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第9話 美味しいご飯とは
なんだか……なんというか味が違っていた。
醤油、塩、味噌、豚骨。
「…………同じ醤油…………ゆ?」
剥がしきらず、カップの端にくっつけている蓋をもう一度確認したけれど、同じメーカー……同じ醤油味……。
「カップと袋の…………差?」
でも違ったんだ。確かにとてもとっても美味しかった。あんなに美味しいラーメンは初めて食べたかもしれないと感動すらした。
それなのに、やっぱり今日、ここで食べたカップラーメンはそんなに美味しいものではなくて……むしろ、味気なくて。
「うーん……」
「君はまたこんな時間にそんな物を食べていたら、身体がもたないだろう?」
「! せ、先生っ!」
慌てて立ち上がり、その手にカップラーメンなんてものを持っている無礼な不格好さに、また慌てて、そのカップラーメンを休憩室のソファーに置いた。もちろん、お箸も。
「失礼しましたっ」
今日は先生は会食の後、お帰りになられたはず。運転手の方にもそのスケジュールで伝えてある……はず、なのに。
「いやいや、むしろそんな食事で済ませてしまうほどこんな時間まで仕事をさせてしまって申し訳ない」
「いえっ、これはっ僕がっ」
今日は忙しかったから。先生も外出が続いていたからその同行もあって、上がってきた報告書、資料、情報のまとめをする時間があまりなくて。だから、この時間になってしまったけれど、それだってもっと上手な方だったら、もっともっと上手に時間を使って仕事を。
「私も大昔はよく夕食なんてそっちのけで仕事していたな」
「……はい」
昔のことを思い出されたのか、先生は目を細めて、視線を僕よりもずっと向こうのほうへと向ける。
「君にはとても助けられてるよ」
「と、とんでもございませんっ」
「そうだ。胡蝶蘭は元気かな? あの時もありがたいよ。捨ててしまうのはもったいないと思っていたからね」
この方のこういう些細な気遣いがすごいなと思う。胡蝶蘭なんて今ままで何度もいただいたことがあるだろう。仕事も多忙だ。そんな草木一つ一つを気にかけてあげるような時間なんてないくらいなのに。
「あれはとても難しい植物でね」
「はい」
水を上げ過ぎると枯れてしまうんだよと教えてくれた。中に苔のようなものがあるだろう? あれが濡れている、湿っているうちは水をあげないこと。溢れるくらいに水をあげてしまうのはダメなのだと。奥様が、先生の奥様がいただいた胡蝶蘭を何度か、数年咲かせ続けたことがあると、優しく微笑んでくださる。何度もお会いしたことがあるけれど、政治家の奥様とは思えないほど柔らかい物腰で、おっとりとした方だった。先生も政治家、と呼ぶにはとても優しい方で。だからこそ、僕もこの仕事に就けてよかったと心から思える。
「蒲田君」
「は、はいっ」
「ほら、そんな気難しい胡蝶蘭がきっとうちで君の帰りを待ってるだろう? こんなところでカップラーメンを食べてないで、早く帰るといい」
「はいっ」
頭を下げて、ソファに置いていたカップを手に取った。
「それから」
「……はい!」
「食べるならデスクで食べていいよ。なんなら、僕のデスクで食べるといい。あそこでなら少しは美味しく感じるかもしれないよ?」
「……ぇ?」
「難しい顔で食べていたからね。もう少し美味しそうに食べられるご飯を食べなさい。それじゃあ、お疲れ様。残務は明日するように。それでも間に合わなければ、明日、他のスタッフに手伝わせるから」
自分のデスクでは食べられないから休憩室のベンチの端を借りて食べていた。
「それじゃあね」
「……はい」
ラーメンの匂いが事務室についてしまってはいけないと思ってここで食べていた。
けれど、もちろんしないけれど、でも、もし先生のデスクで食べていたら美味しく感じるのだろうか。むしろ罪悪感で味なんてわからなく――。
「あぁ、あと、蒲田君」
「は、はいっっっ!」
もうお帰りになられたとばかり思っていた先生が廊下の角からひょっこり顔を出して僕は背中に針金でも通ったかもしれないくらい、ピーンと背中を伸ばした。
「もう一つ、カップラーメンを美味しく食べる方法があるんだ」
「は、はいっ」
なんだろう。先生のデスクで食べる以外に、美味しく食べる方法。
「………………」
な。
「………………」
なんでしょう。
「…………でもそれは自分で見つけなさい」
「は、はい!」
教えてもらえなかった。
「それじゃあね。本当に帰りなさいね」
「はい!」
そして先生はにっこりと笑って、今度こそ革靴の小気味いい音をさせながら帰られた。
「…………自分で……」
別にカップラーメン研究員になりたいわけでもないし、カップラーメンを美味しく食べる方法が今後のこの国にとって大事なことになるのかというとそんなわけはなくて。
けれど、やっぱりどうして美味しいインスタントラーメン醤油味と味気ないインスタントラーメン醤油味があるのは、その理由は知りたい。
そのくらい味が違っていたから。
本当に。
「…………うーん」
また食べたいと思えるくらいに、美味しかったから。
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