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第4話 河野が! 親切だなんて!

 なんだか、お正月の過ごし方がいつもと違っていたせいか、仕事始めからソワソワしてしまう。  いつもは自宅でゆっくり過ごすから。  お正月に実家へ帰るのを控えるようになってどのくらいになるんだろう。  もう数年、そのタイミングで実家へと挨拶に出向くことをやめてしまっている。疎遠、というわけではないけれど、あの、お正月にどっと押し寄せるようにやってくる親戚一同の勢いがとても苦手で――。  義君がいれば、だいぶ大丈夫にはなるのだけれど、今年も義君はお正月の間、海外に買付を兼ねた旅行に行ってしまっていたし。  だから、僕は、今年も例年通り、仕事多忙なため挨拶は行けそうもありませんと言って、自宅でゆっくり一人今年の健康を祈るくらいで終えるはずだった。  のだけれど――久我山さんと聡衣君、それから河野さん。四人で過ごすなんて思いもしなかったから。 「このまま管理室の方へ持っていけばいいのかしら」 「た、多分、あ、針金くらいは抜いてきます?」 「んー……そうねぇ」  事務所の女性スタッフ二人が腕組みをしていた。 「あの、どうかしましたか?」 「あ、蒲田さん、この胡蝶蘭、花がもう上の方萎れてきてしまって……見栄えが悪いかなと、どうしましょうって話してたんです」 「あ、お嬢様の……」 「えぇ、もう大分長く咲いてましたし」  それは先生のお嬢様のご婚約が決まった時にいただいた胡蝶蘭だった。その時はあまりの花ぶりにみんな驚いて写真に撮っていたりしたけれど、もう上半分は花が落ちてしまった。心細そうに、項垂れるようにその枝先に花をつけているだけになっていた。 「去年の……」 「えぇ、なので」 「あ、あの。じゃあっ」  僕の出した、ちょっと慌ててしまったせいで甲高くなった声に、女性スタッフ二人は目を丸くしていた。 「よっと……おとと……」  大丈夫かな。 「あわわ」  こんなに大きなもの持ったまま電車には乗れない、かな。やっぱりタクシー呼ぼうかな。 「あわっ」  こんな立派な胡蝶蘭。  その大きな白い大輪の花が枝先で、僕の歩調に合わせてゆらりゆらりって揺れている。  処分するのかわいそうで、持って帰ると言ってしまった。こんなに大きなものを? って顔をされてしまったけれど、でもまだ葉っぱが緑色をしているから、きっと生きてるでしょう? それを処分してしまうのは可哀想だと思ったんだ。  確かに、抱えると、ものすごい重くて大きくて。 「はわっ」  かさばるけれど。 「うーん」  どうやって持って帰るかまでは考えてなかったな。  宅配とかを依頼すればよかったかな。  でもそもそも宅配可能なのかな。箱、この胡蝶蘭を届けていただいた時の箱なんてもう処分してしまったし。  けれどこれを持って電車に乗るのは、やっぱり、うん……駅員さんに止められそうだ。  遅い時間で平日だから、他の乗客の邪魔にはならなそうだけれど、でも、だめだよね。邪魔にならなくて目立ってしまう。何よりみんなの視線が集まりそうで恥ずかしい。  どうしようかな。 「胡蝶蘭のお化けかと思った」 「! は、はわあああああ」  議員会館にはもうそんなに人はいないものだと思っていた。  でないとこんなに大きな胡蝶蘭を抱えて廊下を歩けない。なのに、突然前方から声が聞こえてきて、思わず、こんな場所で警備員の方が飛んできてしまいそうな大きな声で叫んでしまった。 「その声、蒲田じゃん」 「へ? その声、は……どちら様……」 「はぁ? お前」 「あ、河野さん」  その「はぁ?」でわかった。すごーくイヤそうな「はぁ?」のイントネーションと声で。 「何してんの? 花屋に転職?」 「ちが、違いますっ、わっ……わわっ、これを自宅に持って帰ろうと」  話す度に花が揺れて、それに重くて。 「それ持ってタクシー乗るのか? それタクシー乗車拒否されるんじゃない? 花粉云々で。電車は……ありえないし」  え? やっぱりダメでしょうか。いや、恥ずかしいから電車は極力避けたいんですけれど、でもタクシーつかまるかな。僕、そういう時、とてもとっても運が悪くてちっともタクシーをつかまえられなくて。  もしかして僕って透明人間ですか? と尋ねたくなるくらい、本当にタクシーに素通りされてしまうから。ひどい時なんて、僕が手を上げたところで止まらずに、そこから五メートルほど後方で別の方の挙手にタクシーが停まったなんてこともあったりで。先生をお見送りする時もちっとも止まってもらえず、挙句、先生に手を挙げさせてしまったことが二度三度と……。おかげでそういう場合のタクシーは必ず電話で呼ぶようになってしまって。少々お待たせしてしまうっていう。 「す、すみませんっ、あの、それでは挨拶の途中なのですが、こちらで失礼を」 「あぁ」 「あわっ」  通り過ぎる際にお辞儀をしようとしただけで枝がまた揺れて、慌ててしまう。 「平気? 歩いて帰るとか? 根性あるなぁ」  陶器の鉢がとても重くて、もう腕がプルプルしてきた。落とすわけに行かないし、そもそもこれを一度持ってしまった以上、地面に置くっていうのは僕の腰がポキリと折れてしまいそうで。  とにかく立ち話とかしている間も惜しいくらいなので。本当に。 「そ、それではっ」  お。 「失礼しますっ」  重い。 「車で送ってやろうか?」  へ? 「車。俺、今日、たまたまここに車で来てるから」 「……」 「乗せてやるよ」  振り返ると、その拍子に胡蝶蘭のお花がぶらーんと揺れた。 「ぅ、わっ」  ぶらーんと揺れて、その遠心力と、もうそろそろ限界にぷるぷるしてきた腕に胡蝶蘭の植木鉢が。 「タダで」 「えぇぇぇ?」  けれど、植木鉢は落っこちることはなかった。 「はぁ? そんなに驚くとか失礼だな」  でも、驚いてしまう。だって、僕があんなに苦労した植木鉢を軽々と持ってしまうから。 「ほら、早く来いよ」  だって、あの河野さんが少し親切で。 「あ、あのっ! 駐車場は逆です!」  ちょっとうっかり忘れてたらしくて。 「知ってるっつうの」  そのことを僕に知られ、とても罰の悪そうな顔をするから、なんだか、とても、とっても意外過ぎて驚いてしまったんだ。

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