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第5話
あの頃、自分を見ている時のマテウスはなぜかいつも面白くなさそうだった。
まるでカイなどそこにいないかのように扱いながらも、時折マテウスからの視線を感じていたことをよく覚えている。
こんなふうに向かい合って酒を飲む日が来るとは思わなかった。
「冗談じゃないよ、嬉しいよ」
笑いながらそう言えば、マテウスはますます眉間に皺を寄せてしまった。
ああ、今日は本当にいい夜だ。
目の前のグラスに残った酒を、ゆっくりと飲み干す。
「あ、おい、カイ!?」
急に眠気が出てきたのか、瞼が重くなっていく。
マテウスの声が、遠くに聞こえた。
2
広い机の上に置かれた紙に書かれた、戦闘機の設計図。
端に積まれたたくさんの書類には、幾度も行われたテスト飛行の記録が書かれている。
文書作成機械の発達とともに、紙で書くという作業は少なくなりつつあるが、カイは自分の手で紙に文字を書くのが好きだった。
文字だけではなく、設計図すら自分の手で書いているのだが、如何せん場所を取るため他の研究所の職員からは煙たがられている。
けれど、実際に紙に書いたからこそ戦闘機の改良点も見つかったのだとカイは思っている。
勿論、紙に書くだけではなく、実際の機体に触れるため、飛行場へも何度も足を運んだ。
速度ばかりが重視される戦闘機は軽量化が進んでいたが、エンジンを変えることにより、速度を維持したままより安全な機体に作り替えることができた。
電子計算機の画面で見つめるだけでは、改良点は見つからない。
ただ、カイのように考える研究者は少ないようで、ほとんどの研究者は電子計算機の揃った利便性の良い部屋で過ごしている。
カイが戦闘機の改良を行い、それを評価されて勲章を得た今も、それが変わることはない。特に今日は休日ということもあり、研究所に出てくる人間はほとんどいなかった。
カイ自身も急ぎの仕事があるわけではなかったのだが、なんとなく家にいるよりは研究所にいる方が落ち着いた。
「カイ……電話くらい出たらどうだ?」
ノックの音とともに、うんざりしたような声が聞こえてくる。
「オーリー」
カイが名前を呼べば、すらりとした長身のオーリーが肩をすくめた。
学院時代からの同級生のオーリーはカイにとって一番身近な友人であり、現在はカイの助手も務めてくれている。
派手さはないが、顔立ちは整っているし、理知的な外見は昔から女性にも人気があった。視力があまり良くないため、学生時代からかけている眼鏡により、かえって知的さが増しているように見える。
それこそ、カイよりもよっぽど研究者に見えるだろう。事情を知らない人間は、オーリーとカイが一緒にいるといつもカイの方を助手だと思うようだ。
今日は休日なので、オーリーは白衣を身に着けていなかった。
「ああ、ごめん。そういえば電源を切ったままだった」
最近普及し始めた移動電話はコードがついていない、言葉の通り持ち運びができる電話だ。
カイが夜遅くまで研究所に籠っていることもあり、心配した母親に持たされたものなのだが、交友関係は広くもないためこれまでほとんど鳴ることはなかった。
けれど、バーチュー勲章を獲てからというもの、カイの周りはにわかに忙しくなった。
新聞社や雑誌社からのインタビューの依頼だけではなく、疎遠になっていた者たちからも電話がかかってくるようになったのだ。
最初の頃は対応していたのだが、埒が明かないと最近はもっぱら電源を切っていた。
「全く、出張から十日ぶりに帰ってみれば……」
昨日まで、オーリーは学会のために地方都市へ出張していた。元々はカイが行くはずだったのだが、パーティーに出席するためにオーリーに代理で出てもらっていたのだ。
オーリーが、手に持っていた紙袋をカイにアピールする。カイが首を傾げれば。
「そろそろ、昼食の時間だろう。一緒に食べようと思って買ってきたんだ」
「もうそんな時間か……ありがとう、助かる」
「まあ、研究者の健康管理も助手の仕事ですし?」
言いながら、オーリーは机の上に積まれた書類の整理を始め、食事ができる場所を作ってくれる。
オーリーが買ってきたのは、王都で人気のベーカリーショップのサンドイッチだった。
これなら資料を読みながら食べられると思えば、自然な動作で手に持っていた資料を取り上げられてしまった。
「昼くらいゆっくり食べろよ。だいたい今日は休日だろう?」
それなら自分だってそうだというのに、わざわざ研究室まで足を運んでくれるオーリーもたいがいお人好しだ。
「科学技術の進歩は、休日だからって待ってくれないからね」
サンドイッチを口にしながらそんなことを言えば、オーリーはますます呆れた顔をした。
「研究者としては最高峰のバーチュー勲章をもらったっていうのに、本当にお前は変わらないな」
「あれは僕の成果っていうより、バトラックスを乗りこなしてくれたパイロットたちのお陰……あ」
「何?」
カイは、少し前のめり気味にオーリーに話しかける。
「こないだのパーティー、女王陛下主催の。そこで、マテウスに会ったんだ」
「……マテウス?」
オーリーが、怪訝そうな顔でカイを見つめてくる。
「そう、えっと覚えてない? 僕たちの一級上で、今はそれこそバトラックスのパイロットとしてバーチュー勲章を獲た……」
「いや、それはわかるけど。今この国でマテウスの名前を知らない人間はいないだろう」
少し興奮気味にカイが話し始めれば、やんわりとオーリーから止められる。
「あ、それもそうか」
「それで? マテウスと会ってどうしたんだ?」
止まってしまった会話の続きを話すよう、オーリーが促す。
「それがさ。もう八年? いや、もっとかな。とにかく久しぶりに会ったんだけど、マテウスが前より優しくなってたんだよ」
嬉しさを隠しきれずにカイが言えば、オーリーの眉間に皺が寄った。
「……優しく?」
「そう。ほら学院時代、僕はあまりマテウスによく思われてなかっただろう? 話しかけても、いつも素っ気なかったし。当時は結構気にしてたんだよね」
婚約者であったエリックと頻繁に一緒にいるため、マテウスと話をする機会はあったが、会話が続いた記憶はほとんどない。
「別に、マテウスはお前のこと嫌ってたわけじゃないと思うけどな……」
オーリーは、珍しく奥歯に物が挟まったかのような言い方をした。
気になったカイが、どういう意味かと聞く前に、オーリーがさらに言葉を続けた。
「それで、大丈夫だったのか?」
「そうだね、色々な話ができたし、楽しかったよ」
思えば、あんなに長い時間マテウスと二人きりで話したのは初めてではないだろうか。
それは勿論、学院時代の自分たちが二人でいることはほとんどなく、そこにはエリックがいたからなのだが。
そういったこともあり、あの夜はカイも浮かれてしまっていたのだろう。後で母親に聞いた話では、ラウンジバーで眠りこけてしまったカイを家まで送ってくれたのもマテウスだったそうだ。
深夜に突然現れたこの国の英雄の姿に、父母は勿論、滅多なことでは動じない執事まで仰天してしまったそうだ。
本当に、夢みたいな夜だったな……。
あの後、一応マテウスにはお礼の手紙を書いたものの、それに対する返事は返ってきていなかった。
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