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全てが予想外なんて聞いてない
午前10時、駅前で冬真を待って30分が経った。時間通りに迎えに来てくれた冬真が、手を振りながら駆けてくる。
「おっはよ〜! ごめんごめん、待った?」
「おはよ、冬真。ううん、大丈夫だよ」
「30分待った。寒ぃからコーヒー奢りな」
ダウンジャケットのポッケに手を突っ込んで言う啓吾。心配だから送ると言って車を出してくれたのはいいんだけど、1人で待つと言ってもダメだと言って帰らなかったんだ。
けれど、冬真に缶コーヒーを買わせて僕のことを頼んだと言うと、すんなり帰っていった。
帰り際に、僕の頭を撫でて『落ち着いてやったら大丈夫だから、頑張れよ』と激励してくれた。
いつも僕の成長を見守ってくれる啓吾は、いつもこうして僕の欲しい言葉をくれる。けど、てっきりバイトが終わるまで待つとか言い出すんだと思っていたから、正直言うと拍子抜けだった。
僕は驚きつつも『頑張るね』と意気込んで、見えなくなるまで手を振って見送った。
「んじゃ行こっか」
「うん」
「昨日寝れた? つかあの後大丈夫だった? 場野と揉めたりしてねぇ?」
とっとと帰ってしまった割に心配してくれてたんだ。僕がふふっと笑うと、冬真は不思議そうな顔をした。
「大丈夫。八千代はね、今もすっごく機嫌悪いよ。帰ったら勝手に引き受けたこと怒られて、やめとけって遅くまで皆に説得されちゃった。けどね、朝には皆、頑張れって言って見送ってくれたんだ」
「へぇ····なんか気合い入ってんね。で、気合い入りすぎて寝れなかった感じ? それか、朝までお仕置されてた?」
冬真はにんまり笑って僕のマフラーを少し下ろすと、首筋に指を這わせた。もはや誰のつけたものか分からないキスマークが隙間から見えていたのだろう。
僕は、慌ててマフラーを口元まで上げた。
「お、お仕置じゃないもん! 考え直せって説得されてただけだもん」
顔がボッと熱くなる。冬真は『ふ〜ん』と含みを込めたように言って、またヤラシイ笑みを浮かべた。
「それって朝まで?」
「ううん。ちゃんと寝ないとダメだからって、2時には寝かせてくれたよ」
「じゃぁ何時に起きたの?」
「ろ、6時····」
「なるほどね、ンでそんなにクマできてんだ」
「えっと、実は──」
緊張で6時に目が覚めた僕は、一緒に起きた朔と朝食を食べながら『仕事の極意』を教えてもらった。だから大丈夫。
そう思うのに、時間が近づくにつれ手が震え始めて予定よりもかなり早く家を出てしまった。啓吾も呆れた顔をしていたけれど、落ち着かない僕の為に我儘を聞いてくれたのだ。
事情を話すと、冬真はお腹を抱えて笑い始めた。
「もう! いつまで笑ってんの?」
「んははっ····ごめんごめん。で、瀬古が教えてくれた仕事の極意って何? ぶはっ····」
朔が教えてくれた仕事の極意。それは、笑顔で挨拶と返事をする事だ。
僕が自信満々に言うと、冬真はしゃがみこんで笑って動けなくなってしまった。
「ひーっ、腹痛てぇ〜」
涙を浮かべている冬真。何がそんなに面白かったのだろう。
僕がキョトンとしていると、冬真は涙を指で拭って話し始めた。
「瀬古らしいっつぅか、ぽいわ〜。あのさ、それ極意でもなんでもないから。基本だよ、基本」
「えっ? そうなの? えぇ····どうしよう。僕、極意も分からないままお仕事ちゃんとできるかな····んー、どうして朔は基本を極意だなんて言って教えてくれたんだろ····あれ? もしかして僕、からかわれた? でも朔に限ってそんな事──」
僕がブツブツ言っていると、笑いのおさまった冬真は立ち上がってそれを止めた。
「ストップストップ。結人は考えすぎ! あー、まぁ····基本つったけど、ある意味極意かもよ?」
「どういうこと?」
「笑顔で受け応えすんのは当然なんだけど、できねぇ奴もいればやんない奴もいるし、イライラしてっとできねぇ時もあんの。それでも、仕事だからってちゃんとするってのはさ、ある意味極意なのかなぁって」
なるほどと僕は唸った。朔の言っていた事は、実は凄くハイレベルなことだったのかもしれない。そう思うと、途端に鼻が高くなってしまう。さすが朔だ。
僕たちは駄べりながらお店へ向かう。そして、冬真がここだと言って立ち止まった裏口の扉を見て、僕は固まってしまった。
『あなたの望みを叶える夢カフェ・アモリビティ』
紫のグラデーションが効いた背景に、どことなく色っぽい字体で書かれている。
冬真はそのボードが掛かった扉に手を伸ばす。どうやら、ここが目的地で間違いないらしい。
「変なこと聞くけどごめんね。いかがわしいお店じゃないよね?」
