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我慢してね

 僕は、八千代の優しさに甘えて泣いた。ぐしぐしと、小さな子供のように。抑えていた涙が溢れ出す。 「わーったよ。100人相手でもヨユーで守れるように鍛え直すわ」  八千代は、大きな手で僕の頭を撫でた。僕が言いたいのはそういう事じゃないんだけどな。  でも、出会った頃よりも柔らかく、無邪気な笑顔を見せる八千代に、僕は『うん』としか返せなかった。  そして、シャボン玉にでも触れるような手つきで、凄くやんわりと、それでいて頼もしく、僕の全てを包み込むように抱き締める八千代。  僕は、そんなにヤワじゃない。なんて、無粋なセリフは飲み込んだ。 「八千代、頭痛くないの?」 「多少な。けど、昔鉄パイプで殴られた時のが痛かったわ」 「鉄··パイプ····。うん、貴重な経験だよね。普通はしないもん。八千代の昔話聞いてると、ホントに生きててくれて良かったなって思うよ」  僕が溜め息を零しながらそう言うと、八千代は『ヨユーだわ』と言いケラッと笑った。 「い、一緒に寝る?」  自分でも驚いた。八千代の笑顔を見ていたら、思わず出てしまったんだ。驚いた八千代の顔に、僕は自分の言葉を振り返る。  マズイ。もじもじしながら上目遣いで、そう、まるで、りっくんに教えてもらった誘い方まんまじゃないか。  今日は、お互いゆっくり寝て身体を休めなくちゃいけないのに。そんなつもりは無かったのだけれど、えっちに誘うような言い方になってしまった。違うんだって言わなくちゃ。 「ぁんで疑問形なんだよ」 「え····や、えっと、僕で役に立つか分かんないけどね、ちょっとでも痛いのが紛れたら··って思ったんだ。でも、このベッドじゃ狭いよね。治るものも治らなくなっちゃ──え?」  僕がわたわた御託を並べていると、八千代はナースコールを押した。まだ()()()()つもりじゃないと言えていないけど、それどころではない。 「どどど、どうしたの? 頭痛い? 気持ち悪い? どっか変なの? やだぁ··八千代(やちぉ)、死にゃないでぇ····」  ぶわっと涙が溢れてくる。涙も気にならないほど、僕は焦って八千代抱きついた。  だって、何も言わずにナースコールを力一杯元気に連打するなんて、余程····って、力一杯元気に連打? 「あー、違ぇから。部屋替えてもらうだけな」 「····は?」  ボロボロ零れ落ちていたが、ピタッと止まってしまった。容態が悪くなったわけじゃないのは安心したけど、今度は違う心配が過る。  いくら融通が利くからって、そこまでの我儘が許されるはずなどない。いきなり部屋を替えろだなんて迷惑すぎるじゃないか。 『場野さん、どうされました?』  無線みたいな機械から、看護師さんの慌てた声が聞こえる。そりゃそうだ。あんなに連打したら何事かと思うよね。 「部屋替えてほしいんスけど」  そんな我儘がまかり通るはずなどない。怒られやしないだろうか。そう思った矢先、看護師さんは『はいはい、わかりました』と二つ返事で了承してくれた。  なんてこった、だ。場野家の権力とは如何程のものなのだろうか····。  3分も経たないうちに、コンコンコンとノックが響いた。そして、看護師さんではない感じの人が数名入ってきて、テキパキと僕たちの荷物をまとめる。場野家のお手伝いさん達らしい。  まさかまさかで、呆然としている間にあれよあれよとお引越しだ。 「え··えぇぇ····」  移動した部屋に入り、僕は愕然とした。  スイートルームみたいな部屋に、ふっかふかのキングサイズのベッド。うちのヤリ部屋のベッドと変わらない大きさだ。 「あのね八千代、さっきの言い方的に僕が悪いかもなんだけどね、そんなつもりじゃなくて····えっと、まさかと思うけど··、え、えっちシないよね?」  お手伝いさん達が退室するのを待ちきれず、僕は八千代に耳打ちをして聞いた。不敵な笑みを浮かべる八千代。 「だ、ダメだよ? さっきのはね、言葉通りの意味でね、本当に一緒に()()だけのつもりで····。そうだ! 八千代の怪我、動けたのが不思議なくらい酷いって、お医者さんが言ってたの聞こえてたんだからね」  八千代の診察の時、僕はりっくんと外で待たされていた。けれど、ドアに耳をくっつけて盗み聞きしたんだ。  僕の守り役だったりっくんは、僕を見て呆れた様子で『まぁ、現状知るのもいっか』と、僕に聞かせないという任務を放棄していた。りっくんが怒られちゃうから、この事は八千代に内緒なんだけど。 「知ってる。診察室出たらお前、泣きそうな顔してたもんな。わりぃ。けど、ンな痛くねぇし大丈夫だつったろ?」  八千代は、人目など気にせず僕の頬を持って、反対側の頬へ唇を這わせる。  