などと酷く落ち込んでいた。  武彦の写真を売るなどという馬鹿げた話になったのも、ぜひ成長記録は皆で共有すべきという熱望が鬱陶しい程届いたからである。  いつだったか武彦の幼い頃。明彦にねだって食べさせてもらったみかんを食べて「あまままね~!」と目を丸くして喜んだことがあった。 翌日食堂の一角に山と盛られたみかんを見、親子が揃って口をぽかんと開けていたことを思い出す。  バカでかい屋敷を短い手足でよちよちと懸命に歩く武彦により、年嵩のいった連中は完全に孫を得た爺となったのである。 パンパンになったポケットからお菓子を出してどこぞの一室で「おかしやさん」を開いたときはいつの間にか顔見知りになった爺以外の連中も列をなした。  もっとも、そのときは武彦が「はい」と選んで渡すお菓子に皆お礼の菓子を持参したので全く減らなかったのだが。 『おたたちょくちあたはやぴぴぴ』 『なんの呪文じゃ』 『お菓子職人の朝は早いって言ってるね。あとアラーム音の真似してるね』 『ぐみいたたでつかー!!』 『おやつはおやつの時間に食べようね。おやつのお仕事だからね』  「おやつも忙しいのね」なんてニュアンスで感心していた武彦だが、まぁ、そのくらい昔のことであれば覚えていないのが普通であるし、大人だけが子供の幼い日に取り残されることもまた、致し方ないことなのかもしれない。

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