「あっはは、違う違う。けど、こんなん見たら不安になるよな。駿も最初おんなじコト言ってたわ。店長がかなりふざけた人でさ、コレもふざけて作ったんだよ」
そう言って、冬真は扉を開けて挨拶をした。僕も続いて『おはようございます』と挨拶をして中に入る。
すると、通路の奥から銀の長髪で派手な色シャツに真っ黒なスーツを着たおじさんが、競歩なのかなってくらいの物凄い速さでツカツカと近づいてきた。
「神谷くん! その子が言ってた助っ人? わぁーお♡ か、わ、い、い〜♡ ホントに男の子? めちゃくちゃタイプなんですけど〜」
その勢いのまま、僕はぽふっと抱き締められてしまった。何が起こったのか、理解が追いつかない。
「結人、その人が店長の鴨井 さん。勢いだけで生きてるみたいな人だから気ぃつけてな。あとそれ、スタッフ全員にやってる通過儀礼みたいなもんだから気にしなくていいよ。着替えるからこっちおいで。って、店長いつまでやってんだよ。セクハラだから離せって」
「あっは、ごめんね。お着替えできたら見せに来てね〜」
「は、はい······あ、えっと、はい、おはようございます!」
パニクって挨拶をしてしまった。
「はーい、おはようございます。ん〜、良い子そうだねぇ。おじさん、挨拶してもらえるだけで嬉しいよ。ありがとうね」
にっこりと微笑んでそう言った店長さん。ちょっと変わってるけど、悪い人ではなさそうだ。
僕は、冬真に案内されて更衣室へ入る。沢山の衣装があって、冬真はその中からグレーがかった水色のメイド服を持ってきた。
黒がいいと言ったら、僕にはこれが似合うと言って半ば強引に着せられてしまった。なんだか可愛すぎる気がするんだけどな。
冬真が選んだものを渋々着ると、皆に送るからと言って写真を撮られた。ポーズも決めて、何枚も何枚も、ちょっとえっちな感じのも撮られちゃった。
「ホントにそれ、皆に送るの? ね、えっちなのはやっぱり····」
「え? もう送ったよ」
「えぇっ!?」
あっけらかんという冬真。僕は、焦りと恥ずかしさを抱えて項垂れたまま、店長のもとへ案内された。
「神谷くん······君、天才なの? 僕もこの色だと思ってたんだよね〜」
「っス。じゃ、仕事教えてくるんで」
冬真は僕の肩を抱いて、くるっと方向転換しようとする。それを、店長さんが僕の手を引いて止めた。
「えぇ〜っ! 素っ気なくない? 店長、泣いちゃうよ?」
「だってアンタに付き合ってたら長いんスもん。あと20分で開店だし、結人ドジっ子だからちゃんと教えてあげないと危ねぇんだけど」
「この子ドジっ子なの!? ぐはっ······心臓持ってかれた······」
店長さんは、ワイシャツの胸元をクシャクシャに握り締めて言った。
「はいはい。何個目の心臓だよ、ったく····」
冬真は慣れた様子で店長さんをあしらい、僕を連れてフロアに出た。何人かスタッフの人がいたので、僕は皆さんに元気よく挨拶をする。
「おっ、おはようございます! 今日一日、一緒にお仕事をさせていただく武居結人です。大学2年生です。よろしくお願いします!」
噛まずに言えて、ぺこっとお辞儀までできた。第一関門は突破できた気がする。
「え、冬真····女の子はマズくねぇ? 今日返してあげらんないじゃん」
「てかさ、うち男だけってルールでしょ。それにその子、中学····いや、高校生? 仕事できるの? ねぇ、店長いないの? あ、いや、さっき騒いでたな。会ってないの?」
「待って待って、お前ら聞いてた? 名前、結人つったよ? 同い年だし。こんな可愛いけど男だから」
ほらと言って、スカートをペラッと捲って見せる冬真。
「は? いや女子じゃん」
「え?」
冬真がスカートの中を確認する。そう、女物の下着なのだ。
「だ、だってぇ····朔が『ちゃんと気持ちを作るためには女物の方がいいんじゃないか』って言ったんだもん。僕は嫌だって言ったのに······」
極意と一緒に伝授されたのだ。バイトを成功させるためだと思い、意を決して履いてきた白いレースのパンティ。
まさか、見られるなんて思ってなかったんだもん。
予想外の展開に、耐えきれず涙が浮かぶ。
「冬真、とりまセクハラやめたげな? 泣きそうになってんじゃん」
「え、わっ、ごめん!」
「で、結局その子、男なの? 女なの?」
「だから男だって! なぁ結人、コイツらが信じないのも無理ないくらい可愛いからさ、ちんこ見せる?」
そう言いながら、冬真は指先で僕のおちんちんをふにっとつついた。小さな膨らみに気づいて、2人が『あぁ····』と納得したように声を漏らす。
「見せないよ! 冬真のばかぁっ!」
僕は冬真の肩をペシッと叩いて怒った。全てが予想外すぎる、波乱の幕開けだ。
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