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第31話 恋とは大変な代物だ。

 ご飯食べ終わったら帰るのかなぁって思った。  明日は土曜日だから河野さんは仕事多分休みだけれど、やっぱりお互いとても忙しい仕事をしているから、帰って休養を取りたいよねって、そう思って。  ご飯一緒に食べるだけでも嬉しいしって。  もっと一緒にいたい……なんて、それは我儘だと。 「え? ボウリングしたいことない?」 「は、はい」 「一度も?」 「は、はい」 「珍しいな。坊ちゃんはそういうのしないもんなの?」 「い、いえっ」  僕がそういう機会に率先して混ざりに行かなかっただけのことで、って慌てて付け加えた。苦手なんだもの。大勢でワイワイするのって。 「へぇ」 「す、すみませんっ」 「いや、謝るとこ一つもないけど」  靴を履き替えないといけないなんて思わなかった。そのくらい何も知らなくて、靴の自動貸し出し機なんていうものにポカンとしていたら、隣で河野さんが操作方法を教えてくれた。 「じゃあ、今日は初体験じゃん」 「は、はいっ」  ご飯を食べ終わって、やっぱり疲れているんだろうな、早く帰りたいところわざわざご飯一緒にしてくれるなんてありがたい。そう思ったところで。  ――このあとって予定ある?  そう河野さんが訊いてきて、僕はきっとまた嬉しそうな顔でもしてしまったんだと思う。河野さんは笑いながら「ボウリングのチケットもらったんだ」って、僕を誘ってくれた。 「でも、チケットいただけてすごいですね」 「んー、いや、あの同僚」 「?」 「蒲田が俺の彼女だと勘違いした同僚が送別会のビンゴゲームで当てたんだよ」 「わ、すごい」 「そしたら爪が割れそうだからいらないってさ」 「爪……」 「で、もらったわけ。指、あんま抜け易いのは選ぶなよ?」 「は、はいっ」  このくらい? これだと抜け易いのかな。でも、指が抜けなくなってしまったら大変なことな気もするし。でも――。 「ほら、蒲田」 「!」  心臓が飛び出てしまいそうだった。  口から。  だから大慌てでキュッと口を結んだ。  だって、河野さんが僕の手を掴んで、指に触れたから。ただそれだけのことでも僕にとってはとてもものすごい刺激というか、びっくりしてしまうことで。その、ドキドキしてしまって。キス、したことあるのに、ご飯食べて、こうしたレジャー施設に二人で訪れたりして、なんだか、とても。 「こんくらいだな」  デートっぽくて。 「は、はいっ」  元気にコクンと頷いて、河野さんに選んでもらったそのボールをそっと。 「ぅ、わっ重い」 「っぷ、大丈夫?」 「だ、大丈夫っ、です!」  少し面食らってしまった。ボウリングのボールがこんなに重いなんて知らなかったから。驚いてよろけてしまうと、今度は河野さんが僕の肩をキュッと手で抱きしめてくれた。そして僕はまた慌てて口をキュッと結んで、心臓が飛び出てしまうのを防ぐ事に忙しくて。 「貸して」 「え? あ、あの」 「ほら、蒲田、こっち」 「は、はいっ!」  河野さんの後をついていくと、目が合って、笑われて、その目元がクシャッとなっただけで、また、心臓がドキドキしてたまらなかった。  構えて。 「蒲田、行けー!」  前をじっと見つめて。 「目指せ!」  三歩歩いて、このボールを……ドーンって。 「とりあえず、一本倒せー!」 「あああああああ!」 「っぷ、あはははは」  僕の投げたボールは脇にある溝に一直線に進んでいき、もうそこにガコンとハマったところからは元に戻ることもできず、ただただなすすべなく何にも掠ることなく前進したのち落ちていってしまった。 「下手だなぁ」 「す、すみません……」 「いや、すごい面白いけど。有能秘書さんでも苦手なものがあるんだ」 「あ、ありますよ! たくさん」 「へぇ」  河野さんは頭上の画面に映し出される僕の散々な成績をチラリと見て、レーンの上に降り立った。  スッと構えて、スッと歩いて……。 「わぁ」  ボールはすごい勢いで真っ直ぐとレーンのど真ん中を突き進むと、気持ちのいい打撃音と共に、全てのピンが落っこちていった。 「すごい! ストライク!」  振り返った河野さんに手を叩いて拍手をする。 「すごいすごい! すごいです!」 「いや、全部ガーターな蒲田の方がすごいでしょ」 「!」 「っぷ、面白いけど? 勝負にならないけどね」  だって、全部どうしてか斜めに。 「ほら、今度は蒲田」 「はい……」  これじゃ河野さん面白くないよね。勝負にならないのだもの。もう少し上手じゃないと勝ったところで大して喜べないでしょ? 「ほら」 「は、はいっ」  重たいボールを手に取った。 「!」  待機のベンチに戻るのかと思った河野さんはそのまま僕の背後に立って。 「歩いて」 「は、はい」  わ。 「そのまま真っ直ぐ」  わぁ。  すごい、河野さんが僕の手に手を。 「真っ直ぐ」 「!」  手、触ってる。重なってる。  わ。  わ。 「わ! すごい、端に行かない!」  河野さんに教わりながら投げたボールは真っ直ぐレーンの真ん中を、まるで散歩するみたいにゆっくりだけれど、のんびりだけれど、進んでいって。 「わぁ! 当たりました! すごっ」  わわっ。 「できたじゃん」  小気味いい音と共に幾つかのピンを落としてポトンと奥へと落っこちた。  僕は当たったことが嬉しくて、無防備に口を開けたまま振り返ってしまったんだ。 「っ」  真後ろに河野さんがいて、振り返ったらびっくりするほど近くて、キスを思い出すし、教えてくれるためにそっと重なった手がジンジンするし、笑ってくれるし。 「上手上手」  頭も撫でてもらえるし。 「ぁ……」  ありがとうございますってとても小さな小さな声で呟くのが精一杯になってしまう。さっきまで口から飛び出してしまいそうだった心臓が、飛び出すことも忘れて、胸のところでキュッとしたから。  恋は心臓に悪くてとても、大変だ。 「これで少しは倒しがいがある」  大変だけれど、嬉しくてたまらないことだ。

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