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第6話 その件について

「わ、大きい……」  部屋に持ち帰ってみると思ってた以上に大きくて、置こうと思っていた背の低いキャビネットの上では勿体無ぃほどの存在感だった。  事務室ではここまで大きく感じなかったのに。 「すごい」  よかった。上の方は萎れて落ちてしまったけれど下半分、まだ真っ白で大きな胡蝶蘭の花は河野さんのおかげで一つもその花びらも折れることなく綺麗なまま咲いている。 「名刺……」  河野さんの連絡先をいただいてしまった。  仕事用の携帯番号だろうか。ここにかける……のかな。  星って言ってたけれど。  社交辞令?  ――無能な奴らにニコニコしてやるのは大嫌いだから。 「……社交辞令、じゃない……のかな」  彼はそんなことしないか。  でも、そうなるとむしろこのお話自体の対処法がわからなくなってしまう。社交辞令ではないなら、じゃあ、なぜ僕を? 親しくもないし。無能…………ではないと思いたいけれど、でも。 「……うーん。じゃあなんでだろう」  そう呟いたところで、返事があるわけでもなく、さっきまであんなに忙しなく揺れていた胡蝶蘭も、今はもう「はい。ここが新たな居場所なのね」といっているかのようにお辞儀をした格好で落ち着いてしまっていた。  とりあえず、今日、車で送っていただいたお礼はしなくちゃ。  その時にもしかしたら星を見に行くとかのお話もできるかもしれない。そして、仕事関係でいただいた名刺ブックに河野さんの名刺を入れるかどうかでまた迷って。  仕事関係の方であるような、ないような。  でも、仕事での繋がりが皆無ではない。  ただ、直接関わることがないわけで、いただいたタイミングもプライベートだし、仕事でこの名刺ブックを誰かが目にしたとして、河野さんの名前をもしも、万が一にも見つけたら、何か繋がりが? と思われてしまうのもあまり好ましくないし。 「うーん」  彼に対して、一つ一つ、戸惑ってしまうなと思いながら、とりあえずその名刺は自分のスマホケースの中にそっと忍ばせておくことにした。 「はい。資料の方を、ありがとうございます。それではまた確認でき次第こちらからご連絡をいたします。失礼いたします」  電話の向こうに見えるわけでもないのに、頭を下げて、先方が電話を切ったことを確認してから、そっとスマホの通話を切った。  これで資料の方は揃うから、揃ったら今度はまとめて、それから先生に目を通していただこう。スケジュール管理の方は……そうだ。会合を一つ欠席するって、あとは――。 「忙しそうだね」 「!」 「よ」  事務室の扉のところにはとても珍しいお客様がいて。  僕はびっくりして声も出なくて、ただ、口を開けて見つめてしまうと、その顔に小さく笑ってる。  河野さん。  僕を見て、その顔、ポカンって、有能秘書とは思えないと。 「あ、あのっ、この間はありがとうございました。お礼を」 「いや、いーよ。別に、ついでだったし。恩売っといただけだし」 「……」 「なんて、冗談だよ。ここの先生、そういうコネとか根回しとか、あんましないでしょ」  彼の「恩を売る」という発言に僕は少し驚いた。  だって、この方はそういう「恩」を売るなんてこと妙な計算しなさそうっていうか……あまり人に好かれる方ではないかもしれないけれど。すぐに怒ったような顔をしてしまう方だし。歯に衣……がとても苦手は人なようでトラブルというか、あまり人から心象良く思われない方だと思うけれど。でも「姑息」なことはしない方だと思う。  僕に河野さんが良くしてくださったとしても、それが先生に影響することはない。うちの先生は仕事に対してとても真摯な方だから、僕に親切にしてくださった方だからと、仕事面で河野さんに特別な配慮をしたりはしない。公私混同をとても嫌う方だ。娘さんに関してだけは仕事ではなく「お父様」の顔になってしまうけれど、だから、つまり、この方が出世のために「姑息」なことをするとしたら、あんな小さな親切だったり、対象を僕にすることはなくて、もっと先生にダイレクトにアクションを起こすと思うし。  じゃあ、どうして親切に? 「っぷ、あはははは」  突然の笑い声に驚いてしまった。 「あ、あの、河野さん?」 「いや、蒲田って面白いな」 「?」 「ものすごく色々考えすぎて、訳わかんなくなってそう」 「?」  今、僕は河野さんが大笑いするほどの面白いことを言えたのだろうか。いや、言えてないと。 「なぁ、今週末、暇?」  思うんだけど。 「星、この前、見に行くって行ってたろ? もしよかったら一緒に行かないか?」 「……」 「すげぇ、所だから。帰りは夜中になるけど」 「ぁ……えと」  その件について、どうしようかなってずっと思ってたんだ。僕の連絡先は教えてないから、僕からアクションを起こさないとその件は進まなくて。でも、対応をどうするべきかわからないから、ずっと考えていた。  社交辞令ではないのなら、どうしてそんなプライベートに誘ってもらえたのだろうかと。  行きたいけれど、本当に連絡をしていいものだろうかと。  星を見に行ってみたいけれど。 「……はい。ぜひ……宜しくお願いします」  そう、ずっと、考えていた。

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