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第24話 夢見
「なんぞ用があって来たんじゃねぇのか」
「あ、そうだった」
慌てて両手を掲げて中を見せる。俺を拘束していた植物が小さく蠢いていて、どことなく苦しそうだ。
「なんか、ちょっと噛んだらこんなんになっちゃって」
「ちょっと噛んだ」
「なんで噛むんだあんな得体の知れないものを」
真城と梅漸がなんか言ってるけど無視だ。元々アンジュの物っぽいし、どうしたら良い?と聞いてみた。
「ああ、まぁ…大丈夫ですね。とっても元気です」
回収しておきますね、と誤魔化すように取り上げられた。本人が大丈夫っていうならそうなんだろう。ホッとして息を吐いたが、さっき帰るって言われてたのに誰一人動かないのでものすごく気まずい。あとめちゃくちゃこっち見てる。
「こん暮らしにゃもう慣れたか」
えっ近況報告をこのまま?
「一応、まだまだ覚えなきゃいけないこともあるけど慣れたと言えば慣れた…ような?」
「そりゃあええ」
梵漸の親父はこうして毎日俺の話を聞いてくれる。初めて学園に登校した日からずっとだ。
『変な時期の転校だからどうかなって思ってたんだけど、結構皆普通に接してくれた』
『ほぉ、思うたより馴染んどるようじゃな』
『うん。自分でもびっくりした』
二人だけで話すから特にかしこまる必要もなくて、取り留めのない話を続けても相槌で返してくれる。
『どうした。ニヤついちょるぞ』
『こういう、学校のこととか聞いてもらうのって初めてで。楽しいときの話するとなんか今も楽しいような気がする』
『そうか』
俺は嬉しくて笑ったのに、梵漸の親父は眉間にぐっと力が入って、普段よりちょっと怖い顔になった。でもそれは不機嫌とか怒ってるわけじゃないっていうのは、俺にももうわかる。
首を傾げる俺を手招きしたかと思うと、梵漸の親父はそのまま俺を膝に乗せ、静かに言った。
『お前がこんくらいの頃は、明彦がよう聞いとった』
こうして膝に乗せて、園での出来事をニコニコと父さんに報告していたらしい。それを聞きながら父さんもまた、楽しそうだったと。
『取り返したる』
囁きのような誓いに、全身から力が抜けた。
あの日あの瞬間俺は、梵漸の親父を全面的に信頼出来る大人だと認めたのだ。
真城と梵漸の親父と、梅漸以外は俺の事情を細かく知らない。と思う。
父親が居なくなったこと、遠い遠い親戚に引き取られたこと、その親戚に騙されていたこと、…ここに簡単に、売られたこと。
こうして親子関係でもない大人の膝に座っている俺は恐らく異常に見えるだろう。それでもそれを指摘しないのは優しさなんだろうか。
親しい、友人と呼べる相手は一人だけ。たった一人俺の味方だった真城。
その頃に比べたら今はどうだ。クラスメイトは俺に良くしてくれているし、友達もたくさん出来た。俺は以前に比べてだいぶ気さくな奴になったんじゃないかと思う。
俯かなくても普通に話が出来るようになったし、ささやかで切実な目標も出来た。
なのに無性に泣きたくなるのは何故だろう。
「大丈夫だ、武彦」
とん、とん、と背中を優しく叩かれる。瞼が重い。温かい。
『武彦』
ぼんやりと父親の声が蘇る。はっきりとした声ではないけど。
『武彦』
俺の記憶が曖昧だからか、元々そうだったのか。父親の声は穏やかで、暖かくて。優しくて。
「お父さん」
小さく唇が揺れてそれだけなんとか吐き出した。もう目も開けていられない。強烈な眠気だった。
『とーと』
パパとかお父さんとかじゃなくて、小さい頃の俺は父親を「とーと」なんて呼んでいた。どうして忘れていたんだろう。とーとって呼ぶ度に優しく撫でてくれて、名前を呼び返して抱き上げてくれる。
いやーって顔を押し退けるまで頬ずりされて、くすぐったくて。
俺はどうして捨てられた、なんて言葉を信じてしまったんだろう。
「あいたい」
強い力で引き寄せられて抱きしめられた。梵漸の親父は見た目なんかと全然違ってずっとずっと優しい。
「お前を一人にしてすまなかった」
それはマジでそう。
小さく笑って、俺の意識は完全に落ちた。
のが、約一時間前のことらしい。
「見ていた全ての人間から記憶を消す力が欲しい」
「物騒だな」
「まずはお前だ!」
「わかったわかった、よしよし恥ずかしかったな」
「離せー!!」
梅漸に襲い掛かったもののあっさり取り押さえられた。そもそも体格全然違うから勝算なんて初めからありませんでしたけど何か?
