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第23話 次

「この前、あの動画見ました! あのリブステーキ美味しそうでした! あんなこともできちゃうんですね」 「あーあれか。あれは確かに美味そうだった」  コクコク頷きながら、河野さんがウイスキーのロックグラスを傾けた。琥珀色をした液体がその傾きに、クタリと表面を揺らす。  僕はその様子を、小さく、隣にいる彼には気が付かれないように小さくそっと、盗み見ていた。  きっとじっと見られていたら、お酒だって美味しく飲めないだろうし。  けれど見てしまうんだ。  だって、まさか河野さんとバーに来るなんてこと、想像もしていなかったから。  しかもこれが二回目、だなんて。  信じられない。  キャンプもとても楽しかった。豚汁は美味しくて、楽しくて。  それは嬉しいことに河野さんもそうだったようで、今度は飲みにでもと誘ってもらえた。その時は、美味しい和食のお店を紹介してくれると。日本酒はあまり得意ではないけれど、でもお酒は多少嗜むって話して。じゃあ、と、誘ってもらえて。  今回はバーに誘ってもらえた。 「あの鉄板は確かに重宝する。俺もよく使うし」 「そうなんですか?」  かっこいいなぁ。 「じゃあ、今度はリブステーキキャンプする?」 「はい! いいんですか?」 「今、ちょっと忙しいから春先かな」 「はいっ」  僕はレモンサワーだから、あんな風にカッコよくお酒はまだ飲めそうにない。  聡衣君も強いんだ。  久我山さんも。  そして、河野さんもお酒が強い。  あ……先生もだ。先生に至っては毎日晩酌していて奥様と、それからお嬢様にも叱られていたっけ。ほどほどにって。もうお嬢様はお嫁に行ってしまうから、余計に心配されてしまっているって、先生が、嬉しそうな、寂しそうな顔でお話ししてくれた。 「今、ほら、チラホラ異動組の出向先が発表されてきて、人事がぐっちゃぐちゃ。仕事の引き継ぎだなんだって、みーんなアホみたいに騒いでるよ」 「…………ぁ」  河野さんは……異動あるのだろうか。  お仕事柄、定期的に地方への出向がある。新人の頃にも数年、それから本庁に戻ってきて数年、そしてまた地方へ……そうやって各地に地盤を作らないといけないわけだけれど。 「あの、河野さんも」 「俺? 俺は別に異動今回はないから、眺めてるだけ。けどもう少し上手に効率よくやればいいのに。久我山くらいなんじゃん? もう引き継ぎの心配ないのって。あいつ段取りうまいから」 「……」  ホッとしてしまった。  そっか。  河野さんはまだこっちにいるんだ。 「なぁに? 久我山がいなくなるのって寂しい?」 「え? いえ、あの」 「俺は来年かなぁ」 「……そう、なんですか」 「多分ね」  そ…………っか。来年。  その時はあの女性を伴侶として連れていくのだろうか。もうそういう話題が出てもおかしくない年齢だもの。 「あ、俺が地方行ったら寂しい?」 「そ、それはっ」  僕は、貴方が好き、だもの。 「…………だって」  本命のチョコとして、渡した。  河野さんにもそう伝えてあった。だから受け取ってもらえた時はとても嬉しくて、そのあともキャンプに誘ってもらえて、たまらなく嬉しくて。  今だって、そうだけれど。 「俺さ」 「あの、河野さん」  二人でほぼ同時に話し出してしまった。  そして、そこで「あ」とお互いに言葉を止めて、互いをじっと見つめ……その視線に割り込むように河野さんのスマホがブブブって、そのスーツのジャケットから鈍い振動音を響かせた。 「わり……上司からだ」 「はい」  河野さんは電話にすぐに出ると「お疲れ様です」と少し低い声で告げて、席を離れた。  忙しくてキャンプもあれ以来行ってないって言ってたっけ。  でも、来年、地方に出向となれば、もっとキャンプとかアウトドアに行けるようになるのかな。そしたら、きっとそれはそれで河野さんにとっては楽しいことでもあって。  その時は今みたいに僕も一緒させてもらえることも……ないかな。  あの女性と行くのかな。あまりアウトドアとか屋外での活動が好きそうには見えなかった。肌が真っ白だったし、ピンヒールがとてもよく似合っていたから、あの石ころばかりの川岸を歩いているところが想像できなかったけれど。  でも、地方で暮らすようになって、近場なら一緒に行ったりするのかな。  そもそもどうして僕にこんなに構ってくれるのか、よくわからないし。  河野さんにしてみたら、その「イライラ」しない相手だから、なだけなのかもしれない。僕が誘ってもらえる理由なんて。  でもいいんだ。  それで、高望みなんて僕は――。 「悪い。明日、大急ぎでやらないといけない仕事ができた」 「あ、そうなんですね」 「まだここにいるか?」 「いえ、僕もそろそろ」 「じゃあ」 「はい」  そこで僕も席を立った。  今日はここまで。  とても忙しそうだから、次は……あるかな。ないかな。あってもしばらく先かな。 「ここは僕が」 「気にすんな。俺が誘ったんだから俺が出す」  こんなところで主張しあってても、と、ペコリと頭を下げた。後で、もしも、万が一、もしかしたら、ぜひ、とにかく、またどこかに一緒に行けるのならその時にでも、お礼をすれば――。 「…………河野さん?」  お礼はその時すればいい、そう思った。 「…………」  そんなことを考えながら顔を上げると、河野さんがじっとこっちを見てた。 「あの……わっわわ」  どうしたんだろうと、やっぱり割り勘にすればよかったと思ったのだろうかと尋ねようとしたところで、頭をポンと撫でられた。 「あ、あのっ」  何? なぜ急に頭を? 「次、再来週の火曜、空いてる?」 「え? 再来週の火曜、ですか? はい、大丈夫です」 「じゃあ、夜、連絡する。仕事後だから九時とかかな」 「はい」 「それじゃ」  そこで頭を撫でていた手がパッと離れた。 「……はい」  僕は撫でてもらえた自分の頭に、河野さんの手を真似るように手を置いて。  ホテルを出たところで止まっているタクシーに乗り込んだ彼を見送った。 「来週……」  誘ってもらえたって、今にもぴょんってジャンプしたくなる自分の頭をぎゅっと抑えて。そして僕は次のタクシーに自宅マンションへと運んでもらえるように頼んだ。その声すらも弾んで、はしゃいでいるように嬉しそうだった。

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