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第4話

 十代の後半になってもヒートが来ないことを気にするカイに、エリックはそんなふうに言って慰めてくれた。  けれど、二十歳になっても、そして大学を卒業してもカイにヒートが訪れることはなかった。 「そんな顔しないでよ。確かに、エリックには申し訳なかったと思うよ……婚約者が、役立たずのオメガだったんだからさ」  マテウスとエリックは学院時代からの親友で、学内でもいつも一緒にいた。  マテウスは貴族の出でこそなかったが、国一番の資産家の息子で、文武両道に秀でていたため、王太子と並び立っていても全く遜色がなかった。  裏表のない、さっぱりした性格だからだろう。誰に対しても、それこそ相手が貴族でも平民でも、忌憚なく発言するマテウスに眉を顰める人間もいたが、ほとんどの生徒からは慕われ、憧憬の眼差しを向けられていた。  エリックもおそらく、マテウスのそんなところが気に入っていたのだろう。  王太子であるエリックに対し、色眼鏡で見ることなく対等な立場で接してくれる人間など、ほとんどいなかったはずだ。  マテウスもエリックのことは気に入っていたようだし、無二の親友の婚約が解消されたということに、何かしら思うところはあるのだろう。  だから、そんなふうに敢えて軽い口調で言ったのだが。 「……そんなふうに、言うな」 「え?」 「役立たずとか、自分のことをそんなふうに言うな。不愉快だ」 「……ごめん」  そこまで深い意味はなかったのだが、確かに聞いていて気分の良いものではなかっただろう。素直に謝罪の言葉を口にする。 「いや、俺も言いすぎた」  カイの言葉に、すぐにマテウスは決まりが悪そうな顔をした。さらに。 「そもそも、オメガの役割は子を産むことだけじゃないだろう? オメガであるお前が、バーチュー勲章を受けたんだ。多くのオメガが、希望を持ったはずだ。お前はもっと自分を誇るべきだ」  ヒートがないとはいえ、オメガは元々体力もアルファやベータに比べると劣っていることが多い。  口には出さないが、カイ自身できうる限りの努力はしてきたし、たくさんの時間を研究に費やしてきた。  自分よりも優秀なアルファやベータだって皆努力をしているのだ。オメガである自分は、その倍は頑張らなければならないと、そう思っていた。  だから現在の職場に配属になってからは休む間もなく仕事に没頭していた。 「ありがとう、マテウス」  気がつけば、そう口にしていた。  カイ自身の努力を、他でもないマテウスが認めてくれたということが、とても嬉しかった。  にやけてしまいそうになる頬を引き締めようとしても、自然と緩んでしまう。  マテウスは、そんなカイを見てわずかに切れ長の目を見開いたが、同じように穏やかに微笑んだ。  ちょうどその時、先ほどのウエイターが二人分のグラスと、ちょっとした軽食を持ってきてくれた。  カイの前に置かれた水色のカクテルは、空のようなきれいな色合いをしていた。  グラスをカイが手に取れば、同様にグラスを持ったマテウスの視線を受ける。  そうだ、せっかくなのだから乾杯をしなければ。そう思ってカイがグラスをマテウスに向けると、マテウスが自身のグラスを近づけ、小さな音が聞こえた。 「お互いのバーチュー勲章に?」  カイが笑ってそう言えば、マテウスがわずかに眉を顰めた。何か、間違ったことを言ってしまっただろうか。 「それもあるが……それより、再会を祝して?」  マテウスにしてみれば、さり気ない一言だったのだろうが、カイの中に温かいものがこみあげてくる。  マテウスにとっての自分が、再会を嬉しいと思える存在だということに、何よりの嬉しさを感じた。  口にしたカクテルも口当たりがよく、すっきりとした味わいだった。 「美味しい」  思わずそう呟けば、マテウスがその瞳を細めた。  飲み慣れていないのもあるのだろう。それほど強くない酒なのだろうが、ふわふわとした楽しい気分になってくる。 「王都の夜景って、こんなにきれいだったんだね……」  窓の外を見ながらそう言えば、 「こういった店にはあまり来ないのか? まあ、研究でそれどころじゃなかったか」 「それもあるけど……たくさんの人間が前線で戦っている時に、何かを楽しみたいとはとても思えなかったんだよね」  とにかく、一刻も早い戦争の終結を。そのためには勝利を。そればかりを願う日々だったと言っても過言ではない。  だから、戦費を募るためとはいえ、時折パーティーを開いている貴族たちにもあまりいい気分がしなかった。 「……エリックは惜しいことをしたな。おそらくお前は、誰より国母として相応しかった」 「え?」  酔いが回ってきているのだろうか。呟いたマテウスの言葉も、聞き取ることができなかった。 「いや、なんでもない」  首を振るマテウスの顔を、改めて見つめてみる。外見こそ大人びてはいるものの、まっすぐな気性はあまり変わっていないようだ。 「戦争が終わってよかったけど、失ったものは大きかったよね」  貴族が多く在籍する学院だったからだろう。従軍した中に友人や知人は多かったし、訃報が入ってきたこともあった。  この戦争に大義があることは理解していても、それでも友人の死を知った時には憤る気持ちが抑えられなかった。  犠牲になった人々のために、一刻も早い勝利を。開発に没頭したのも、それが理由なのかもしれない。 「そうだな。ひどい戦争だった」  ハッとして、顔を上げる。そうだ、つい先日までマテウスは死と隣り合わせの場所にいたのだ。凄惨な現場だって見てきたはずだ。それこそ、目の前で自軍の兵士たちが死ぬ場面も。  そんなマテウスが発する言葉だったからこそ、さり気ない言葉にも重みがあった。  そして、その表情を見て思う。変わっていないように見えたが、やはりマテウスの中で変わった部分はある。  あの頃よりも穏やかな表情を見せるようになったのも、おそらく戦地での経験が影響しているのかもしれない。 「だけど、よかった。マテウスが無事に帰ってきてくれて」  頭がぼんやりとしていることもあるのだろう。思ったことをそのまま口にすれば、マテウスはなぜか驚いたような顔をしてこちらを見た。 「……そうだな、生きて帰ってきたからこそ、お前にも会えた」 「こうやって、二人でお酒だって飲めるしね」  とてもいい夜だった。店内に流れる音楽が微かに聞こえてきて、ますますいい気分になってくる。ただ、やはり酒を飲み慣れていないからだろうか。なんとなく、意識がぼんやりとしてくるのがわかる。 「カイ」  マテウスが自分を呼ぶ声が優しく聞こえるのも、そのせいだろうか。 「なに?」 「俺と、結婚するか?」  結婚、という言葉は思考が鈍っている頭の中にもしっかりと響いた。  マテウスの顔を、まじまじと見つめる。マテウスもまた、カイのことをじっと見つめていた。  ……マテウスも、酔ってるのかな。 「あはは、嬉しいな。国の英雄からプロポーズされるなんて光栄だよ」  軽口でそう言えば、マテウスはなぜかムッとした顔をした。カイがよく知るマテウスの表情だ。 「お前、冗談だと思ってるだろう」  マテウスの声色はどこか不機嫌そうで、懐かしい記憶が蘇ってくる。

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