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急な方向転換に····

 催した感覚で目が覚め、もたれ掛かっていた啓吾の肩から頭を持ち上げる。 「んー··、トイレ····」 「ン゙ッ♡♡ 赤ちゃん♡」 「むぅ····赤ちゃんじゃないも──わぁっ」  キュンキュンしてるりっくんにムッとして、フラつきながら立ち上がる。だけど、足に力が入らないから踏ん張れなくて、すぐにその場でへたり込んでしまった。 「も~、危ねぇからムリすんなって。足震えてんじゃん。俺が連れてったげるからおいで」  両手を広げる啓吾。僕は、その胸にぴょんと飛び込む。啓吾は、僕を沢山撫で回してから、お姫様抱っこでトイレへ運んでくれた。  トイレを済ませて戻る途中、喉が渇いたと言ったらキッチンへ向かってくれた啓吾。ヨタヨタと歩く僕を支え、自力で歩こうとする僕の意志を尊重してくれる。  出ていったきり戻らない2人のことも気になるのだろうと、僕の心を読み『探そっか』と言ってくれた。啓吾はいつだって、僕の心に寄り添ってくれる。本当に心強いや。 「しっ····結人、ちょっとそこしゃがんで」  キッチンに入る直前、何かに気付いた啓吾から指示が出た。僕たちはコソコソとキッチンに身を隠し、リビングから聞こえる話し声に耳を傾ける。  コーヒーの匂いが漂う中、聞こえるのは朔と八千代の声。 「お前、今日本当におかしいぞ? 大丈夫か?」 「····わかんね」 「俺で良かったら聞くぞ」  どうやら、朔が八千代の聞き役になってくれているらしい。八千代を担いで行ったものだから、てっきりどこかで揉めているんじゃないかと思って心配してたんだ。  2人は意外とよく話すんだ。仕事から帰った朔とコーヒーを飲みながら、小難しい話に花を咲かせている2人は凄くカッコよかった····じゃなくて、僕を安心させた。  2人とも、あまり自分からペラペラと話すタイプじゃないから、逆に気が合うのかもしれない。 「······結人の母さんに、一生守るって約束したのに、守れなかった」 「そうだな。俺たちだってそれは──」 「違ぇだろ。俺はアイツの傍に居たんだぞ。俺が死んでも守らなきゃなんねぇ状況だったんだよ! なのに····」  八千代の言葉が途切れると、コトッとマグカップを置く音が聞こえた。  置いたのはきっと朔だ。激情する八千代とは真逆で、いつも通りの静けさを保って話を聴いているのだろう。 「現場(アソコ)でボロボロのアイツ見た時、マジで心臓止まるかと思った」 「それは俺もだ。莉久と啓吾だってそうだろ」 「悪かった。莉久と啓吾にも謝んねぇとな。許されるとは思ってねぇけど、ああなったんは俺の所為だ」  八千代の弱音なんて初めて聞いた。とても苦しそうな声。どれほど自分を責めているのだろう。  涙ぐむ僕の肩を啓吾が静かに抱き寄せ、優しく頭を撫でてくれる。 「アイツにはお清めだとかいってっけど、」 「いつもとは違う····か。まぁ、アイツが悪かった事なんてないんだけどな」 「結局、大口ばっか叩いて守れてねぇんだよな。情けねぇ····」 「そんな事、結人の前で言ったら怒られるぞ」 「あー··だな。つぅかアイツ、自分がどうなろうと1回も俺らのこと責めねぇよな」 「あぁ。今回は流石に失望されたかと思ったけどな。来てくれてありがとうって言われた時、ちょっと泣きそうになっちまった」 「ハッ··、俺も。だからってワケじゃねぇけど、今回は優しくしてやてぇと思ってたんだけどなァ····」  今回は、いつものお清めと違う空気を感じていた。どこか、僕の気を紛らわせとうとしているような、そんな雰囲気があったんだ。  八千代が思い詰めているのも、何となく気づいていた。気丈に振る舞ってくれていたんだろうけれど、朔や僕ですら気がつくくらい、様子がおかしかったんだもの。  だけど、それを八千代にぶつけていいのか分からなかった。八千代は僕に弱音なんて聞かせないだろうし、僕が聞いちゃいけない気がしていたんだ。  僕は啓吾に抱きつき、声を殺してバレないように泣いた。 「一応言っとくけど、俺らもお前を責める気なんかねぇぞ。つっても、責めてんのはお前自身だよな」 「あぁ」 「言わなくてもわかってるだろうけど、あの怪我だぞ。歯食いしばってでも優しくしてやれよ。今にも壊しちまいそうで、見ててヒヤヒヤする」 「わりぃ。けど、アイツの痣とか見てっと色々込み上げてきて加減できねぇんだよ。