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第24話 触れたのは
なぜ、頭を――。
酔っ払っていたのかな。
河野さん。
「……」
頭、撫でられた。そんなこと他の方にされたことがないからびっくりした。
うーん……寝癖……なんて、仕事のある日にはさすがにつけてないし。たまに休日で誰にも、本当に誰にも会わないし、リモートでの打ち合わせも一つもない、今日は一歩も部屋から出ない。そんな日なら寝癖もありえるけれど、先生の秘書として、その辺りの身だしなみに関してはものすごく気をつけてるから。
でも、途中、うたた寝していてついていたとか? お酒を飲むだろうからと確かに待ち合わせまで電車で行って、途中、うたた寝はしたけれど。でも、十分くらいかな。
髪、そんなに癖はないけれど、柔らかいから、寝癖がつきやすいのは確かで。
柔らかいからすぐに手櫛で直せたりもするけれど。
あ! ゴミ! たった十分のうたた寝で寝癖がつくとは考えにくいけれど、髪にごみならくっつく可能性はある。
さすがにその短時間寝たくらいじゃ、いくら髪が柔らかいからって――。
「髪、柔らかい人ってハゲるっていうじゃない?」
一瞬、その言葉にピタッと手が止まった。
電車の中、隣に座るマダムのお話に。
「そうねぇ、言うわよね」
そうなんですか?
そう、言いますか?
「うちの主人の血、引いてなければいいんだけど」
「あ、息子さん? 確かに……髪。柔らかいわよね」
「やだぁ、それじゃお嫁さん来ないじゃない」
髪、柔らかいと。
「遺伝するっていうじゃない? 髪」
「確かにうちの主人も髪柔らかくて、私髪が太いから羨ましいけど、そうね。そう考えるとイヤね」
イヤ。
「毛太いのなんて、まぁ別に、でも、ハゲは治しようがないものね」
ハゲ。
「そうそう生えてたらどうにでもなる」
生えてたら。
「でもつるっぱげはどうにもならないじゃない?」
つるっ……。
思わず自分の頭を抑えてしまった。
だって、髪、柔らかいから、もしかして、もう既に予備軍に入っていたとか? それで、河野さんが僕の頭を撫でていた? のかもしれないと、そっと自分の髪質を確かめるために手で頭を撫でて、つむじをキュッと押してみた。
「うー……ん」
み、見えない。
頭のてっぺんってなんとなくでしか見たことがないのだと初めて知った。まさか注視するのがこんなに難しい部位だったなんて。
「ハゲ……」
「なんの心配をしてるの?」
「義君!」
「……佳祐はハゲる家系じゃないでしょ。しかもその歳で何の心配してるんだか。全く」
溜め息混じりで義君が僕が取り寄せをお願いしていたものを慎重に持ってきてくれた。
「そっちの心配じゃなくて、身体の心配をするように。ちっとも連絡寄越さず、忙しいのかなと思いきや取り寄せたビアマグが届いたって言ったら、即来るんだもんね」
「だって」
「こちらが商品になります。よろしいでしょうか?」
箱を開けると赤と黄色をベースに細かい紋様が施されたビアマグが二つ並んでいる。マヨリカ焼きのビアマグ。
義君がわざとらしく店員さんの口調でそう言うと、一つずつ箱から出して、傷や欠けがないことを確認させてくれた。
「まぁ、早くしないと向こうに行っちゃうからね」
「うん」
これ、どうかなって思って。
久我山さんと聡衣君の引越しのお祝いに。
お店に置いてあった大皿がとても可愛くて、引越し祝いにいいかもしれないとじっとみていたら、義君がそれ、セットでマグもあるんだよって教えてくれた。食器屋じゃないから揃えては並べなかったんだって。可愛くて、楽しそうな赤色と黄色をベースにしたお皿の上にはスカーフが敷かれ、その上に指輪などの装飾品が並べられている。お店の雰囲気にはとてもあっていて、アクセサリーのディスプレイスペースとして用いられていたけれど。
そのお皿に楽しげな色や模様はあのお二人にとてもよく似合うと思った。
それのビアマグがあるって教えてくれたから、急遽取り寄せてもらっていたんだ。
もう引っ越してしまう彼らへのプレゼントにはちょうどいいと思って。
お酒、二人でよく嗜むって言っていたから。
「今日は……聡衣君」
「在宅。新事業の準備をしてくれてる」
「そう……」
「そうなんだ」
スタートが、僕のせいでおかしな形になってしまったけれど。でも、このお店で、聡衣君とはたくさんお話をしたし、義君も僕の悪巧みなんて関係なく、彼のこと大事にしていたから。
その彼がいないお店は少し寂しそうに思えた。
前は、義君が一人で経営しているところにちょくちょく顔を出していた頃は、そんなことちっとも思わなかったのに。今はお店に義君一人だけだと少し寂しくて。
「そうだ。まぁこれはいいとして、仕事で忙しいだけじゃなかったんだろ? バレンタイン! 僕にはチョコなしで、誰にあげたの」
義君はそうだそうだ、それこそ大事件だって顔で問い詰めてくる。毎年、あげていた……というか、僕も義君も甘いものが好きだから、その日はお互いにあげあってみたり、その日に二人で美味しいケーキを食べに行ったりしてたけど。
「誰にって……別にもういいというか、もう」
今年は義君もお店忙しそうだったから、特にバレンタインという日に拘らなくてもいいと思ったんだ。それに僕はそれどころじゃなくて……。なんて言ったら叱られてしまうけれど。
「もうって、あのねっ」
「渡したかっただけだからっ」
「……」
渡せたらそれでよかったから。
「そういうのでは、そういう、ことでは……ないから」
そっと自分の頭を撫でた。
「だから、そこから何かあるわけじゃないし。そもそも、その人の恋愛対象は女性だから」
ないから。
「……だから……何にもないよ」
僕は恋愛対象に入ってない。
それを口にすると、その事実が二次元のペラペラから三次元の立方体にでもなったような気がした。目に見えないものが急に手に取ることができたような。
僕が恋愛対象外だっていう、最初からわかっていたことで、大前提ではあったけれど、なんとなく輪郭はぼやけて、ふわりとしていて不確か、なように思えていた。
その事実をただ口に出して言ってみただけで、急に触れることもできるような気さえして。
自然と溜め息が溢れて。
「それより! これ、のし! つけてください!」
手が彼の手を真似るように、自然と自分の頭を撫でていた。彼が頭を撫でてくれたっていう事実だってあったはず、と確かめるように。自分の頭を自分で撫でた。
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