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第25話 ダメったら

「若い子はやっぱり和食より洋食の方が好むだろうね」  今日は朝からとても過密スケジュールだった。にも関わらずいつもよりもずっとご機嫌だった先生が嬉しそうにそんなことを尋ねてきた。  運転を他の方にお任せして僕は今日以降の先生のスケジュールに変更点がないかの再チェックだけ、移動中の車内でおこなっていたところだった。普段は、先生と同じ車に同席しながらの業務は控えているのだけれど、今日は朝から移動と打ち合わせ会場巡りに追われていて、デスクに戻る隙間どころかノートバソコンを開く時間すらなくて、予定の確認が出来ずにいた。  その手を止めて、顔を上げると、先生がご機嫌な笑顔で窓の外を眺めていた。 「洋食、ですか? そう、ですね」 「娘をね、食事に誘ってあるんだよ」  あぁ、なるほど、と思った。夜、何かご予定があるのだろうとは思っていた。夕方以降に予定を入れてほしくないご様子だったから。  お嬢様との食事があるのなら、それは確かに機嫌が良くもなるのだろう。  来年、挙式を予定されていて、もうお嫁に行ってしまうんだと、寂しそうにもしていたから。親として嬉しいのと寂しいのと半分半分なのだと思う。二人での食事ともなればそれはそれは嬉しいはずだ。 「君も今日は予定があるだろう?」 「! ぁ、いえ……僕は」  思わず、言い淀んでしまった。  ――次、再来週の火曜、空いてる?  もう何度も頭の中で繰り返して再生したあの時の河野さんのセリフがまた脳内で再生された。  慌ただしく終わったその日の食事からずっと、一語一句、間違えることなく再生されている。  今日がその再来週の火曜、だったから。でも、まだその火曜の何時に、などの細かい予定は連絡がなくて、河野さんもお仕事忙しそうだったから、時間まではまだ未確定なんだと思う。おおよその時間しか見当がついてないのかもしれない。  夜、予定を入れておかずにいればいいのかなぁって。  だから、先生みたいに明確な予定としては何もないのだけれど、ただ空白にしてあるだけだけれど。 「良いことだ」 「!」  戸惑っている僕の様子に先生がにっこりと笑った。 「君は何をお返しするのかな」 「ぇ?」 「あ、いや、詮索をしているわけではないよ? 君のことはとても信頼しているし、尊重している。プライベートには干渉するつもりは毛頭ない。でも、最近、とても溌剌としていたから嬉しくてね。つい」 「……」 「ホワイトデーだろう?」 「!」  ホワイト、デー……だ。  だった。  今、ちょうど開いていた、先生のスケジュール管理の中、今日の日付は確かに三月十四日、ホワイトデーだった。  でもちっとも気がついていなかった。  わ。  ホワイト。  デー。  え?  ホワイト、デー?  に?  会う予定を?  予定した?  の?  わわ。 「そう、ですね」  わぁ。  河野さんと待ち合わせた今日って、そうだホワイトデーだ。  いや、でも、そんなつもりじゃきっとないし。  僕だってそうだ。三月十四日としてその先生の予定とか管理する上では認識していたけれど、でもそれとホワイトデーが繋がっていなくて、ただの普通の三月十四日としてしかみていなかった。  河野さんだってきっとそうでしょう。  相手が女性ならまだしも、僕だし。  それに恋人がいたし。  あの美人の。  それなのに僕にホワイトデーのお返しなんてしないでしょう?  だから違う。  ホワイトデーの三月十四日じゃない。  ちっともそんなつもりなかったし、河野さんもそんなつもりはきっとない。  別に河野さんはその日だからと思って誘ってない。  僕もお返しなんて期待はしていなかったでしょう?  すごくすごく忙しい中で、そんなただのチョコレート、しかも仕事での関わりもなく、プライベートで数回合わせてもらっているだけの僕にそんなお返しをなんて思っていないし。  だから。  違うってば。  そんなことない。  きっとそうじゃない。  ほら、静かに。  どうか、収まって。  違うから。  後で「あぁ違ったのか」なんて期待に膨らんだ胸が萎んでしまうのはとても切ないから、どうかどうか、収まって。  大人しくなって。  きっと違うのだから。  ホワイトデーのお返しをって思って、僕を誘ってくれたわけじゃないから。  そんなんじゃないから。 「それで、洋食と和食、どっちがいいかな」  期待なんてしてはダメ。  膨らんじゃ、ダメ。  ダメダメ、ダメったら。 「そうですね。お嬢様は和食の方がお好きかと思います。先生と一度食べに行った料亭がとても美味しかったと僕にもお話しして下さったことがありますから」  なのにソワソワとし始めてしまう。 「期待」が膨らんでしまう。  それをどうにかしたくて、小さく、先生にも見つからないように小さく、膨れそうな胸の辺りの「それ」を宥めるように、手でスーツの襟を正して、一つ息を吐いた時、ちょうどそこ、胸のところ。 「!」  スーツのジャケットの内ポケットでスマホがブルルッて震えた。  まるで胸の鼓動に「ほらほら」って急かすかのように、スマホが振動して、期待がまたちょっと膨らみかけて。  僕はまた慌てて襟を正した。

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