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第29話 想像できるわぁ

「え? 今……なんて……?」  聡衣君が僕からの引っ越しお祝いをぎゅっと握りしめたまま、ものすごく険しい顔をした。少し長くて、派手ではなく柔らかく好印象さえ与える明るい色の髪を耳にかけて、その耳をずいっと僕の方へと向けた。 「で、ですからっ、その……」  僕は店内の誰にも聞こえない、聡衣君にだけかろうじて聞こえるだろう小さな声でそっと、つい数日前の出来事をもう一度話した。 「その、河野さんとお付き合いを……」 「…………え?」 「ですから!」 「河野さんです!」 「……まぁ、そう珍しい苗字じゃないけど、同じ名前の人? それとも、あの河野?」 「そ、その河野、です。あ、じゃなくて、河野さんです」  言いふらそうとしたわけじゃなくて、その、今日は引っ越し祝いを届けたかっただけで。  今、引っ越しの荷造り真っ最中で、段ボールの森という状況の中、お邪魔するのは憚られると思って。それで外で食事をって。  久我山さんは異動がらみで忙しいから、大変申し訳ないけれど、後から合流できたらするって仰っていた。  そこでつい言ってしまったんだ。  ――そうですよね。河野さんもお忙しそうでした。  って、ポロッと言ってしまった。  そこでスルーできたらよかったのに。最初、聡衣君も気がついていなかったのに、僕が「あ!」なんて言って、口を抑えてしまったから、むしろ気がつかれてしまって。  え? なんで河野の予定とか知ってるの?  っていうから。  だから。  つい。  どう言ったらいいのか迷ってしまった。口籠もってしまって。  そして結果、バレてしまった。 「絶対に、絶対に、絶っっっっ対に誰にも言わないでください!」 「……頑張る」 「絶対にですよ!」 「旭輝にはいうかも」 「えぇぇ!」 「だって、別に隠すことでもないでしょ。旭輝は言いふらしたりしないだろうし、むしろ、そんなに面白い反応しなさそうだし」 「面白いって……」 「いや、普通に面白いって」  聡衣君はにっこりと笑って、また、明るい色の髪を耳にかけ直した。 「そっかぁ、あの時のチョコレートは河野にだったのかぁ」 「っ」  そう、あの時にはもう僕は河野さんのことが好きだった。 「えぇ? でも、河野のどこがいいの?」 「え? かっこいいです」 「……ぇ」 「それから楽しいです」 「……まぁ、あー……まぁ」 「あとすごく優しくて」 「えぇぇ?」 「ちょ、聡衣君!」  反応が失礼ですって叱るとまた笑って「ごめんごめん」って言いながら、レモンサワーをぐびっと飲んだ。 「でも、まぁ……うん」 「?」 「すっごい河野のこと好きなのは見てわかるけど」 「!」 「すっごいわかるよ?」  そんなに? 「でも、よかったね」 「?」 「すごく大事そうにチョコレート選んでたじゃん」 「……」  チョコレートはとても美味しかったと言ってもらえた。勇気を出して訊いてみたんだ。  いかがでしたか?  って。  そしたら、言ってなかったっけって河野さんが笑って、すごく美味しかったって言ってくれた。  僕は嬉しくて嬉しくて。  きっとそれも顔に出ていたんだと思う。  河野さんがその時僕を見て、顔をくしゃっとさせて笑ってくれたから。そして、僕の頭を――。 「……はい」  撫でてくれた。  それを思い出して、そっと自分の頭を撫でて。 「なんかラブラブじゃん」 「! そ、そんなことは!」 「いいじゃん、いいじゃん」  いい……じゃん、ですけれども。  なんだろう。くすぐったいような、でも脇をくすぐられた時みたいに笑ってしまうとかではなく、首筋に髪が触れてソワソワしてしまうような違和感とも違う。けれどじっとしていられなくて、今にも走り出してしまいそうなこの感じ。  なんなのだろう。  そんな僕の落ち着きのなさを見透かすように、腕を組みながら、少し前に身体を倒して、聡衣君がふわりと微笑む。  今日のお店は聡衣君が案内してくれた。聡衣君も久我山さんに教えてもらったらしくて、個人経営のイタリアンのお店。テーブルが六つあるだけの小さなお店。でも、とても落ち着く雰囲気で。久我山さんはお店を見つけるのがとても上手なんだって。  その小さなテーブルにこうして向かい合ってると、あの時をふと思い出した。`  義君のお店の控え室で聡衣君と話をした時もこのくらい小さなテーブルで、このくらいの距離で、僕は切なくて、寂しくてたまらなかったのに。  今は――。 「蒲田さん可愛い」 「! そ、そんなことないです! 僕なんて」 「これは河野、可愛くて可愛くて仕方ないんだろうな。もう」 「いえ……本当に、僕なんて全然、どうして河野さんが僕なんかをって思います」 「なんかじゃないって」  今は嬉しくて仕方がない。 「河野って大事にしそうだよね。想像できないけど想像できる」 「な、なんですかそれは。どっちなんですか」 「んー、だって、あの河野がデレッデレに蒲田さんのこと溺愛するんだよ? 想像できないけど想像できるじゃん」 「でき……」  溺愛って。 「もうさ、蒲田さんが可愛いから、自分のものってめっちゃ主張しそう。わー想像できる。想像できないけど」  だからどっちなんですか。 「甲斐甲斐しいもんね」  想像できるんですか? 「優しくしそう。想像できないけどできるわ」  想像できるんですか? 「大事にしそうだよね」  河野さんに大事にされる僕とか。  ――蒲田、おやすみ。  顔に、出てた……かな。  そう、大事に大事にしてもらえてる……気がする。キスを三回した。三回して、そっと頭を撫でてもらって、帰り送ってもらってしまった。同じ男なのに「いーから」って少し怒ったような声で、でも、優しい声で、僕の隣を歩いてくれた。そしてマンションの下で手を振ってくれて。部屋にたどり着いた頃、メッセージをいただいた。  おやすみって。 「大事にされてるんだね」  僕はそのメッセージが嬉しくて嬉しくて、しばらくじっと眺めていたんだ。 「はい」

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