傍から見たらきっと、目のやり場に困る甘い八千代だ。皆、あからさまに目を背けてくれているじゃないか。 「んえぇぇ····。だ、大丈夫でも大丈夫じゃないもん」 「ははっ、なんだそれ」  耳元で笑うなんて反則だ。顔は見えないし、耳が熱くなるし、冷静じゃいられなくなる。  お手伝いさん達が帰り、シンと静まり返った部屋にまた2人きり。突っ立っているのもアレなので、僕はひとつしかないベッドに座る。  なんだか、初めて八千代の家に行った時みたいな、変な緊張感があるのは何故だろう。  緊張して固まっている僕の隣に、八千代がゆっくり座った。特段何をするでもなく、いつもより遠慮がちに触れてくるだけ。腰を抱いたり、頬や耳へ指を這わせたり、僕が勝手に感じてビクビクしているだけ。それだけ、なんだ。  動く度、ギシッと軋む音が耳について落ち着かない。八千代は勃ってすらいないのに、バカな期待を拭えない僕は、既に先っちょが少しにゅるっとして気持ち悪い。 「や、八千代ぉ····」 「ンな顔すんな。お前が言ったんだろ、今日はシねぇって。傷口開いたらまたお前が泣くだろうが」  そう言って、額にキスをくれる八千代。いつになく穏やかで優しい。甘くて、蕩けてしまいそうなほど、僕の心を弱くする。 「····泣く」 「ふはっ····だろ? いや、なんだよ『泣く』って。可愛すぎんだろ··じゃねぇわ。アイツらにもクギ刺されてっからな。抜けがけすんなだの、結人の回復が最優先だのってよ」  呆れた様子で言う八千代。皆、八千代の回復力を知っているから、今夜にでも僕を清めてしまうと思ったのだろう。  そんな八千代も、僕の為ならある程度我慢が利くらしい。ある程度だけど。    そうして皆、僕を気遣ってくれているんだよね。いつもの事だけど、腫れ物に触れる風でもなく、ただ僕を大切にしてくれているだけなんだ。  だから、僕は必要以上に堕ちないでいられる。皆が、僕を切り捨てていないと分かるから。  だけど、今回はこれまでよりも傷が深い。僕だけでなく、皆もそうなのだろう。だって、これまでで1番酷かったんだもの。  それと、僕が八千代の言う()()()()に触れてしまったから。きっと、それが1番皆を困らせているんだ。  たとえあの場で八千代と朔を鎮める最善だったとしても、いくら啓吾がカッコ良かったと褒めてくれても、僕は皆を傷つけてしまった気がしてならない。  皆が守ってきた僕を、僕がこの手で壊してしまった。そんな気がするんだ。 「僕、間違えちゃったかな····」 「あ?」  つい、弱音を零してしまった。  僕はまだ、皆が守りたいと思う奥さんなのだろうか。もしも、僕が強くなりすぎたら、皆は嫌なのだろうか。  僕は、皆に愛される為にどうあるべきなのだろうか。  ぽつりぽつりと言葉を落とす僕の言葉を、一言一句聞き漏らさないように黙り込む八千代。僕が話し終えると、そっと肩を抱きグイッと引き寄せた。 「んゎっ····」 「そうやってくだんねぇコト考えんのやめろつってんだろうが。ったく、お前がどんなになっても愛してるって、何回言わせりゃ気ィ済むんだよ」  少し怒気を含んだ口調で言い放ち、頭に優しい口付けをしてくれる。それにしたってまったく、恥ずかしげもなく堂々と言ってくれるんだから。 「もし··だよ。もし僕が、ムキムキのマッチョになって、メンタルつよつよで可愛げがなくなっても?」 「ぶはっ····そりゃもう別人だな。まぁけど、メンタルはいまでも十分つよつよなんじゃねぇの? つぅか、どんなお前になっても本質は多分変わんねぇから心配すんな」  僕の本質とはなんだろう。非力で優柔不断で、巻き込まれ体質の迷惑製造機。今更すぎるけど、僕、見事な最低最悪じゃない?  この間、冬真に人間媚薬だなんてふたつ名をつけられたっけ。言った冬真は、猪瀬くんに凄く怒られてたけど。冬真曰く、僕は男を惑わせる小悪魔らしい。  失礼極まりないけど、あながち的外れでもないんだよね。誰も否定できなかったし。きっと、そういうコトなんだと思う。 「わ、笑わないでよぉ····。僕、皆に迷惑と心配ばっかりかけて、いつ愛想つかされてもおかしくないでしょ」 「····お前、それ以上しょうもねぇコト言ったら今すぐ犯して解らせんぞ」 「ひぅっ····」  どうやら、本当に怒らせてしまったらしい。耳元で囁かれたそれが、本気なのだと分かった。  僕は、八千代を見上げて謝る。けれど、謝りきる前にキスで唇を塞いでしまう八千代。 (······あ、これダメだ。押し倒されちゃうやつ··だ····)  八千代の我慢が利かなくなってきているんだ。マズイなぁ····。

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