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第20話 ルルル

 こんな機会はそうない。  だから逃さないように、ぎゅっと握り締めて離さないように。  そう思いながら、お正月に買ったお守りを握りしめていた。  ちらりと顔を上げて、河野さんがこっちを見ていることに慌てて俯いた。  頑張るって決めた。  聡衣君から突然電話で誘っていただいた。普段は、急遽で誘っていただいた時は申し訳ないけれどお断りすることが多い。仕事が忙しいから行けなくて。事前に知らせてもらえていたりすると予定を開けておけるけれど、急遽の時は難しい。そういう仕事に就いている。  けれど、たまたま、とても珍しく、ううん、もしかしたら奇跡的だったかもしれない、この日は仕事がそこまで立て込んでいなかった。  だからお邪魔することができた。  河野さんもずっとお忙しそうだった。ようやく少し時間ができたから参加したんだと言っていた。  僕が仕事でお断りしていても、河野さんがお仕事で無理だったとしても、この機会はなかった。  僕か河野さん、どちらかが「いつもどおり」に忙しかったら叶わなかった。  それを僕は自分の都合のいいように捉えることにして、みて、しまった。  あの……神様。  いいでしょうか?  それでも……いい、ですか?  これは神様がくれた「チャンス」って思っても、いいですか? 「河野さんに、本命チョコを渡そうと……思ったんです」  神様がお膳立てしてくださったのだと思ってもいいでしょうか? 「……お、思ったんです」  見つめながらなんて到底言えるわけがない。こんな、自分の気持ちを口に出したことなんて今まで一度もないのだもの。  だから、河野さんの胸元、コートの襟の合わせ目、そこにあるボタンを見つめがらしか話せない。  そこより上には顔、上げられそうもない。  ぎゅっとお守りを握り締めながら、ひっくり返ってしまいそうな声を懸命に沈めて、小さく、もしかしたら聞き取れなかったかもしれないと、もう一度口にして、告げた。 「……あ、あの」  けれど、何もお返事がなくて、聞こえなかったのかなと、ちらりと視線を彼へと向け――。 「それ本気で言ってるの?」  その言葉に、胸のところに冷たくて、触れたら飛び上がってしまいそうな氷が落っこちて来たって。  そう思った。 「あ、いや、そういう意味じゃなくて、その変な、悪い? 意味じゃなくてさ。だって、君さ……俺なんかに」  けれど、その氷に気持ちが凍らせられてしまう寸前で、河野さんの慌てた口調の言葉がその氷を払い除けてくれた。 「な、なんかじゃないですっ」  河野さんが目を丸くしてる、そして、あのねって、小さな声で溜め息混じりに呟く。 「なんかじゃ! ないです!」 「んー……でもさ、俺、自慢じゃないけど、良い人じゃないでしょ? 君に好かれるようなことした覚えないし。君みたいなのには」 「そ、そんなことないっ」  だからもう一度、少し大きい声ではっきりと話した。 「なんかじゃ……優しくて素敵な人だって思います」 「……いや、だからさ」 「良い人です!」 「変わってる」 「変わってません! さ、最初は……面白い人だなって思いました。そのもっと前、最初、よりも前は仕事にシビアな方だなって。あまり友達がいない人という印象がありました。でも酔っ払った河野さん、面白くて」 「あー、あれは年末の疲れがどっと出て」  反射的に年末のお仕事お疲れ様でしたって、頭を下げて挨拶をすると河野さんが笑ってくれた。 「それで、その後、胡蝶蘭を抱えてる僕を送ってくれた時とかアウトドアに誘ってくださった時とか、すごく優しくて」 「それだけで?」 「そ、それだけじゃないです……僕にとってはすごく」 「……気のせいだよ」  河野さんは一つ溜め息を零した。 「ほら、よくあるじゃん。初めて行ったお店のご飯さが、すっごい美味いかったみたいなの」 「違うんです!」 「そんで、もう一回リピートして食べたら、あれ? こんな感じ? ってなると思うよ。それと一緒だって」 「ち、違いますっ」  頑張れ。 「違います」  もう決めたんだ。  今度はちゃんと言おうって。勇気を出そうって。  ちゃんと伝えよう。伝えたい。 「カップラーメン」 「は?」 「あ、いえ、インスタントラーメンでした。とにかくラーメンがとても美味しく感じました! あの時、お星様を見ながら食べたのがすごくすごく美味しくて、どうしてそんなに美味しかったのだろうともう一度食べてみましたが何度食べてもそうでもなくて、でも、あの時、もう一回河野さんと食べた時はやっぱりとっても美味しくて、すごく美味しくて。その、その時に、河野さんが笑ってくれたんです」 「……」 「僕はその笑顔に、愛しいって……思ったんです」  本当に、本当にそう思った。間違えじゃないし、気の迷いでもない、あの笑顔に胸の中で溢れたのは愛しさだったって、もう。 「けど、俺、恋愛対象、女性だよ」 「……知っ、知ってます」  だから言えただけでいい。最後までちゃんと、言えたからそれだけでもう。 「男となんて付き合ったことないし」 「はい」 「男相手なんて想像したこともないし」 「……はい」 「もちろん、差別とかはしないけど、でも、俺の恋愛対象は女性」 「はい」 「なんだよね」 「はい」  それだけでもう充分なんだ。 「あの、伝えられただけで十分なんです。なんだかたくさんお話しさせていただきましたが、あの、ただ本命チョコとしてもらっていただけたらそれだけでよかったっていう話、でして」 「あー……うん」  なんだか話が変わって、どんどん逸れていってしまったけれど、渡したかっただけ。本命チョコを。  告白なんてしたことのない僕は、ただ、その「告白」っていう恋のためにする行動を一つ起こせればそれだけで劇的進歩だったから。  少し進歩できればそれで充分。  僕の今年の目標は達成される。 「でも、今、手元にないので」 「……」 「そのうちお渡しします。ご迷惑なら、あの郵送でも……あ、でもそしたらお住まい伺うことに、あ! いえ! 決して突撃とかアポイントなしでの訪問なんて不躾なことしません。本当にお渡しできたらそれでよかったので、また後ほど、郵送させてください…………い?」  手。 「さすがにもうこの後仕事はないでしょ?」 「……え?」  手を握られて…………る。 「じゃあ、その本命チョコ今から受け取りに行くよ」  る。 「そのうちじゃなくて、今」  る、る。 「へ? あのっ、あのっ」 「ちょうだいよ」  ルルル。

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