つぅコトで、俺ァ今日はもう参戦しねぇから安心しろ」  なんてこっただ。満足して抱かないのならいい。だけど、僕の為に自分を押し殺して身を退くなんて許さないぞ!  僕は、キッチンからひょこっと顔を覗かせた。なんて声を掛けていいか分からないまま顔を出してしまったと、少しだけ後悔している。  しかめっつらで黙ったまま2人を見つめていると、不意にこっちを見た朔が僕に気付いた。ビクッと身体が跳ねた拍子に、持ち上げようとしていたマグカップが揺れてコーヒーが零れる。  朔に驚いた八千代が、朔の視線を追って僕を見つける。同じように身体を跳ねさせるものだから、面白くなって笑ってしまった。   「おま、なんで居んだよ····は? おい、いつからそこ居た?」  八千代が取り乱している。取り乱した八千代は、何故だか一旦コーヒーを啜った。それがもう面白くって、ツボに入ってしまった僕は床に蹲って笑う。  キッチンへ来た八千代へ、自分も居ましたと言わんばかりに啓吾が笑って手を振る。見るからに形相が鬼へと変貌していく八千代。  歯を食いしばって『(ぁに)してんだよ』と尋ねる八千代に、ここへ至るまでの経緯を啓吾が話した。その間に笑いの引いた僕から、加えて八千代が身を退こうとしている事への怒りも伝えた。 「お前の気持ちありがてぇけどな、このままヤッたら確実に壊すぞ」  いつもは壊す壊すと言うくせに、本当に壊す覚悟などでいていなかったという事だろうか。僕はいつだって、皆に壊される覚悟ができているのに。そういう事じゃないのかな。  怒りなのか悔しさなのか分からないけど、僕の中に嫌な感情がふつふつと湧いてくる。僕は、感情に任せすくっと立ち上がり、ヨタヨタと啓吾を跨いで八千代の目の前に立った。  僕から目を逸らし、伏し目がちになった八千代のTシャツを力一杯引っ張る。胸倉をグイッと引き寄せ、ぶつかるようなキスをして僕は言う。 「壊す覚悟があるんなら壊せばいいでしょ! だいたいね、そんな弱々っちぃ八千代になんか壊されないもん。僕だってね、八千代が思ってるより強くなってるんだから······ふーんだっ! 八千代のばぁぁぁか!!」  八千代は怒ったのか、言いたい放題言い放った僕を肩に担いでヤリ部屋へ向かう。何も言ってくれないの、本当に怖いんだけど。 「ひあぁっ!」  容赦なくベッドへ放り投げられた。 「八千代のばかぁ! ばかばかばぁぁぁか!」 「え、ちょ、ゆいぴ? どうしたの? 場野めっちゃ怒ってない? えぇ··ねぇ、何がどうなってんの?」  1人状況の読めないりっくんへ、後からついて来ていた啓吾が説明する。納得したりっくんは、僕のサンドウィッチを食べながら『ほへ~』と気のない返事をしていた。  さぁ、しっかり煽れたはずだし、いよいよ壊される時が来たんだ。僕は、ギュッと目を瞑って八千代に身を委ねる。  だけど、僕の予想に反して、馬乗りになった八千代はとても優しいキスをしてくれた。 「ん··ぁ··八千代?」 「壊さねぇよ。その代わり、デロデロに甘くシて蕩けさしてやっから覚悟しろ」  急なシフトチェンジについていけない僕。なのに、首筋に唇を這わせながら言う八千代の、甘い声に身体が疼く。 「ふぁっ··待っ、やぁっ····八千代、ねぇ、壊したいんじゃ、なかったの?」 「壊してぇよ。けどそれ以上に、大事にしてお前が幸せそうに笑ってんのが見てぇ」  そう言って、再び激しくないキスをする八千代。ゆっくりと舌を絡めて、脳が溶けてしまいそうなほど甘く甘く、こんなに執拗いキスは初めてだ。  様子の違う八千代にわずかな不安が過る。それなのに、こんなにも心が満たされているのは、苦しくなくても壊されなくても、酷く僕を求めている八千代の心が分かるから。    八千代は、初心に返っただけだと言う。そう言えば、付き合い始めた頃に言ってたよね。けど、どのタイミングで落ち着いたのだろう。担がれてここへ向かう最中なんて、啓吾が声を掛けられないくらい怒っている雰囲気だったのに。  そして、八千代の甘さに便乗した皆も、負けじと甘々モードに切り替わる。それからは、僕が蕩けて恥ずかしくて身悶えようが毛布に隠れようが、ひたすら王子様たちから甘々された。なるほど、天国と地獄って紙一重なんだね。  それが朝まで続き、流石にもうメンタルがぐしゃぐしゃになった僕は、泣きながらワケも分からず謝って許してもらった。

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