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第18話 花が咲いたら
きっとあの人は恋人なんだろう。
河野さんが待ってくれと引き留めたあの女性は
美男美女だと思うし。喧嘩でもしていたのかな。彼女の方は泣いているようにも見えたけれど、河野さんの言葉に足を止めて、彼の話しに耳を傾けていたら次第に、俯いてしまった。その俯いた彼女の頭を優しく河野さんが。
ぽん。
ぽん。
そうゆっくり手で、してあげると、とても落ち着いたように見えた。
あのあと仲直りとかしたんじゃないかな。それはとってもいいことだ。うん。喧嘩は良くないから、仲直りができたのならとてもいいと思う。僕も河野さんが笑っている方がいい。うん。そっちの方が断然いい。
「胡蝶蘭は元気にしている?」
「! は、はいっ」
「……そうか」
先生はデスクにリラックスした姿勢で座りながらこっちへ視線を向けた。
今日はいつもに比べるとゆっくりとした一日。
来客もなかったし、会合等もなく、一日デスクで資料や書類の片付けを淡々とできていた。
僕がそんな一日の時は、もちろん先生もそんな一日になるわけで。何か書物を読んでいらっしゃるようだったから声はかけずにそっとしていたところだった。
そして僕は仕事の手が止まってしまっていた。手を止めて、目が離せずにずっと見つめてしまったあの光景を思い出していたところだった。
突然声をかけられて、パッと顔を上げると、書物に目を通す時にはかけているメガネを外して、にっこりと笑ってくれる。少し目が疲れた様子だ。お茶をお出ししよう。ちょうど、この前、バレンタインにと買ったお茶があるのだから。
「……」
バレンタイン……か。
そしてまた、脳裏にはさっきと同じ、彼女であろう女性と河野さんの姿が浮かび上がる。
それを払うように、立ち上がり、備え付けの簡易的な小さなキッチンで、僕がバレンタイン用にと買ってきたお茶を淹れる。
「あの胡蝶蘭も君に引き取られて喜んで花を咲かせているんだろうね」
「……」
そんなこと、ないです。ちっとも。
「……いえ」
胡蝶蘭は元気にしている。中央の、一番枝が長いものはまだ枝先どころか中間の辺りまで花が咲いているし、もう一つの株の枝にもいくつも花がついていて、少し重たげにしなだれている。
けれど、その花の一つはこの前萎れてしまった。そこだけは手折ったけれど。それでもまだまだたくさんの花が枝先に綺麗に並んでいる。
処分されているはずだった花は今も綺麗にリビングで咲いている。
でもそれは僕があの花を引き取ったからじゃない。
――あら、もうこっちの株はダメみたい。
――本当ですね。
まだ花をつけている株の横に、ぎゅっと詰め込まれるようにいたその株。
僕は。
――あ、あのっ。その花。
あの花のない株に自分を重ねていた。
――持って帰ってもいいでしょうか。
大きな白い植木鉢に詰め込まれた三つの株のうちの一つ。
それはまだ葉は青々と茂っているけれど、花はすっかりなくなってしまっていた。胡蝶蘭の豪華絢爛さも、華麗な花姿もなく、地味で質素な葉がパッと広がっているだけ。
けれど、まだ枯れてない。
おしまいじゃない。
僕はその花のない「ダメ」にも見える株が捨てられてしまったら悲しいから持ち帰ったんだ。
あれは僕みたいに思えたから。
花がなくなっていたけれど、それでもまだ枯れてない。
好きになったことはあるけれど、恋はまだしたことがない。
頑張れって思った。
お水をたくさんあげるから、日差しをいっぱい浴びさせてあげるから、だから頑張ってって。
僕も頑張るから。
今まで好きになっても、その好きの形が消えてなくなるのをただ待っていただけだった。けれど、今回から、それはやめようと思った。僕も恋をしている聡衣君みたいに、久我山さんみたいに笑ってみたいって思ったから。あの二人のように恋がしたいから。
だから花のない胡蝶蘭と一緒に頑張ろうって。
花を。
恋を。
咲かせようって。
「でも、僕、上手じゃないので」
「……おや」
「枯らしちゃうと思います」
だって、河野さんにチョコを渡すのさえで上手にできないもの。
もう彼があの女性と話しているとこを見かけただけで尻込みして、そのまま帰ってきてしまったもの。恋人がいるのなんて当たり前だろうに、そんなこと予想もできてなくて狼狽えたりして。
笑ってしまう。
僕の片思いなんて実るわけ、ないのに。
「蒲田君」
花が一つもついていないただの葉っぱだけになった胡蝶蘭には誰も目を留めないでしょう?
でも、もしも花が咲いたら。
とてもとっても難しいと言われている胡蝶蘭がまた花を咲かせられたら、僕も恋を実らせられるんじゃないかなって。
「お茶、お待たせしました。やっぱりここのお茶はいい香りがしますね」
「……」
「そうだ。僕、とっても美味しそうなお茶菓子を今度買ってきます」
花を咲かせられたら、恋も咲かせられるんじゃないかなって、そう思ったけれど。
やっぱり僕には難しかった。
僕も、あの胡蝶蘭もきっと、このまま――。
きっと。
ゆっくりと自然に萎れて、いつかは枯れてしまうんだろう。
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