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第17話 レンズ越し後編
「お前前髪ウザくね?見えてんのかよそんなんで」
「一応は。だいぶ見えづらいけど」
「俺が切ってやろうか」
「は?嫌だよお前絶対変な感じにするだろ」
「はー?生意気だな」
「うわ、やめろ、ぐしゃぐしゃになるだろ」
髪をわしわし掻き混ぜたら即行逃げられた。髪ふわふわ。頭ちっちゃ。
ぺし、と弱めに腕を叩かれたところで猫パンチ程度の威力しかない。いや、痛みとしては全くないが、胸の奥にだいぶキた。これが正しく猫パンチの威力だ。
そんなやり取りがあって動物園当日。
タケは前髪を切って来た。目元がよく見える。それだけでだいぶ印象が変わった。
「行こうぜ」
「なんで来たばっかなのにふらふらなんだ」
「誰のせいだと思って」
「遠足の前日楽しみで眠れないタイプか」
「は、いやちが、」
「俺もちょっと眠れなかった」
危なかった。何かが込み上げてきそうになってグッと堪える。それ楽しみってことじゃね?俺とのデートが?
いや待て、デートじゃない。課題だ、課題。
それから適当に色んな動物を見て回って、レポートに必要な情報を集めながら写真を撮る。お待ちかねのペンギンは最後に残した。
聞けば動物図鑑とか、家で読めるのはそういったものばかりらしい。嗜好品や娯楽のものは全く置いてないから、何度も読み返した中で一番気に入ったのがペンギンだった。
後ろからついて歩く俺には、そう語るタケの表情は見えなかった。
「ペンギンこの辺りだ」
マップに釘付けになりながら声を弾ませるタケ。聞いたことがないくらい明るくて、浮ついたそれ。さらにはスキップでもしだしそうな軽い足取りに、顔なんて見なくてもわくわくとした空気が伝わる。
あ。俺、ペンギン嫌いだわ。
唐突に頭に浮かんだそれを、口に出さなくて本当に良かった。
もしもあのとき言ってしまったら、タケは俺に心を開きはしなかっただろう。
「居たぞ!ここだと何種類かいるから見応えあるなぁ。あ、真城!見てみろあっちの!ちっさいけどあれで大人なんだぜ」
「へぇ」
「おっきいよなぁ」
「おっきいなぁ」
相槌を打てばふふ、と小さく笑い声が聞こえた。
階段を下って行くと水槽越しに泳いでるペンギンが見える。
なんとなく、泳いでるときは飛んでるみたいだなと思った。空は飛べないけど水では翼を広げるなんて変な奴ら。
「ぶ、」
「なんだよ」
「全部声に出てたぞ。案外詩人なんだな、真城って」
「詩人?」
「空は飛べないけど、ってとこ」
せっかくタケが笑ってんのに、震えている肩しか見えなった。
アイツはただ水槽を眺めていて、上へ下へ横へ視線を滑らせる。俺もまたそれに倣って泳ぎを目で追って、狭いはずの水槽が広がって行くのを感じた。
「鳥って飛ぶだけじゃないんだな。よく考えると」
「せっかく鳥なのに飛べないなんて損だよな」
「そう?他の鳥だって飛べないのいるよ。こんだけ泳げるペンギンはすごい方だと思うけど?」
「空と海だったら、空だろ」
「なんで?」
「逆になんで神崎はペンギンが好きなの」
「えー、はぐらかすのかよ」
「ほら、なんで」
「んー。まず泳いでる姿が涼し気だろ?陸の上では短い足でてこてこ歩いてさ。腕をパタパタしてんのも好き」
「可愛いから?」
「そ。腹に埋まりたい」
多分ぬいぐるみの方が本物よりふかふかでふわふわだ。誕生日を口実に渡せば受け取ってくれるだろうか。
そうすれば少しくらいは、こちらを振り返るだろうか。
その日はほとんどペンギンの前に居た。
喋っているのはほとんどタケの方だったが、あーだこーだと言葉を交わすのは悪くない時間だった。
何枚も写真を撮ってから売店をスルーして、外のファミレスで時間を潰す。
それをきっかけに俺たちは毎日一緒に下校するようになった。
現像した写真の受け取りとか、レポート用の資料で何が足りないから図書館に行こうとか。本当はネットで調べればすぐわかる。でも手を抜きたくなかった。
タケといる時間は、取り分け一つ一つを分解すれば特別楽しいわけでも何でもないが、ただひたすらに心地が良かった。
学校帰りに毎日寄り道して、タケは奢られんのが嫌みたいだけど「一口」もらうくらいなら抵抗がないようだったから、俺は突如として買い食いが習慣になった。
多分短期間で馬鹿みたいに身長が伸びたのはこのせいだ。
「俺たちのグループも動物園行ったんだけどさ、これお前ら映り込んじゃったからやるよ」
「へー、悪いな」
渡された封筒の中身を見た。思えばあれが、俺にとっての決定的な瞬間だった。
「真城、おい。どうした?おーい」
あの日、あのとき、あの瞬間、俺には見えなかったタケの顔。
楽しそうに笑った顔。
「笑ってんの初めて見た」
「マジで。お前ら仲良いんじゃなかったか?」
「いや、アイツよく笑うけど。そうじゃなくて」
俯きがちなタケの顔を、このときはじめてはっきりと見た。
俺はその瞬間を目に出来なかったのが悔しくて、タケの写真を撮るようになった。あれよりも、あれを超える写真を一枚でも欲しかった。
満面の笑顔は俺が撮りたかった。
「なぁ神崎、写真撮っても良いか」
「何、カメラマンにでもなんの」
「ああ、それも良いかもな」
被写体がお前なら。
「二年になったらさ」
「ん?」
「真城と同じクラスになれれば良いのにな」
そしたら楽しそう。
そう言って笑ったタケの顔を前に、俺はカメラを向けることすら出来なかった。
「あれも一目惚れってやつなんだろうな」
長く認識出来なかったことが嘘のように、俺はどこに居てもタケを見つけられるようになった。
人ごみの中でも、どんなに遠くに居ても。さらに能力を駆使すれば追跡すら可能だ。俺は地球の裏側へ連れて行かれてさえもなお、容易くタケを見つけることが出来る。
そして今でも脳裏に蘇る。水槽の中に入ったかのような時間を。
あの水の流れも、泳ぐ鳥も、不意に目の前に迫って来て俺を飲み込む。写真の中。あの瞬間、見えもしない笑顔に俺は溺れた。
狭い水槽、岩場の下で。
アイツは俺を見てすらいなかったが、あの日確かに俺たちは世界に二人きりだった。
タケ。タケ。神崎武彦。
―――俺の好きな人。
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