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第21話 手を繋ごう

 手を……繋いで、る。  好きな人と手を……生まれて初めて、繋いでしまった。ううん。多分、人生で初めてな気がする。記憶にある限りでは。  あ。  小学生の時にフォークダンスがあってそれで繋いだことはある。でも今、フォークダンスは踊ってない。 「…………」  踊らない、ようだし。  当たり前だけれど。  もしもここで、僕のマンション、正面エントランスで急に河野さんがフォークダンスを踊ったらとても、ものすごく驚くけれど。  しばらくその背中をじっと見つめた。けれど、踊るような様子、気配は感じられないからフォークダンスをするために繋いだわけではなさそう。  じゃあ、この手は?  この手は、一体?  河野さんがなぜ僕と手を繋いでいるのか理由がさっぱり……。  あ。  あぁ!  あと、多分、幼稚園や小学校低学年の時にも手を繋いだことは多分ある。覚えてないけれど。  それと同じ意味、なのかもしれない。  僕が慌てふためているのも、動揺していることも、きっと河野さんから見て一目瞭然で。  だから、転んだりしないように。迷子になったりしないようにと。それで手を――。  優しい人だから。  あぁ、そうか。  優しいなぁ。 「それで? 鍵は」  優しさでこうしてくれている。  けれど、僕は、ドキドキしてしまう。  手って、繋ぐだけでこんなにドキドキするなんて知らなかった。 「蒲田?」 「! は、はい!」  手って、こんなに温かいなんて、知らなかった。  とりあえずタクシーに乗って、僕のマンションまで来たけれど、手はずっと繋いだままだった。  僕は心臓が飛び出してしまいそうで口をぎゅっと閉じていた。  名前を呼ばれたと慌てて返事をして、鍵を。 「ちょっと待っててください」  鍵。  あ、手が、手を繋いでいるから、その鍵が、えっと、僕は右手を繋いでて、鍵が入っているのも右側のポケットだから、その。これ、だと。 「…………っぷ、面白い……はい」  小さく河野さんが笑って、それから繋いでいた手をぱっと離した、と、思ったら、すぐに左手を繋いだ。  まるで、手を繋いでいないといけないみたいに。 「貸して」 「え、あ、はい」  鍵を手渡すと河野さんがそれを使って正面エントランスを解錠した。そしてピピっという電子音と共に扉が開き、そのまま、入っていってしまう。  手を繋いでいる、ということで頭の中がいっぱいだったけれど、でも、今、僕はなぜか河野さんを家へと招いている。  チョコレートをもらってくれると。 「何階?」 「あ、えっと、七階です」 「オッケー、七……と」  もう夜も遅い時間だ。エレベータはスッと開いて、乗り合わせる人もなく僕らだけを七階まで連れて行く。 「角の……」  なんだか。 「あ……ど」  なんだか、これは、これはとても。 「どう、ぞっ」  大変なことだ。 「あ、あ、ああ、あの、あのっ」  今、僕の部屋に好きな人がいる。人生初、好きな人が僕の部屋にいる。  これはとにかく緊急事態発生なのでは。 「あ、あっ、えっと……チョコ! チョコですね! チョコを」 「うん」  渡さなくちゃ。チョコレート。それでえっと。 「えっと、チョコを取りたいので、手を」 「……あぁ、そっか」  そこでついに手がパッと離れた。そして河野さんは自身の手をじっと見つめて流。  人と手を繋いだことが幼少期以来だった手、指先は、なんだか少し寂しいのか痺れた時みたいにジリジリした。  両手を伸ばしてキッチンのところの調味料のストック棚からチョコレートの箱を出す。  あ、そうだった。  すっかり諦めていたし、渡せることはないけれど自分で食べるのも虚しいなぁどうしたものかなぁとそのままになっていたくらいだったから、忘れていた。  …………ど、しよ。  リボンが潰れてしまっていたんだった。 「へぇ、すごいな。こんなに大きかったっけ。胡蝶蘭。部屋の中での存在感すごいけど。これって枯れないの? なんとなくあの時のまんまじゃない? 造花? …………って、どうかした?」 「…………ぁ」  振り返ると河野さんはリビングのところで熱心に胡蝶蘭を見ていたところだった。一向にチョコレートを持ってこない僕の方へと振り返って不思議そうな顔をしている。 「あの、ずっと、カバンに入れていたんです。あ! 多分溶けてはいないです! すごく気をつけて持ち歩いていたので。持ち歩いていたのはいつお会いできて、渡せるのかわからなかったのでっ、あと! 持ち歩いてはいましたが、食べ物なので衛生面には気をつけています! ご安心ください!」  お互いに仕事は多忙すぎるほどだから、けれど接点がゼロというわけでもないので、どこかでお会いできたらその時に渡そうと思っていた。だからカバンの中に入れていた。 「その……なのですが……リボンが……」  ぺちゃんこになってしまった。 「すみません」  もうあの時、女性と二人で並んでいるところを見てしまった時の気持ちと同じようにぺっちゃんこ。 「……いーよ、別に」 「でも」 「ありがと」  わ。 「い、いえっ」  嬉しい。 「お礼、でもあるんだっけ?」 「あ、はい」  チョコレート受け取ってもらえるのって、嬉しい。 「……そんなに嬉しい?」 「! はいっ」  とっても、とっても嬉しい。  初めてだもの。  好きな人に好きを伝えるようなことをしたのも。こうして、なんというか完全なプライベートでお話をしたのも何もかも初めてで。  少し浮かれてしまっているくらい。 「そっか」 「はいっ」 「じゃあさ」 「はい!」 「お礼に、今度はまたアウトドアとか一緒にする?」  そして、誘ってもらえたことに、気持ちどころじゃなく身体もぴょんっと跳ねてしまった。  ぴよーん、って跳ねて。  その様子に河野さんが噴き出して笑って、その口元をあの手で押さえてた。

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