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第26話 マシュマロ
――ごめん、連絡遅くなったけど、夜、二十時か二十一時頃、都合どう?
そんなメールだった。
僕がそのメッセージにお返事できたのは少し経ってから。先生もいる車の中ではそんなプライベートなやりとりなんてできるわけがないから、ちょっとした隙にトイレでメッセージを確認した時だった。
僕は。
大丈夫です。どこにいたら宜しいですか?
と、返事を打って、また仕事に戻った。
それから仕事を終えて、今は二十時前、電車に揺られながら、目的地の最寄駅まであと六つ、五つって駅の数を数えてた。
「……」
ホワイトデーのお返し、かな。
ただの偶然だよね。
まだ駅までは四つ。
ホワイトデーだから、じゃないんだろうなぁ、って思いながら、ふと、電車の車内にある液晶画面へと視線を送った。その日の天気や広告が流れているその画面にニュースが流れていた。政治関連のニュースを眺めながら、あ、知ってる議員の方だなぁなんて思いながら。そっか、大変だなぁ、この方なんて思いながら。ぼんやりと電車が次の駅のホームへ近づくのを待っていた。
あと、三つだ。
その時、ニュースが終わって時事関係の情報が流れた。
画面の中では、今日はホワイトデーというタイトルの下で、可愛らしい女性が人指す指をピンと立てて笑っている。
ホワイトデーの豆知識のようなもの。
どういうきっかけでこのイベントができたのか。
それからバレンタインデーのチョコレートと違い、贈る物で意味が違っていることもあるって。
熱心に見てしまいそうで、そっと視線を逸らした。
だって。
「……」
別にそれではないと、思うから。
「……」
今日の約束はきっと違うもの。
でも。
ううん。違うに決まってる。
初めてで浮かれているけれど、河野さんには恋人がいるし、僕は男だし、河野さんが僕を、なんてそんな都合の良いこと。
『次は……次は……』
あるわけないよ。
平日の夜、繁華街にはまだ人がたくさんいた。
待ち合わせ場所になっていた駅は河野さんの職場近くの、ではなく、お洒落なレストランが立ち並ぶような場所だった。
「!」
僕が待つことになると思ったのに。
「よ」
「こ、こんばんは。お疲れ様です」
すでに河野さんがいてちょっと驚いて、足が止まったところで、向こうから僕に気が付いてくれた。
もう三月も半ば、そろそろ桜をみんなが期待し始める頃、一か月前、僕が河野さんにチョコレートを渡した時よりもずっと過ごしやすくなったからか、少し薄手のコートに身を包んでいた彼がいた。
でも、少し寒そう、かな。
やっぱり夜になると少しだけ、ほんの少しだけ風が冷たいから。
「お疲れ」
「い、いえ……」
やっぱり、すごくかっこよくて。
にっこり微笑まれると思わずうつむいてしまうんだ。
たとえばお酒を飲みながらとか、キャンプファイヤーをしながらとかなら、まだ、視線の矛先があるのだけれど、こうして正面からはちょっと、不慣れで。
好きな人とこんなふうに対峙したこと、ないから。
「ちょっと、キャンプのあの動画のリブステーキとは違うけど、この近くに美味い店があるから」
「え?」
「あ、飯食い終わってた?」
「い、いえ! まだですっ」
「よかった。腹、ぺこぺこ」
僕もです。
「すぐそこだから」
はい。
「蒲田」
……はい。
一つも声に出して返事ができなかったけれど。彼の隣にそっと駆け足で並んで、その、今向かっているお店のオススメメニューをたくさん教えてくれる彼の横顔をちらりちらりと眺めていた。
連れてきてもらったお店は繁華街の中にぽつんと立っているログハウス風のステーキ屋だった。
入った瞬間にお肉の焼ける音と、スパイスのいい香りがして、一気にお腹がぎゅうって空いてきた。
案内された席に向かい合わせで座ると、店員さんがお水を持ってきてくれた。
「ビールでいい?」
「あ、はい」
そこから二人でお目当てのリブステーキを注文して、ソースが三種類から選べるというので僕はオーソドックスなオニオンソース。河野さんはワサビソースを注文した。
「はぁ、腹減った。ここのところ、忙しくてさ」
「あ、異動で……」
「まぁね。送別会だってあっちこっちで」
「ご苦労様です」
ちょうどそこで、泡が溢れてしまいそうなビールが運ばれてきた。
河野さんがそれを僕に一つ、そして自分のところにも一つ、置いて。
「じゃあ、お疲れ」
「は、はい」
ジョッキが少し鈍い音を立てて、河野さんがぐっとビールを飲んで。
「はぁ、うま……」
僕も一口だけ飲んで。
「あ、そんで、これ」
飲んだビールが、きゅっと閉まってしまった喉のところでしゅわしゅわと弾けた。
「ホワイトデーの」
「……」
差し出されたのは、僕がバレンタインに送ったのと正反対の色合いをしていた。真っ白な包装紙に包まれて、くるりと青色のリボンが上で結ばれている。
「……これ」
ホワイトデーのお返しには贈る物で意味が違っていることもあるって。
「マシュマロ」
さっき電車の中で言っていた。
「ほら、蒲田、この前さ」
贈られたのがキャンディーなら「あなたのことが好きです」って意味。
マカロンには「あなたは特別です」って意味。
マシュマロには。
「キャンプの時に……蒲田?」
「っ、すみませんっ」
「あなたのことが好きじゃない」っていう意味がある。
「なんでもっ」
ダメだ。なんで泣くんだ。バカ。大馬鹿。期待なんてしてないって言ったのに。期待しちゃダメだって言ってたのに。
泣くなんて。
お断りってされたって別によかったはずなのに。
ショックだなんて。
「す、すみませんっ」
「たぶん……」
「?」
「それ、感動の涙、とかじゃないもんな」
「?」
「マシュマロ」
「……」
「この前、キャンプで焼いたの食べながら、すごい好きだって言ってたから」
「!」
ぽろって、零れた。
「もしかして、焼いたマシュマロ限定だった?」
泣いてしまった。
「鉄板で焼いてもらう?」
そういって、笑った河野さんが僕へと手を伸ばして、僕の。
「蒲田」
僕の頬をぬぐってくれた。
「泣くなよ」
そして僕を呼んでくれたその声は、今まで聞いたことがないくらいに優しくて。その声を聴いた瞬間に、「期待」が一瞬で走り回りだしてしまった。今日一日、静かに、ダメだってば、抑えて、違うから、とぎゅっと掴んで走り回らないようにしていたのに、手をするりと抜けて、胸のうちで駆け足で走り回って、大はしゃぎし始めてしまった。
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