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第14話 恋の表情

 久我山さんにあげるのだろうチョコレートを選ぶ彼と向かい合った途端、急に僕には場違いな場所に思えた。  あんなに好き合っている久我山さんと聡衣君、その彼ら用のバレンタインチョコレートと同じものを、僕が河野さんに渡すなんて、ちょっと場違いなんじゃない? そう心のどこかから言われてしまったような気がした。  心のどこかで、のぼせてるでしょう? と諭すように、呆れたように笑う声が聞こえた気がして、その場を慌てて立ち去ろうとした。 「誰かにあげるんでしょ?」  けれど、その手を聡衣君がぎゅっと捕まえてしまった。  この混雑した店内ではそれを振り解くこともできそうにない。 「は、はい? なんでっ」 「ちょっと本命感すごい感じだとあげにくいけど」  本命、なんて、そんなことを言われて、頬が一瞬で熱くなった。 「あげたい人がいるんでしょ? 国見さんとか大先生とかじゃなくて」 「わ、私は何もっ」  どうしよう。 「一緒に選ぼうよ」 「!」 「ジャンル違うけど、でも、こういうの一緒に選ぶの俺、すごい得意だからっ」 「!」  どうしよう。  どうしたら。  何に困っているのかわからないけれど、その戸惑いの言葉が頭いっぱいに走り回ってる。  とても困っていたところだから。  だって、僕はこういう自分の気持ちを誰かに打ち開けたことが一度もないもの。聡衣君みたいには到底なれないもの。  でも、今回はあげたいって思って。  けれど、河野さんには迷惑かもしれなくて。  でも、ここのチョコレートなら食べてくれるかもしれなくて。  チョコレートなんてたくさんもらうだろうと思う、と、差し出そうとした気持ちが萎れて項垂れてしまう。  そう思ったのに、今度は、そのたくさんのチョコレートの中に紛れ込ませられるかもしれないとも思ってしまう。  どっちでもあって、どっちでもないような気持ち。  ただ、渡したい。  ただ、僕は。 「…………お」  あの人に何かしてあげたい。  あの人にちょっとでいいから、本当にちょっとのちょっとでかまわないから。 「お願い、します」  ありがとうって言ってもらえるようなことが。 「……します」  したい。 「………………」  声が小さすぎたかもしれない。  顔が燃えてるみたいに熱くてたまらなかったら俯いてしまって、彼には聞こえなかったのかもしれない。  もしかしたら、本当に頼んだのかと、図々しいと、そう思われたかもしrない。  だって、無言。  やっぱり、遠慮すればよかったのかも。  何も返事が。 「あ、あ、あのっやっぱり、いいで、」 「あっちに行こう! ここのじゃなくてさ!」 「へ?」 「あ、あの」  手、今度は引っ張られて。 「あのっ」 「男の人でしょ? なんとなくだけど、いや、女の人でも別にいーけど、カカオの純度高いのって美容にもいいし」 「あ、あの、僕も」 「?」 「僕もっ、そのチョコレート探してて……」  純度の高いチョコレート。それを探してた。  それなら甘くないから大丈夫かなって。けれど、甘くないのが苦手ならどうしようかなって。 「!」 「わっ」  その時だった。  ふわりと香った、甘い香り。  その香りに僕は足を止めて、聡衣君は急にブレーキをかけられて小さく声をあげた。  チョコレート専門店だよね? と首を傾げたくなるほど、甘酸っぱくて、頬の内側がキュッとなる香りが鼻先を掠めた。 「いかがですか? おひとつ」  試食、できるんだ。  カウンター越しに店員の女性が小さなかごを僕らの方へと差し出した。 「国産のラズベリーソースを使っているんです」  とてもいい香り。 「ぜひ一粒」 「わ。いーんですか?」 「ぜひぜひ」  聡衣君がぴょんと跳ねて、そのカウンターの前へ僕の手を掴んだまま近寄った。寄るとその香りはもっと強くなって、鼻先にまるでもぎたてのラズベリーを置かれているみたい。 「カカオの純度はすごく高いのでちょっと苦いんですけど、中のラズベリーソースがそれを緩和してて、すっごく美味しいんです」 「…………ん、ホントだ! これ、すっごい美味しい。蒲田さんもっ」 「い、いただきます」  一粒、おずおずと指で摘んで、口に入れると。 「……!」  ダークチョコの苦さが口の中に広がったと思ったら、次の瞬間、甘くて酸っぱくて、頬の内側から喉奥の辺りまで爽やかな甘さが広がる。 「……美味しい」 「わ、ありがとうございます」  思わず感想がぽろりと口から出たら、店員の女性がにっこりと笑っていた。  美味しい。すごく。  カカオのコクのある苦味と果物だからこその甘酸っぱさがすごくすごく合っていた。これなら甘いのが苦手でも大丈夫だし。甘いのが好きな人でも喜んでもらえそう。  これなら……河野さん、食べてくれるかな。 「あ、じゃあ、これ、ひとつ、えっと……十五粒入りの」 「はい」  一つだけお願いすると、店員さんがすでにラッピングされていた箱をカウンターからひとつ出して、赤紫の鮮やかなリボンの形を整えてくれた。  丸みを整えられた赤紫のリボンはまるで花びらみたい。ダークブラウンのラッピングカバーの上で鮮やかなお花みたいに見えてくる。 「美味しかったね」 「……はい」  とても、すごく美味しかった。河野さんも――。 「甘いの好きだといいんですが……」  食べてくれたらいいのだけれど。 「…………チョコ」  もらってもらえたら、とても嬉しいなって。 「…………蒲田さん」 「! す、すみませんっ、あのっ久我山さんへのチョコレートですよねっ、僕、買い物の邪魔しちゃって」 「ううん。いいよ。全然」  そちらの方が大事な用件なのに、僕の方が先に買ってしまった。 「喜んでもらえるよ」  ちょうどそこで店員の女性が同じダークブラウンの紙袋に入れて持ってきてくれた。 「ハッピーバレンタイン、お待たせしました」  ハッピー。 「喜んでもらえるよ」  ドキドキする。 「そ、ぅだといいのですが」  バレンタイン。  生まれて初めて、好きな人にチョコレートを渡すのだと思ったら、とても胸のところがギュギュッと締め付けられて、ドキドキして、咄嗟にそのチョコを抱き締めた。  彼に喜んでもらえるだろうかと願いながら、そのチョコレートを。 「……」  ぎゅっと胸に抱え込んだ。

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