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僕は負けない
僕は、勇気を出してりっくんの手を下ろす。惨状を見る覚悟だってできるんだから。
ぷはっと顔をあげると、りっくんが呆然と部屋を眺めていた。僕も、恐る恐る首を回して現状を確認する。
「え、凜人さん!?」
凜人さんが、八千代と朔の首根っこを持って壁に押さえつけている。足元には、血塗れの男達が4人、ピクリとも動かず倒れ込んでいた。リョーキさんの手が、変な方向に曲がっていて、思わず目を逸らしてしまった。
「はぁ〜〜〜っ、間に合ったぁぁ····」
情けない声で言いながら、部屋に入ってきた啓吾がベッドに肘を掛けて倒れ込む。
「ふぇ··啓吾····」
気の抜けるような安心感に、思わず涙が滲む。
「はーい、啓吾だよ〜。遅くなって悪かっ──····」
力を振り絞って頭を持ち上げ、僕の姿を見た啓吾はヒュッと息をのんだ。鏡がないから分からないけど、殴られた顔や額に痣ができているのかもしれない。頬に至っては、腫れぼったいし口内が切れていてる。きっと、見せるべきじゃないほどボロボロなのだろう。
「えっ、ちょ、なっ、結··人··、何されたんだよ!?」
慌てて僕に飛び寄ってくる啓吾。目にいっぱい涙を溜めて、どこから触れようかと手が迷子になっている。
「啓吾、ゆいぴに上着羽織らせて」
「え··、あ、おう! 冬真、ズボン貸せ」
「なんで俺なんだよ。つぅか結人の服一式持ってきてるだろ。啓吾、ちょっと落ち着け」
啓吾が『落ち着いてられっかよ』と震えた声で言う。そうだよね、ここまで酷いのは初めてだもん。
「武居、水飲める?」
動揺する啓吾をひっぺがし、猪瀬くんがりっくんにペットボトルを渡した。
「うん、ありがと。でも、口痛い····」
「ほっぺ、殴られたの? 可哀想に、こんなに腫れて····」
「大丈夫。僕、ちゃんと戦えたから、こんなの痛くないもん」
りっくんは、僕をギュッと強く強く抱き締めて、優しく頭を撫でてくれた。それから、ゆっくりと口移しで水を飲ませてくれる。
啓吾が服を着せてくれたんだけど、身体中の傷や痣を見られてしまった。皆の怒り狂った目が、どうしようもなくて怖いやらやるせないやら。
怒らないでなんて言えない。勿論、八千代と朔にも。僕は、唸るように息を荒らげたままの2人をチラリと見る。
「クソ執事! 離せ!」
「できません」
「離せ凜人、まだトドメ刺してねぇだろ!」
「させません」
昔に戻ってしまったような八千代と、稀に見る声を荒らげた朔。2人とも、凜人さんにも噛みつきそうな勢いでガルガルしている。
「そうだ。ねぇ、なんで凜人さんが居るの?」
聞けば、啓吾のファインプレーらしい。
八千代と朔が絶対にやらかすと踏んで、自分たちでは2人を止められないと思い凜人さんを呼び出した。事情を聞いた凜人さんが、全速力で駆けつけてくれたんだって。本当にありがたいや。
そして、りっくんとGPSを繋いでいた啓吾が、凜人さんと合流してそれを追ってきたんだそうだ。
「結人様、申し訳ございません。御二方を宥めてくださいませんか? そろそろ、私も限界でして····」
凜人さんが、僕に助けを求めてきた。涼しい顔をしているが、渾身の力で2人を押さえ込んでいるんだ。
「あっ、はい! 八千代、朔····僕、大丈夫だから、ね? 殺しちゃダメだよ」
「あ゙ぁ゙っ!? 鏡見てから言え!」
「そうだぞ結人。どう見ても大丈夫じゃねぇ。お前に手ぇ上げた奴に生きる資格はねぇから気にしなくていい」
「こ、殺しちゃったら、僕と一緒に居られなくなっちゃうでしょ」
「数年我慢する。つぅかお前が会いに来い」
刑務所に? そんなの嫌だよ。まったく、八千代は覚悟が決まると本当に怖いんだから。
「妥協案だな。コイツらだけは絶対に許さねぇ。お前を傷つけた奴が生きてると思ったら気が狂いそうだ」
朔まで。これだから野生児は手に負えない。
「なら、僕がトドメをさすよ」
「「「「「「「····は?」」」」」」」