羞恥にジタバタ暴れ出した俺のご機嫌でも取るように梅漸はスマホを差し出した。
「週末出かけるんだろう。調べなくて良いのか」
「…調べる」
「どうも武彦に何らかの力が作用している、というのは確認が取れたのですが」
「早急に解決を求めたい」
「そう悪いものではないと思いますがね」
「悪いものでしかないんだけど?!」
アンジュの物言いに噛みついたら肩をすくめられた。わかってる、言いたいことは。
「どうせ白昼夢を見るだけとか思ってんだろ」
「昔の記憶が徐々に戻っているのでしょう?何の問題が?」
「所構わずうとうとしてたら実害も出るだろ!」
「寝惚けて甘えるのなんていつものことだろ」
「梅漸は黙って!」
問題は初対面の相手の目の前でそれが起きたことなんだよ!
「ちょい待ち、俺全然何も把握してないんだけど。タケなんかあったの?」
「いや何も?何もないですけど?」
「何もないわけないだろ。クソ、俺が反省文書かされている間毎回ああいう感じになってんの?」
「お前はなんでいっつも反省文書かされてるんだよ」
俺がこの屋敷に住むようになってから、妙な夢ばかり見るようになった。それは夜寝ている間であったり、昼間起きているときでも突然やって来る。
今回はとーと、もとい父さんの記憶がまるで録画を再生されるように蘇って来た。音声は曖昧だが、なんとなくこう言っている、というのがわかる。
「なんていうか小さい頃、屋敷に住んでいたときの記憶限定で見るみたいなんだよ。梵漸の親父に確認したら俺の夢の中の出来事は実際に『あった』っていうし。変だよな、今まで忘れてたこととかも急に思い出すなんて」
「うーん?意識あったから夢遊病とは違うんだろうし、なんだろうな」
「梵漸の親父曰く、『屋敷が見せてる』らしいけど」
「屋敷が?」
昼間急に記憶が蘇ると、全神経をそちらに持っていかれて俺自身は現実世界の認識がほとんど出来なくなる。
ご飯を食べているとき、課題をこなしているときでもお構いなしだ。
大半はぼーっとなるくらいで倒れるとかもないし、意識を失うこともほとんどない。ただ感情を強く揺さぶるような内容であった場合、梵漸の親父の膝でブラックアウトしたように俺は電池切れになる。
「学校では症状がないから大丈夫なんだけど、屋敷内だと朝も昼も夜も区別なく起きるから困って梵漸の親父に相談したんだ。そしたら、屋敷が関係してるって確信を持って言われた」
ただ、屋敷側の意図まではわからない。何のために俺に干渉しているのか全く想像も付かないが、一応倒れたときに医者の人が色々と診てくれた結果異常なしと診断も下った。
意識が混ざって夢の中と区別が付かなくなると、突然変なことを言い出したりするから困る。今日みたいな感じだ。
「身体に害はない、か」
「時々意識失う時点で充分俺には害だと思うんだけどどう」
「いやまぁ…もしかしたら思い出した中になんかこう、屋敷が訴えたい何かがあるんじゃないか?」
「訴えたい、何か?」
「タケが見て来た中になんかないの?共通点」
ううん、と唸って首をひねる。記憶の全てに父親が出て来たのならそれ関連かなって思うけど居たりいなかったりだし。一個気になることと言えば頻繁にバージェ?っていう男の子が居るくらいか。
でもあの子も別に常に居るってわけでもないし。何だろう。
屋敷と言葉を交わせるのは当主である梵漸の親父だけで、俺が何かを直接問うことは出来ない。今更だけど、この屋敷に宿った自我っていうのは一体何なんだろう?
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