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第10話 お前のではないんだが

 昨日宣言された、今日から俺のガキだというアレ。具体的には養子縁組をするらしい。今目の前の机に書類広げられた。あと学校に行かせてくれるって言ってたけどそれ、俺は転校しなくちゃならないみたいだ。 「でもどうして突然そんな」 「こっちからすりゃあ当然の話じゃ。三つの頃までこん家に住んどったこと忘れちょるじゃろ」 「え?」  写真の束がドンと置かれて、恐る恐る手を伸ばす。そこには紛れもなく小さな頃の俺と、俺を抱える父親が写っていた。 一枚一枚めくっていくが、どれも俺か父親が写っていて、赤ちゃんの頃からずっとここに居たというのは間違いなさそうだ。  今目の前に居る大柄の男もところどころ一緒に写っていた。この頃から既に目元に傷がある。 「まぁ懸念は色々とあるじゃろうが明彦が戻って来よったら親権の類は主張せん。安心せぇ」 「えと、俺の父親とどういう」 「幼馴染っちゅうやつじゃ。大賀の連中が行方不明者届だの捜索願だのなんだの出さんかったからの、こっちで勝手に探しとるがまぁ気長に待っとりゃええ」 「捜索願を出さなかった…?」 「なんじゃ聞いとらんのか。奴らあくまで子供預かっとるっちゅう体でおって肝心の事ぁなぁんもしちょらん。怠け者どもじゃ」 「な、なんでそんな」 「遠縁の親戚ゆうが正確にゃぁ遠縁の親戚の再婚相手の連れ子じゃ。お前も明彦も一滴も今の大賀の家とは血が繋がっちゃおらん。実際に血縁が繋がっとったのはもう亡くなった」  ざ、と血の気が全身から引いていく。 父親が居ない今、自分の血縁関係はてっきり大賀にあると思っていた。だからずっとあの家で暮らしていたのに、そもそもの前提が大きく変わる。 (俺が今まで縋っていたものはなんだったんだ?)  大賀の、俺を引き取った夫婦は確かに「今も警察が捜索しているが父親は見つからない」と言っていた。それこそ何年も、何回も繰り返された言葉だ。 「あれ、全部嘘だったのか」 「なんの話じゃ」 「俺、ずっと大賀の人たちは父親を捜してるって、聞いてて」  そのためにお金がいるって。だから節約しなくちゃならないって。 俺のために探すんだから俺が普段の生活で我慢するのは仕方のないことだって。そう言っていたのに。 俺が空腹でも我慢して凌げたのは、その分父親を捜してくれているからだと思っていたからだ。だから耐えられた。だから。 「騙されてたんだ」 「武彦」 「見つからないんだ、俺の父親は、もう」 「そんなことあるか。今も探しちょる」 「でも今まで見つからなかった」 「そうかも知らん。それでも俺たちはお前を取り戻した」 「……俺?」 「必要なもんはお前が出しゃあええ。今からでも。やれるこた全部やりゃあええ」 「俺が」  今からでも間に合うだろうか? 「…おい。少しゃあ疑った方がええ。考える時間をやらねぇほど急いじゃおらん」 「貴方は嘘を吐いていない」 「あ?」 「貴方は、嘘を吐いてない」  養子縁組の書類を掴んで、用意されていたペンで名前を書き始めるとわざわざよく考えろと忠告して来た。 だから顔を上げて、真っ直ぐに目を見る。  途端に空気が一変した。  肌がビリビリ痛む。全身が擦り傷だらけになったような、火に包まれているような、刃物で切り付けられているような鋭い痛みだ。 目を合わせている内に刺激はどんどん強くなっていく。  冷汗が全身から出て体が冷える。震えるほどの威圧感。 貫禄の巨躯から醸し出される雰囲気は最早常人のものではない。 「根拠は。これまで良い様に騙されちょった癖に、俺を信用する根拠はなんじゃ」 「…俺はこれまで嫌なことから目を背けていたし、違和感も全部飲み込んできた。でも今は前が見えてるし、貴方を信用することに決めた」 「根拠になっちょらん」 「じゃあ、お腹いっぱい食べさせてくれるから。安心して眠られるから。だからここに居座ることにした」 「…っは」  吹き出すように笑った途端、頭を抑えつけられているかのような圧迫感が消えた。慣れない着物で正座していたせいで、ふらりと体勢が崩れたが机に肘をドンと置いて気合いで持たせる。ハニーボーンしなくて良かった。危な。 「仕方のねぇ、全く。俺は梵漸だ。武彦」 「梵漸さん」 「あ?親父になるっちゅうとろうが」 「親父?」 