皆の視線がキョトンと僕に向く。僕は構わず、りっくんの肩を支えにふらっと立ち上がった。そして、猪瀬くんの手を借りてベッドから降りる。
「ちょ、ゆいぴ··? 何するの?」
りっくんが心配してくれている。それなのに僕は、歩くだけで精一杯だから、振り向きもせず『任せて』とだけ返した。
ヨタヨタとタイヨウさんの横にへたり込み、ぽかっと頬を殴った。それを残りの3人にも、同じ様に頬を殴って回る。
思うように身体が動かないから、結構な時間が掛かってしまった。けど、自分の手でやり返したんだ。
皆は、ポカンとしたまま見守ってくれていた。止めるタイミングが無かっただけなんだろうけど。
僕は、最後にスバルさんを殴った。一発一発暴力を振るう度、胃の辺りがドクンドクンと熱くなる。
ちゃんと見ているはずなのに、意識が遠退いていくような、現実味のない感覚に陥るんだ。
そうして僕は、人を殴るのって手も心も痛むんだと知った。八千代をぶった時とは全く違う、重くて嫌な気持ちだ。
それを、皆は僕の為に何度繰り返してきたのだろう。そう思うと、一層心が痛んだ。
トドメをさし終え、僕はゆっくりと振り返る。こんな僕を、皆はどう思うのだろうか。
不安で押し潰されそうな心を奮い立たせ、僕は八千代と朔に向かって言う。
「ほら、見た? 僕、自分で仕返ししたから、もう八千代と朔が、手、痛めなくていいんだよ」
自分でも分かるほど震えた声で、息も絶え絶えに言う僕を見て、凜人さんは八千代と朔を解放した。
途端に、2人とも踵を返して僕を抱き締めに来る。それはもう、すっごい勢いで。
「わ、ぁ····」
2人は何も言わず、僕をきつく抱き締めて鼻を啜っている。
「八千代····朔······んへへ、八千代ぉ····朔ぅ····」
僕は、何度も何度も愛おしい2人の名前を呼んだ。ぶわっと溢れてくる安心感と、また2人に汚れ役を負わせてしまった罪悪感。
怖かったと泣き叫べば、皆を責めてしまうような気がして、僕は安心感で他の感情を全て誤魔化した。
「八千代····え? 八千代!? 血!」
八千代と朔を抱き返そうと、2人の背中に手を回した時、ぬちょっとした感覚があった。汗ではないような····。嫌な予感が心臓を鷲掴む。
恐る恐る見た僕の掌は真っ赤。慌てて見たら、八千代の後頭部が血で染っている。よくこんなので動いてたなってくらい、背中までぐっしょりじゃないか。
「心配すんな。お前に比べりゃどうってことねぇ」
「そっ、そんなわけないでしょ! ダメだよ、ね、八千代、ちゃんと手当して。お願い、死んじゃうよぉ」
あまりの出血量に焦り、堪えていた涙がボロボロと溢れてきた。
「わーったから泣くな。けど、後でな。とりあえずこっから撤退すんぞ。おい執事、アンタ1人で来たわけねぇよな」
僕の頭を撫でながら、八千代は凜人さんに訊ねる。頼もしくてカッコイイなんて、こんな状況で言えたセリフじゃないよね。
「はい。杉村様、他数名の方とそれ相応の支度をして最速で参りました。この後の処理につきましてはお任せください。皆様には、結人様のケアに専念していただきたく。今回ばかりは、朔様に手を出したゴミ虫どもに容赦を掛けられるか、お約束はできかねますが」
凜人さんは、害虫を見るような目で男たちを見下ろして言った。それだけに留まらず、リョーキさんの頭をゴリッと踏みつけちゃっている。
少し怖い顔で低音ボイスを響かせる凜人さんが、ヒットマンに見えたのはきっと僕だけじゃないはずだ。
凜人さんと八千代の言葉に従い、僕たちはぞろぞろと部屋を出る。歩けない僕は啓吾に抱えられ、ボロボロにやられた男たちをしっかりと目に焼き付けた。
悪夢の様な時間が、本当にこれで終わるんだと、僕はもう、二度と負けないんだと心に刻みながら。
部屋を出ると、廊下には杉村さんや組の人が何人か居て、僕を見ると顔を顰めて部屋へ入っていった。
この後、何がどうなるのかは聞かないでおこう。
重い空気の中、僕たちは少し離れた所に置いてあると言う車へ向かう。
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