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第13話 まだ蕾
胡蝶蘭はそんなにお水をあげなくていいって先生が仰っていた通り、水は苔がパサパサに乾いてからあげるようにしている。
でもやっぱり難しそう。
枯れてしまわないのかな。
僕も仕事柄、胡蝶蘭をプレゼント手配したことがあるけれど、何万円もするし、賞を獲った方の花となると、その値段はまたとても高くなっていたから。
花、咲かないかな。
花、咲かせたいな。
不思議な植物だ。茎だと思っていたのは根っこだし、その根っこがぎゅっとひとつの塊のようになって、植木鉢の中に収まっている。土はなさそうな感じがした。
調べてみると野生の胡蝶蘭も根が剥き出しのまま生息しているらしい。
花はとても長持ちで、いただいてからもうかなり日にちは経っているのに、まだ全て綺麗に真っ白な花びらを翼のように広げて咲いていた。
咲かせてみたいんだ。
気難しくて、なかなか簡単には咲いてくれなくて。
僕はあの花を――。
――あら、もうこっちの株はダメみたい。
――本当ですね。
それは以前にも同じように胡蝶蘭をいただいた時、事務室の女性スタッフたちの会話。一つはまだ綺麗な花を咲かせていたけれど、三つの株のうち、一つは小ぶりな花を少しつけただけで、その花も早々に萎れてしまった。もうそのあとはいくつかついていた葉も黄色く枯れてしまって。ついには処分されてしまったんだ。
たまに、ある。
お花でも観葉植物でも、同じ場所で育って、同じだけ水をあげて、同じ日差しを浴びているのに、すくすくと葉を伸ばすのもあれば、どうしてか花を咲かせられない株もある。
花が咲いても、枝が曲がっていたり、葉が少なかったり、不格好になってしまう場合だってある。
そんな株を見ると、なんだか僕は――。
『次は……次は……』
そこで目的の駅の名前が車内にアナウンスされた。
降りなくちゃ。
アナウンスの通り、開くドアの方へと向かった。
外、寒いかな。
二月の始め、まだ寒さはとても厳しくて、帰りなどは寒くて寒くてたまらないけれど、日中の日差しは柔らかで心地良い。
今日は特に暖かくなるって言っていたけれど、どうかな。
休日運行の電車の外へと視線をやると、柔らかい空色にほんのりと薄い白色の雲がまばらに散らばっていて、帰宅時間に見る同じ車窓からの景色とは思えないほどだった。
「……」
目的地は、最近出来たと話題のチョコレート専門店。
「えっと……南口の……」
チョコレート、買おうと思って。
スマホでルートを確認してから矢印に促されながら歩き出す。
河野さん、甘いの大丈夫かな。
チョコレートなんてたくさんもらうだろうし。
でも、今から向かうチョコレート専門店のは甘くないと言っていた。コクがあって、男性でもたくさん食べられてしまうくらいだって。それなら河野さんでも大丈夫かなと考えた。
たくさんもらうだろうチョコレートの中に紛れ込ませてもらえるかなって。
たくさん迷って、考えて、ご迷惑かもしれないけれど、でも、アウトドアのことで色々教わったから、胡蝶蘭を抱えていた時に車で送ってもらったお礼もまだしてないのだから、そのお礼を兼ねて。
渡そうかなって。
それならば不自然なところはない……はず。
多分。
「……あ、あそこ?」
気軽に「バレンタインが近かったので」なんて言いながら渡せるかなって。
そう思ったんだ。
駅からは歩いて十分くらいだっただろうか。ナビを手がかりに不慣れな道を進むから、もう少し遠く感じられたけれど。
お店のある場所は遠くからでもすぐにわかった。そこだけ集中して人が多かったから。
買えるかな。混雑してそうだ。
路上に溢れるほどの人がいる中で。
負けずに手を伸ばせるかな。
でも――。
「よし」
そこで深呼吸をして、人の渦の中へと意を決して飛び込んだ。
「わ、ぁ、すみませんっ」
人が、すごい。
「わっ、ごめんなさい」
お目当てのはネットで調べてある。一番カカオの配合割合が高いもの
それを人だかりの隙間から見えるディスプレイで確認をして。
「…………ぇ?」
その時だった。
あれは、彼だ。
「……」
すごいたくさんのお客さんの中、男性はあまり見かけないから目を引く、というのもあるけれど、それだけが理由ではなく、とても目立っている。
綺麗だったから。
チョコレートを選ぶ横顔が綺麗だったから。
彼の様子に見惚れいてたら、向こうが僕に気がついてしまって、そのとても幸せそうな横顔がふと、こっちへ視線を向ける。
なんというか。
「…………ここで何してるんですか? 俺は、チョコを買いに」
彼へ、のチョコなんだろう。
好きな人へ渡すチョコを買いに来たんだろう。
「あ! わ、私はっ別に」
なんだか、違うんだ。
「おっとっと、そこ危ないよ? すごい人」
気がつくと、背後にたくさんの人が行き交っていて、一歩でも後退りしてしまえば激突しかねない。その寸前のところで聡衣君に助けてもらった。
大丈夫?
そう尋ねられて、コクンと頷く。
「……あの、そちらは久我山さんに」
「ぇ? あ、うん」
そうか。だからあんなに綺麗なんだ。
なんて言ったらいいんだろう。
その横顔は、振り向く時から、もうまばたきひとつほどの些細な仕草すらも、とても綺麗だった。
そんな聡衣君の仕草、表情、その返事の声の柔らかさ、それらは僕にはひとつもないもの。
恋をしている人はこんなに綺麗になれるんだって、驚いて、そして、とても羨ましいと思った。
僕も。
「じゃあ、ちょっとあれですね……」
でも無理かな。
無理、だよね。
僕には出来ない表情だ。だって彼らは恋人同士なんだもの。僕とは違う。
「失礼しました。それじゃあ」
「えっ、えぇ? ちょ、ちょっと待って」
僕は完全な片想い。
「誰かにあげるんでしょ?」
だから、僕にはあの表情はできそうもないと俯きかけた僕の腕を聡衣君が掴んで、大きな声でそう尋ねた。
誰かに。
特別なチョコレートをあげるんでしょう? と、尋ねた。
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