「それでええ」  腕を組んで一つ頷かれたので、続きを書く。神崎武彦。よし。ちょっと曲がったけど許容範囲だろう。 「ちなみに昔の俺はなんて?」 「おーちゃんゆうとったな」 「おーちゃん」 「今はやめぇ。本名が扇じゃ」 「本名!?」 「なんじゃ。梵漸なんつう名を親から授かるわけないじゃろ」 「キラキラネーム的な」 「キラキラだぁ?」  呆れたように「今の連中は何言うとるかわからん」と息を零された。となると梅漸、アンジュ辺りも怪しくなって来たな。やっぱ偽名か? 「こっちから提案しちょるが、転校に関しては自由に決めてええぞ」 「えっそうなんだですか」 「ふ、下手な敬語なんぞ要らん。気軽に接すりゃええ」 「強制かと思ってた」 「部活はやってるか?」 「帰宅部を。まーでも高校自体も俺が決めたわけじゃなくて未練も全くないというか俺としては何となく大賀が居るところ嫌なんで喜んで転校したいというか」  早口で言い切った後、気が付いた。大賀の息子と同じ学校に通うことを求められたけど、あれって息子よりレベルの高いところ行かれても困るしかといってレベルの低過ぎるところに行かれても困るってことか。やってくれたなアイツら。 「わー俄然行きたくなって来た楽しみ」 「横の案内冊子開いてもおらんじゃろ」  聞こえないフリをしながらサッサと名前を書いていく。てか必要書類多くない?あ、転居届だこれ。そっかこれ引っ越しみたいなもんなのか。 「荷物はいつ取りに行く」 「俺ちゃんと鞄受け取ったからそれ以上は荷物ないっすね」 「は?」 「おもちゃとかそういう私物っぽいの全然買ってもらったことなくて。あ。残りの教科書とかは駅のロッカーに預けてあるからそれ回収したらほぼほぼ引っ越し終わりっていうか」  傷が怖いおじさん改め梵漸の親父が驚いたように目を見開いていた。コワ。顔コワ。 「まさかとは思うが携帯の類は」 「ないっすね」 「連絡はどう取りあっとった」 「ないっすね」 「梅漸!」  音もなく襖が開いて呼ばれた梅漸が驚いたように部屋へ入ってくる。今尋常じゃない緊張感に部屋が包まれている。 「予定変更じゃ。武彦の携帯買うて来い」 「そういや持ってなかったな。失くしたか?」 「元々持ってない」 「は?」 「元々持ってない」  顔コワ。 「ようし話は終いじゃ。準備せぇ梅漸」 「今すぐにでも」  机の上に乗っていた書類をパッと回収して梅漸が出て行く。それを見送っていると梵漸の親父が口の端を上げながらポンポン、と膝を叩いた。 「どれ、どんぐらいデカくなったか確かめるとするか」 「そこで?!」 「来い、武彦」 「膝じゃなきゃダメですか」 「ダメだ。お前の親父には散々邪魔されたからな」 「え?」 「俺の身長で慣れたら抱っこさせてもらえないだろっつっとった」  確かにこんなに大きな体だから、小さい頃の俺にはアトラクション同然だったかもしれない。 しかし忘れることなかれ今の俺は高校生である。  みょいん、と伸びて来た腕に脇を抱えられ、ちょこんと膝の上にいつの間にか座っていたわけですが。え?力強。 「こんとこは親父に似て来たな」  目元をかさついた指先でなぞられると、なんだか懐かしい気がしないでもない。 しみじみと、どこか悲しいような嬉しいような顔で観察されると俺はもう戸惑いながらもされるがままだ。  時に真剣に、時に微笑んで頬をなぞられ、ジッと見つめられる。名前を呼ばれてぽんぽんと優しく頭を撫でられ、髪をくしゃくしゃとかき回された。 あれこれ俺可愛がられてね?だいぶペット寄りな気もするけど。  と。  スッターンと軽快な音がして襖が開いた。それはもう勢いよくだ。 「俺の親友を返してもら」  大きな声で威勢良く放たれた言葉は不自然に途切れる。嫌なところで目が合ったなこれ。  俺はたった今養子縁組を了承した義父の膝の上に座っている。その上頬を撫でられてるし顔がやたらと近い。ちょっとこういったスキンシップ自体にも若干照れがある。 顔を赤くした俺が大人の男の膝に座っているさまを見て親友・真城はわなわなと震え出した。わかるよこれちょっと事案っぽいよね。  面白いくらい震える指でこちらを指差したかと思うとしばらく口をパクパクと開閉させてから思い切り叫んだ。 「俺のタケに何してやがんだ!!!!!!!!!!!!!」

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